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第70話 禁忌 前編

 暗い、安心する場所に私は横たわっていた。


 眠っているのか、起きているのか……。


 ううん、これは夢だ。



 そう理解すると同時に、自分の体の中に何かがあることに気づく。


 なんだろうと意識を向けると、それがいつだったか夢で愛良に似た女の子から貰った球体だと分かった。


 一部が欠けた球体。


 私の中に入って消えたと思ったけれど、形を保ったままそこにあったのか。


 でも、前に見たときよりも小さくなっている気がした。



 そういえば、これって何なのかな?



 そんな疑問を浮かべると同時に、意識も浮上した。


***



 土曜日、嘉輪のお父さんが来ると言っていた日。


 その日の寮は朝からお祭り騒ぎだった。



「波多さんのお父さんって事は純血種でしょう⁉」

「滅茶苦茶カッコイイんじゃないの⁉」


「あなたたち失礼よ!」

「そうだ! 純血種は吸血鬼にとって特別な存在なんだぞ⁉」


 前半はH生、後半はV生と反応は少々違っていたけれど、騒がしいことに変わりはなかった。



「……嘉輪のお父さん、大人気だね?」

「……ホント、やめて欲しい」


 そろそろ来る時間だからって、寮の前で出迎えようと最上階から降りてきた私達。


 一階で永人と合流して、外に出たところで待っているんだけれど……。


 窓から顔を出してる人やわざわざ外に出て少し遠巻きにしている人など、とても注目が集まっている。


 そんな感じでみんなに嘉輪のお父さんが来ることが知れ渡っていて、そのため学園側も対応せざるを得なかったんだろうか?


 私達三人から少し離れたところでは田神先生が待機していた。



 私や嘉輪としてはいつもの会議室でも借りて話を聞ければいいんじゃないかって感じだったんだけれど、大人の事情的にそうはいかないらしい。

 私達が入ったこともない応接室に案内すると言って、出迎えに来ていた。


 離れているからまだいいけれど、やっぱりちょっと気まずい。


 その気まずさを誤魔化すように、私はまた嘉輪に話しかけた。



「嘉輪が色々とすごいから純血種が特別なのは何となく分かってたけど……ここまで注目されるほどだとは思わなかったよ」


「私も想定外よ。学園では一目置かれている感じはしても、こんな風に注目されることはなかったから……」


「……そういえば、純血種って他の吸血鬼とは何が違うの? 血が特別だってことは聞いた気がするけれど……」


 なかなか聞く機会もないので質問をしてみる。


 今までは純血種の嘉輪は凄いんだなって認識だけで別に構わなかったけれど、今は私にその血が入っているんだ。

 他人事には出来ない。



「んーそうねぇ。やっぱり他の吸血鬼より強いっていうのは確実よ。あと大きく違うところは……寿命かしら?」


「寿命?」


「ええ。普通の吸血鬼も人間よりはちょっとだけ長生きだけれど、純血種は桁が違うから」


 何となく嫌な予感がして少し鼓動が早まる。



「ちなみに、どれくらい?」


 聞きたくないような気がしたけれど、聞かないわけにもいかない。


 そして返ってきた答えに、私は目の前がクラクラしそうになった。



「そうねぇ……三百年から五百年ってところかしら?」


「ごひゃく……」


 予想以上の年数にめまいがしてきた。



 人間でも百年くらいは生きている人もいるから、その倍くらいかなと思っていたらそれ以上だった。


 ということは、私もそれくらい生きるってことなんだろうか?



 永人が先にったら、私はどれだけの年数を彼なしで生きなきゃならないんだろうか?


「っ!」


 それを考えただけで、とても怖くなった。



「聖良? どうしたの?」


 私が何を考えているかまでは分かっていない嘉輪は純粋に心配そうな顔をする。


 でも、私の考えが合っていると言われたらどうしよう、と思うと怖くて聞けない。



 そんな私の肩を今まで黙っていた永人が掴んで引き寄せた。


「落ち着け。そんな長い間お前を一人にはさせねぇよ」


「永人……」


 肩にある手の体温と、彼の心音、そして何よりその言葉に安心した私はを勇気出してちゃんと聞いた。



「私も、それくらい生きることになるの?」


 少し強張った声に、私が何を怖がっていたのか気づいたんだろう。


 嘉輪はちょっと申し訳なさそうな顔をして答えた。


「早とちりさせちゃったかな? ごめんね。……結論から言うと、聖良はそこまで生きることはないわ。まあ、他の吸血鬼よりは長生きするかもしれないけれど」


 嘉輪の話では、純血種の血が入ったからと言って必ずしも純血種と同等になるわけじゃないらしい。


 血は特別だから他の吸血鬼よりは強いし、寿命も少しは伸びるかもしれないけれどそれだけとも言える。



 完全に純血種と同等になるには、そこからさらに純血種の血を飲み続けて肉体も純血種のものに作り替えていかないとないらしい。


「聖良は私の血を飲んではいないし、完全な純血種にはならないわ。むしろ岸とお互いに血を飲んでいるから、あなた達の寿命が同じくらいになるはずよ?」


「そうなの?」


 嫌な予感が当たっていなくてホッとする。


 それどころか、永人の言葉通り例え彼が先に逝ってもそれほど一人の時間は多くなさそうだと知った。



 でも、そうして安心すると別の心配が浮かんでくる。


「……でもさ、それなら嘉輪は? 嘉輪は、私達がいなくなってもずっと生きているってことだよね?」


 それは、辛いことなんじゃないだろうか。


 私の心配に嘉輪はただ優しく微笑んだ。



「気にしてくれるの? ありがとう。……でも、それは純血種として生まれたときから分かっていることだから……」


 悲しげにも見える表情に胸が苦しくなる。


 別れが確定しているのに仲良くするというのは、どんな気持ちなのか……。


 実際の嘉輪の気持ちは分からないけれど、想像するだけでも辛かった。



「もう、何て顔してるのよ。たとえ死に別れるとしても、あと何十年あると思ってるの? それに、別れなんて相手が生きていてもたくさんあるのよ?」


 言われて、確かにと思う。


 そういえば、永人を選んで彼と逃避行すると決めたときももう会ことはないかもしれないと思っていたんだっけ。



「……でも、相手がどこかで生きているっていうのと、永遠に会えないってのは違うんじゃない?」


 会えないのは同じでも、気持ちの部分では大きく違うと思う。


 でも、嘉輪はおどけるように笑った。


「それはどうかしら? 案外生まれ変わりとかに会えるかもしれないわよ? 私、輪廻転生とか信じる方だし」


「生まれ変わり……」


 そういう可能性もあるのか……。



 私は特に信じる方ではなかったけれど、そういうことなら実際に起きてほしいとも思う。


 まあ、生まれ変わった方は記憶ないんだろうけれど。



 そうして少しなごやかになった空気の中で、嘉輪は「それにね」と楽しそうに告げる。


「純血種は寿命が長いおかげか、“唯一”に出会える確率がかなり高いの。その人が吸血鬼になる事を了承してくれれば、長い生をずっと寄り添ってくれる相手になってくれる。そんな相手に出会えるのを私楽しみにしてるのよ?」


 “唯一”。


 ずっと寄り添ってくれる相手。


 その存在がどれだけ自分を満たしてくれるのかを私は知っている。


 だから、嘉輪にもそんな相手が見つかるというならとても嬉しい。



「……嘉輪の“唯一”がどんな人か私も会ってみたいな……。ぜひとも私が生きているうちに見つけてね」


「えー? それはちょっとプレッシャーかけすぎじゃない?」


 なんて笑いあっていると、丁度車が寮の敷地内に入ってくるのが見えた。



 真っ赤な、明らかに高級車と分かるような車。


「あ、お父さんだわ」


 そう言って停まった車に近づく嘉輪に私もついて行く。



 運転席から男の人が降りてきて、あの人が嘉輪のお父さんかな? と思う。


 黒髪でスラリとした体型の、二十代後半くらいにしか見えない男の人。


 高校生の娘がいるとは思えないほど若くてカッコイイ。



 どことなく嘉輪に似ているな、と思っていると彼がこちらを向く。



「っ⁉」


 そのとたん、何とも言えない威圧のようなものを感じた。


 それは私だけでは無い様で、永人や少し離れてついて来た田神先生。

 そして野次馬で集まっている生徒達も全員が息を呑みシン、と黙り込んだ。


 威圧――ううん、これは威厳って言うのかもしれない。


 本人は何もしていないけれど、私たちが勝手に彼の威厳におされているんだ。



 そうならないのは、嘉輪だけ。



「お父さん、わざわざ来てくれてありがとう」


「ああ……。俺も状況を把握しておきたかったからな」


 そんな父娘の会話にもう一人の声が入る。



「あと、あなたの様子も見ておきたかったからね」


 そう言って助手席から降りて来たのは、茶色の髪と目をした美女だった。


「お母さん⁉ 来て大丈夫なの?」


「ええ、もう安定期に入ったしね」


 そう語る嘉輪のお母さんのお腹は言われてみると確かに少し膨らんでいた。



 嘉輪、お姉ちゃんになるんだ……。


 はじめて知ったけれど、そういえばちょくちょく用事があるとか言って家に帰っていた時期があったっけ。


 あの頃に妊娠が分かったのかな?


 なんて予測を立ててみる。



「で、その子が嘉輪が血を入れた子?」

 と、嘉輪のお母さんはそう言って私を見た。


「っ、あ、はい」

 綺麗な人にやさしく微笑まれてドキリとした。


 お母さんの方も威厳みたいなのはあるけれど、気おされるほどではない。


 でも、緊張はしてしまう。


「紹介するわ。聖良、この二人が私の両親よ」


「父の朔夜さくやだ」

「母ののぞみよ。今日はよろしくね」


「よ、よろしくお願いします!」


 二人が並ぶと美男美女で見ているだけで目の保養になりそうだ。


 そんな二人に声をかけられただけでドキドキしてしまう。



「で、こちらが香月聖良よ。隣に引っ付いてるのが彼女の“唯一”であり“従者”の岸永人」


「……ども」


 続いた嘉輪の紹介に、永人は短く返す。


 いくら何でも失礼なんじゃ、と思って見上げた顔は強張っていた。


 どうやら永人も緊張しているらしい。



「……失礼、紹介が終わったのなら応接室にご案内します。妊娠されているなら立ち話はお辛いでしょうし」


 頃合いを見計らっていたのか、田神先生が爽やかな笑顔を浮かべて促した。


「頼む」


 嘉輪のお父さんがそう答えて、みんなで田神先生について行く。



 いまだに緊張の面持ちでシン、としている生徒達の間を通りながら、一階の奥にあったらしい応接室へ向かった。


***


 応接室には愛良と零士が先に行って待機している。


 朔夜さんの指示で、愛良もいると話が進めやすいのだとか。



 私の今の状態を心配した元婚約者候補の人達も居合わせたかったらしいけれど、あまり人数が多くなると失礼になると言って田神先生が却下したらしい。


 応接室の上等な椅子に望さんを座らせた朔夜さんは、「さて」と呟いて私に視線を向けた。


「とにかくまずは彼女の血が今どういう状態なのか調べてみるか」


 そうして近づいてくる朔夜さんに永人が少し前に出て質問を投げかけた。


「……何をするんですか?」


 珍しい永人の敬語に驚いてポカンとしてしまう。



「少し血を舐めてみるだけだ。……まあ、“唯一”なら気分のいいものじゃないだろうが。調べるためだ、我慢しろ」


 朔夜さんの言葉に永人は少し悔し気な表情をしつつ、場を譲るように私の隣に戻った。



「さて、まあ少量でいいだろう。手を出せ」


「は、はい」


 逆らう気になんて全く思えない命令に素直に従う。


 手を出すと、完璧なまでに美しい男の手が私の手に触れる。



「っ!」


 それだけでも緊張するのに、朔夜さんはためらいもなく私の人差し指に牙を立て、ぷくりと出てきた赤い血を舐めとった。


 何とも言えない恥ずかしさに息を止めてしまう。



 この人は嘉輪のお父さん、嘉輪のお父さん!



 そう言い聞かせていないとどうにかなってしまいそうだった。


 友人の父とは思えないほど若々しくて、カッコイイ大人の男性。


 永人という大切な人がいても、惑わされてしまいそうになる色気。



 これが純血種なんだって本能で理解した。


「ふむ……」


 そう呟いて手が離されると、私はすぐに彼から距離を取り永人のそばに寄った。



 やばかった……。


 指から血を舐めとられただけなのに、気力をごっそり奪われた感じ。



 いつもはドキドキして癒しになんてならないのに、今は永人のそばが一番ホッとした。


 そんな私の手に永人は指を絡めてくる。



 まるで指を舐められた感覚を消し去るように、上書きするように指先を撫でながら手をつながれた。


 無言で、さりげなくされたその仕草にトクンと胸が高鳴る。



 純血種相手に強気に出られなくても、永人はいつでも私を求めてくれる。

 さりげなくても、その独占欲が嬉しかった。

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