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第68話 血液パック

「さ、飲むぞ」


 そう覚悟を決めたように意気込んだのは目の前に座る忍野君。

 気合を入れて赤い液体が入った飲料パックに直接口をつけた。


 それを見ながら私と永人は飲料パックの中身をグラスに注いでいく。



 今日は吸血鬼になってしまった私が初めて血液パックの血を飲むということで、それを聞きつけた忍野君が何故か先輩風を吹かして「一緒に飲もうぜ!」なんて提案をしてきた。


 でもその割に彼はまだ慣れていないのか、一気に血を飲み干した後物凄く気持ち悪そうにしている。



「うぅ……やっぱり気持ち悪いって思っちまうなぁ……」


 と呟きながらも、先輩風を吹かした手前もあるのか幾分表情をキリッとさせて私を見た。



「香月も元は人間なんだから、多分血を飲むことに抵抗があると思うんだ。でもとりあえずこうやって一気飲みすれば何とか飲めるから」


 なんてアドバイスしてくる。


「あはは……そうだね、一気にいってみる」


 一応そのアドバイスを聞き入れつつ、多分私は忍野君ほどの抵抗はないんじゃないかな? と思った。



「聖良、指貸せ」


 隣に座る永人が短くそう言い、差し出した私の手の親指を少し切る。


「っ」


 わずかな痛みに少し眉を寄せてから、私は永人の分のグラスに自分の血を一滴落とす。


 そして永人も同じように自分の指先に傷をつけ私のグラスに血を一滴落とした。



「……ちなみに何してんだ、それ?」


 その行動を一通り見届けてから忍野君が聞いて来る。


「ああ、これはね」


 と、私は自分の分のグラスを持ちながら答えた。



「主に永人に必要なことなんだけど……。永人、私の血以外はあまり飲めなくなってて……」


「ああ、そういえば“唯一”を見つけた吸血鬼は相手の血しか受け付けなくなることがあるって聞いたことあるな」


 忍野君はどこからかそんな情報を聞いていた様で、そのままスムーズに話が進む。



「でも私、嘉輪の純血種の血が入っちゃったでしょう? 純血種の血は普通の吸血鬼には強すぎて危ないんだって」


「へぇ~それは知らなかった。やっぱり純血種って色んな意味で特別なんだな」


 その相槌にコクリと頷いて続けた。



「だから、こうやって血液パックに私の血を一滴だけ混ぜて慣らしていけばいいんじゃない?って嘉輪が」


 説明しながらそれを話してくれたときの嘉輪を思い出す。


 自分の母親もそんな感じで慣らしていったんだと説明してくれた。


 ただ、その後で何とも言えない表情をしてなにやら呟いていたんだけど……。


「お父さんには別の目的もあったみたいだけど……」


 って、どういう意味だろう?



 まあとにかく、ちょっと混ぜるだけでいいならやってみるのも良いかも知れないということで今回試すことにした。


「それと、私にとっても永人は“唯一”だから、こうした方が飲みやすいんじゃないかって」


「ふーん……」


 そんなもんなのか? という感じの相槌を打った後、忍野君は「ん? でもさ」と疑問を口にする。



「香月の場合は直接吸血でも良いんじゃないか? 別にどうしても人間の血じゃなきゃダメってわけじゃなかったはずだろ?」


「まあ、それは……」


 聞いた話でしかないけれど、吸血鬼の血も結局のところは人間の血が変化しただけだから、食料としては成り立つのだとか。


 だから忍野君の言う通り、私の場合は永人の血を直接吸血してもいいってことになる。

 永人は特に拒んだりしないから、違法吸血にもならないし。



「俺は相手がいないから分かんないけど、直接吸血の方が飲みやすいって聞いたぞ? なんで血液パックで飲むんだ?」


 それは純粋な疑問。

 でも純粋だからこそちょっと話しづらかった。


「……その……一度は試したんだけどね……」


 と答えつつ言葉を濁していると、今まで忍野君を半無視状態にして黙っていた永人が私の顔に手を伸ばしてきた。



「俺はそっちでも良いんだけどな?」


 そう言ってニヤリと笑い、近づいてきた彼の手が私のあごをスルリと撫でる。


 妖しい手の動きに以前試したときのことを思い出し、私はカァッと顔全体を赤くした。




 以前忍野君が血液パックで血を飲んで、気持ち悪そうにしていたことを覚えていた私。


 だから「直接吸っても良いぜ」と言う永人の言葉もあって、直接吸血を試みたんだ。



 初めてのことだからどうすればいいか分からなかったけれど、試しに永人の首筋に顔を近づけてみたら自然と犬歯が伸び始めた。


 皮膚の下にある血流を感じ取り、ああ、ここに咬みつけばいいんだって自然と分かる。



 あとは吸血鬼としての本能に身を任せれば簡単だった。


 咬みつき、溢れ出てきた永人の血は甘くて……。

 人間だった頃に感じた生臭い匂いなんてしなかった。


 ただひたすら甘くて良い香りがして……。

 素直に美味しいと思った。



 そして“唯一”だからなのか、ほんの二口ほどで満足出来る。


 最後に舐めとって、咬み傷を塞ぐ。


 その痕が本当にキスマークみたいで……。


 まるで私が永人にキスマークをつけてしまった様な気分になって、このときやっと恥ずかしさが湧いてきた。



 でも、本当に恥ずかしいのはその後だったんだ。



「永人の血、飲めたよ。これなら私血液パックは必要ないかも……永人?」


 恥ずかしさを誤魔化すように出来る限り普通の声で伝えると、永人の様子がおかしいことに気づいた。


 何だか苦しそうにも見えて心配になる。



「永人? 大丈夫? もしかして吸いすぎた?」


 でも二口しか飲んでないんだけどな? と疑問に思いながら彼の顔を覗き込む。



「……っはぁ、聖良……」


 目が少し潤み、熱っぽくも見える。


 色気すら出てきそうな熱い吐息と共に私の名を呼んだ永人は、両手を伸ばし私の頬を包む様に掴んだ。



「永人?」


 大丈夫? と続けようとした言葉は彼の妖しい笑みに止められる。



「聖良……これ、ヤベェ……」


「え? これって?」


 何のことか分からなくて聞き返すけれど、ゾクリと私の心を震わせる瞳に何となく嫌な予感がした。



「直接吸血による性的快感だよ。……好きな女に吸血されたら、こんなにクるとは思わなかったぜぇ?」


「え……えと、永人?」


「っはぁ、我慢出来ねぇ」


「んぅっ!」


 言うが早いか、頭を掴まれ逃げられない私は唇を奪われる。


 熱い舌がすぐに私の唇を割って入ってきて、絡め取られた。


 息つく暇もなく翻弄されて、永人の熱が私にも移ってしまったかのよう。



「っは……なが、と……んっ」


 わずかに離れた瞬間に待ってと言おうとするけれど、その言葉を紡ぐ前にまた塞がれる。


 永人自身、いつもの余裕がなくなっているのか動きが性急な気がした。



 これは、以前してくれた熱を治める優しいキスじゃない。

 むしろ、更に高めるような……。



 強く吸われて、全てを奪われそうになる。


 舌も、唇も、吐息も……理性さえも。



 キスだけでとろとろに溶かされた私は、求められるがままに自分の舌でも応える。


 永人の肩に手を置き、ギュッと握る。


 そうすると、頬を掴んでいた彼の手が片方下に降りていく。



 わき腹をなぞるように降りた男らしい硬い手のひら。

 それが後ろに回り、腰をグッと引き寄せられる。


「っはぁ……聖良……」


 欲のこもった呼び声。


 伏せられていた瞼を上げると、強い執着を宿した黒い瞳と目が合う。



 ゾクリと震えた心は、きっと喜びを感じている。


 好きな人から求められる喜び。


 私がずっと欲しかったもの。


 体もピッタリとくっついて、ゼロ距離の体は布越しに熱くなったお互いの肌を感じ取る。


 本当に理性が溶けて消えてしまいそうになると、永人は笑みを浮かべて私を誘った。



「なぁ、聖良……。このまま、シていいよな?」


 この状態で拒まれるとは思っていないんだろう。


 その目を欲望に染めていても、微笑みはひたすらに甘かったから。



 ……でも。



「――っ! だめぇ!」


 私は溶けかけていた理性をかき集めて拒絶した。



「永人、ストップ! いくら何でもここではダメ!」


 しっかり“命令”もして、彼を止める。


 だって、今いるのは学園の保健室。

 高峰先生は今はいないけれど、いつ戻って来てもおかしくない状態。



 お互いが承諾している吸血行為ならともかく、永人が望むようなことは流石に出来るような場所じゃない。


 そんなこと永人だって分かっているはずなのに、甘い微笑みを瞬時に怒り交じりの不満顔にしていた。



「聖良ぁ……てめぇ、この状況で止めるとか生殺しじゃねぇか!」


 欲望をその目にまだ宿しながらも、永人は忠実に私の“命令”に従う。

 まあ、契約しているんだから彼の意志とは関係ないんだろうけれど。


「で、でもやっぱりここではダメ!……その、今度……ちゃんと二人きりのときなら、その……」


 言葉の終わりは濁してしまったけれど、二人きりならいいよと暗に伝える。



 元々彼の手を取ったときからそうなっても良いと思っていたから。


 色々あって未だになされてはいないけれど、ちゃんと二人きりのときにそういういい雰囲気になったなら拒む理由はない。



「だから、今は我慢して……?」


 そのお願いが今の永人には酷なことだってのは分かっていたけれど、今はどうしても無理だったからそうお願いする。



 永人は思いっきり渋い顔をしてから、「はあぁぁぁ……」と大きなため息をついた。



「わーったよ。でも次は止めねぇからな?」


「うっ……わ、分かった」


「あと、キスくらいはさせろ」


「あ、うん。……でも男の人もキスで落ち着けるの?」


 私のお願いを聞き届けてくれた永人にホッとしつつも、大丈夫なのかと心配にもなる。


 私の場合は優しいキスを繰り返すことで徐々に落ち着けたけれど、男の人も同じなんだろうか。



「落ち着けねぇよ。でも、それでももう少ししたいんだって言ってんだよ」


「っ!」


 熱を逃がす方法にはならないのに、それでも欲しいと言われてどうしていいのか分からなくなる。



「でも、それじゃあ永人は辛いんじゃあ……」


「いいから、キスさせろ」


「う、うん」


 熱っぽい吐息とともに求められ、許可を出してしまう。


 すると永人は動けるようになったみたいで、不満そうにしながらも唇を重ねた。


 熱がまた暴れださないようにか、そのキスは優しかった。


 唇の形を確かめるように触れて、ついばむ。


 互いのぬくもりを分け合うように、ただ触れる。


 そんなキスも、永人が本格的に辛くなる前に終わった。



 そのあと熱を落ち着かせてきた永人に言われたんだ。


「次直接吸血するときは、邪魔が入らなそうなところでちゃーんと最後までしようぜ。なぁ、聖良?」


 って、色気すら垣間見せてそう誘われた。



 だから、次に直接吸血するってことはそういうことも同時にって意味で……。


 永人が「俺はそっちでも良いんだけどな?」なんて言うのはつまりはそういうことで……。



「な、永人への直接吸血は……その、色々と覚悟が必要だから……」


 意地悪な表情で誘う永人をスルーして、私は忍野君にそう説明した。


 でも私達の様子から何かしらの事情を感じ取った忍野君は……。



「あー、うん。なんとなく分かったよ……まあ、頑張れ」


 と、生ぬるい視線付きで激励の言葉を口にした。



「あ、ははは……」


 もはや私は笑って誤魔化す以外にない。


「とりあえずこれ飲んでみるね」


 と、持っていたグラスを口につける。



 永人の血を直接吸血したときのようないい香りはしない。


 味は落ちるものだと思って、忍野君のように一気に飲んでしまった方がいいかも知れない。


 そう覚悟を決めて、一気にゴクゴクとグラスの血を飲みほした。



 一滴とはいえ永人の血が入っているからか、拒絶するほどの気持ち悪さはない。


 でも、多少の生臭さは感じてしまって……。



「……マズイ」


 吐き出すほどではないし、飲むには飲めるけど……。



「まあ、でも拒絶する程じゃねぇな。聖良の血が入ってない状態だとマズすぎて下手すりゃ吐くから」


 と永人は言う。


「そうなんだ?」


 聞き返す私に、彼は意味深な笑みを浮かべて話し出した。



「初めてお前の血を飲んでからその甘さの虜になっちまったのかなぁ? “唯一”だからってのもあったんだろうが、他の血がマズくてマズくて……」


「え、そんなに?」


「ああ、だから今もこんなんじゃ物足りねぇ。……早く強くなっちまったお前の血に慣れて、直接吸血してぇよ」


「っ!」


 何だか、永人の視線が妖しい。


 私が欲しいと言われている様で、ドキドキと体温が上がってきてしまう。



 なんて答えようかと内心アタフタしていると、彼の手が伸びてきてその親指が私の唇を拭った。


「ふぁ⁉」


 驚いて変な声を出す私に、永人はニヤニヤと若干腹の立つ笑みを向ける。



「俺ですらそう思うんだ……聖良、お前はいつまでこのマズイ血液パックを我慢出来るんだろうなぁ?」


「っっっ⁉」


 それは暗に、我慢出来なくなって直接吸血すれば良いのに、と言っているんだろうか。


 つまり、早く俺のものになれ、と……。



 それを嫌でも読み取ってしまい、私は声も出せずに顔を赤くさせる事しか出来ない。


 恥ずかしくて、永人のニヤニヤが腹立たしくて。

 いっそ殴ってやりたい表情だけれど、そんなことしたら後悔するのは目に見えてるし。



 ちょっと痛い目にあえばいいと思って彼の顔面を殴ってぶっ飛ばしてしまったことは記憶に新しい。


 力加減出来ればいいんだけれど、その辺りはまだ私はうまく出来ない。



 いくらイラっとしたとしても、好きな人をぶっ飛ばすほど殴りたいわけじゃないから……。


 だから、結局私は永人の手を振り払うことも出来ず顔を赤くしてプルプル震えることしか出来なかった。



「俺の血の味、覚えてんだろ? 直接飲みてぇんじゃねぇか?」


「んな⁉」


 私が黙っているのをいいことに、永人は更に誘いをかけてくる。



 確かに永人の血は美味しかったし、直接吸血ですむならそれが一番いい気もする。


 でもそれは、永人が発情しなかったらの話だ。


 この間みたいになるのは……ホント、もうちょっと私の心の準備が出来てからにしたい。



「俺はいつでもいいんだぜぇ? 俺はお前のものだし? お前が一言『欲しい』って言えばいいだけだ」


「そ、そんなの言えるわけ――」


「言いたくなるさ。“唯一”の血の味を覚えちまってるからなぁ?」


「ぅぐっ」


 その通り過ぎて言葉が出てこない。



 まさかそのために一番最初の吸血を直接吸血させたんじゃないでしょうね⁉



 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる永人を見ていると、そんな疑いさえ抱いてしまいたくなる。


 それほどに永人の血を直接飲むということは魅力的な誘いになっていた。



 で、でもここで今言うわけには……。



「……あのさ、お前ら俺のこと忘れてないか?」


 色々と葛藤していると、忍野君がためらいがちに声を上げる。


 すると永人の表情が一気に不機嫌なものに変わり、「チッ」と舌打ちが聞こえた。



「邪魔すんじゃねぇよ。また蹴られてぇのか?」


「こっわ! 香月、お前の彼氏マジ怖いんだけど⁉」


「あー、えっと……とりあえずごめん」


 永人の態度と、事実彼の存在を忘れかけていた事への謝罪をする。


 あえて何に対する謝罪かは言わないでおいた。



「怖いし目の前でイチャつかれるし……いいよ、俺次からは一緒に血液パック飲もうなんて誘わないから」


 そう言って不貞腐れた忍野君は、最後に「俺も“唯一”に出会いたいなぁ……」なんて呟いていた。

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