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第65話 主従の契約 ③

「っぷはっ!」


「よし、飲んだな」


 やっと鼻から手を離し唇も離した永人は、いつもの意地の悪そうな笑みを浮かべて満足そうに言った。



 何? 何だったの?



 先ほど飲まされたものが、私の中で温かく溶けていくような感じがする。


 これ、何だったの?



 永人の腕に抱かれたまま息を整えている私は、ただ疑問を募らせた。


 その間に周囲が色めき立ちながら話し始める。


「おい岸! お前今なにをした⁉」


 田神先生が近づいて来て永人の肩を掴む。


 そんな田神先生を小ばかにしたように、ニヤリと笑う永人はとんでもないことを口にした。



「何って……聖良に俺の血の結晶を飲ませたんだよ」


「なっ⁉」


 永人の言葉に、田神先生だけじゃなくこの部屋にいるすべての人が騒めく。



 血の結晶を……飲ませた?



 血の結晶って、確か吸血鬼本人と言われるもの。


 作り出すのに一か月はかかるって聞いたけど……。



「そんなものをいつの間に⁉」


 同じことを思ったらしい田神先生が問い詰めると、永人は何でもないことのようにしれっと答えた。



「そりゃあひと月ほど前から? 月原家で儀式のことを聞いてから、あればいざというとき使えそうだと思ってよぉ」


 出来たのは昨日だからちょっとギリギリだったけどな。とも付け加えていた。



 ってことは本当に血の結晶を飲まされたの?


 血の結晶ってことは血婚の儀式?


 ……いや、違うか。




 血婚の儀式は相手、つまり私の血を混ぜなきゃならない。


 ということはもっと前、大元になったっていう……。



「主従の儀式か……」


 田神先生が悔し気に呟く。


 そうだ。


 ハンターが無理矢理奪って飲み込んだという隷属の儀式とは違うから、主従の儀式ってことになる。


 私が主で、永人が従う側。



「でも、何でそんなこと……」


 やっと息も整って来て疑問を口にする。


 今それをする意味があるんだろうか?



 私の疑問に永人は腹が立つほど得意げな顔で答えた。


「血の結晶にまつわる儀式は吸血鬼にとって本当に特別なんだよ。血の結晶は作り出した吸血鬼、本人そのものと言って良い。それが主の体の中にある。つまりは、引き離すことは絶対に出来ねぇ」


 吸血鬼にとって血は特別な意味を持つ。


 今のお前なら分かるだろう? とニヤついた顔で言われた。



 確かに分かる。

 分かってしまった。


 吸血鬼にとって、吸血鬼の血そのものが特別なんだ。



 なんて言うんだろう……?


 誇りを持っているっていうのに近い気がする。


 それにもっと強制力が加わったような感じ。



 自分の意志では抗えないほどの誇り。


 それゆえに、主従の儀式は絶対。


 吸血鬼なら、その抗えない誇りゆえにその主従を引き離すことが出来ない。



「でも、私達が一緒にいることを反対しているのはハンター側もだって……」


 嘉輪の話を思い出しながら言う。


 確か、特別になってしまった私に永人はふさわしくないとかなんとか……。



「そっちは大丈夫だろ。反対って言ってもどちらかというとって感じみてぇだったし? 全員が反対なわけじゃないみてぇだからなぁ」


 上層部の決定は大体多数決だから大丈夫だろうとのことだった。



「……なるほど」


 私が納得の声を上げると、同時に永人の肩から田神先生の手が離れる。


 チラッと見ると、ショックなのか愕然とした様子だった。



 田神先生は私達を引き離したかった方なんだね……。


 少し悲しく思いながら視線を永人に戻す。



 にやけた、満足そうな顔。


 さっきまでの悲しそうな諦めきった微笑みは欠片もない。



「……ってことはさっきまでの態度は……演技?」


「まぁな。肝心な部分で邪魔されちゃあ元も子もないからなぁ。油断させねぇと」


「そう……」


 その演技に私も騙されてたってわけか。



 ……。


 ……ふふ。



「本当は諦めてなんかなかったんだね。離れるようなことにならないみたいで良かった。ありがとう永人」


「ったりめぇだろ? 俺の執着なめんなって言っただろうが」


 笑顔でお礼を言うと、抱き締める腕に力を込めてそう言われた。


 好きな相手に抱きしめられて嬉しい。


 離れ離れにならずに済みそうで嬉しい。



 嬉しい……けど。




「永人、一回離れて腰を落として、歯食いしばって」


 ニッコリ笑って命じた。



 主としての命に、口ごたえする暇もなく永人は私から腕を離しグッと歯を食いしばる。


 でもその目は私の突然の命令に驚いていた。



 そんな彼から大きめに一歩離れて私は構える。



「永人と一緒に居られて嬉しいよ。……でもね」


 と、笑顔から一変してまなじりを釣り上げた。



「忍野君といいあんたといい、勝手になんてもの飲ませてくれるのよぉ!」


 叫ぶと同時に、さっきまでにやけていた顔面に拳を入れる。



 鬼塚先輩に教わっていた正拳突き。使いどころがあって良かったな。



 なんて考えながら。




「ぐはぁっ!」


 でも、すぐに後悔することになった。


 だって、殴った岸が壁の方にまでとんで行ってしまったんだもの。



 壁に当たってズルズル床に落ちる様子に、室内がシンと静まり返る。


「……え?」


 そんな静かな空間で私の声がやけに大きく聞こえた。



 数拍後、「お、お姉ちゃん……?」という愛良の戸惑いの声が聞こえてきて、次に「聖良……」と嘉輪の呆れた声が私にかけられる。


「あなた、自分が純血種の血を受けて吸血鬼になったってこと忘れてない?」


「え?」


 軽く振り返って困り笑顔を浮かべている嘉輪を見た。



「血を受けただけで純血種と同等になるわけじゃないけれど、それでも他の吸血鬼よりは強い存在なのよ?」


「……え?」



 吸血鬼の血の力みたいなものは感じるから吸血鬼になった自覚はある。


 でも、他の吸血鬼とそこまで差があるとは思っていなかった。



「しかももう完全に動けるようになったみたいだし……。思い切り殴ったらこうなるのは当然ね」


 最後にはそう言って呆れのため息をつかれてしまう。



 ……つまり、今のこの状況は紛れもなく私がやったことってわけだ……。



「っ! ごめん永人!」


 理解すると流石に罪悪感の方が勝る。



 だって、仕方がないとは言え騙されて血の結晶を飲まされたんだ。


 少なからず腹は立つし、その分くらいは痛い目見てよって思って殴った。


 その程度の気持ちだから、こんな明らかにケガをするような正拳突きをするつもりなんてなかったんだもの。



 駆け寄ると、永人の意識はちゃんとあった。


 回復もしてきているようでパッと見は殴った部分が少し腫れている程度に見える。



「だ、大丈夫?」


 近くで声を掛けると、少しムスッとされた。


「はぁ……俺より強くなってるとか……俺、カッコ悪ぃじゃねぇか……」


 怒ってはいないみたいだったけれど、何だか落ち込ませてしまったみたいだ。


「い、いや。でも頼りにしてるよ?」


 なんて慰めの言葉を掛けてみたけれど今は届かないみたいだった。



 そうしていると、「くはっ!」っと噴き出すような声が聞こえる。


 見るとそれは鬼塚先輩だった。



「ここで俺が教えた正拳突きとか……聖良、お前最高」


 この状況で私が正拳突きしたことがかなりツボに入ったのか、鬼塚先輩はそのまま一人で大笑いし始める。


 その笑い声が響く中、私は途方に暮れたように室内を見回した。



 田神先生や他の大人たちは苦みを帯びた表情。


 愛良や嘉輪は呆れつつも「良かったんじゃない?」という感じの笑顔。


 H生は私よりも鬼塚先輩を見てドン引きしている。



 婚約者候補の人達は複雑な表情をしつつも「良かったな」という雰囲気。


 ただ、その中で忍野君だけが何故か青ざめていた。



 どうしたのかと見ていると視線が合って、ビクリとされる。


 そのままそろそろと視線をそらされ、ススス、と石井君の陰に隠れられてしまった。



 ん? もしかしてこれ怖がられてる?


 殴ったとき忍野君のことも言ったから?


 いや、こうなるの分かってて殴ったりはしないから!



 内心突っ込みつつ最後に零士を視界に映す。


 分かってはいたけれど、零士は今の状況なんて本当にどうでも良いんだろう。


 愛良しか見ていない。


 どこまでもブレない零士はもはや驚嘆の域に達していると思う。



 そうして永人に視線を戻すと、彼は「いてて……」と顔を歪ませながら鼻の辺りを押さえていた。


 それに対してまた「ごめんね」と話しかけながら考える。




 永人と離れずに済みそうで良かった。


 でも、永人より強くなってしまった上に彼を従わせる主になってしまった。



 好きな人を従わせるとか、私そんな趣味無いんだけどな。



 さっき命令したことは棚に上げつつ、そう思う。




 色んな不安を抱えつつも、とりあえずはハッピーエンドなのかな? と、自分を納得させたのだった。

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