人間が吸血鬼になったとき、動けるようになるまでは基本的に丸一日かかるらしい。
ということで、私が岸と会わせてもらえることになったのは翌日の夕方だった。
私は何とか支えがあれば動けるといった状況。
上層部も私達と同じことを考えているのかもしれないと嘉輪は言った。
「聖良がちゃんと動けるようになったら逃げるかもしれないと分かっているんでしょうね……。何がなんでもこの時間じゃなきゃ会わせないと言ってきたわ」
まるで悪態をつくように舌打ちしている。
「……でもどうして上層部はお姉ちゃんを手元に置こうとするの? 前まではそこまでどうしてもって感じじゃ無かったのに」
私の左側を支えてくれている愛良が嘉輪に聞いた。
その質問に私もそういえば確かに、と思う。
私の扱い方をどうするか定まっていないとは聞いたけれど、基本的には愛良のおまけって感じだった。
ここまで念入りに引き止めようとする感じじゃなかったと思う。
でもその答えはすぐに右隣から出された。
「……多分、私のせいでしょうね」
「え?」
「今までも吸血鬼になった“花嫁”はいたわ。でも、純血種の血を入れられた“花嫁”は一人もいないの」
「それは……」
正直、何が違うのかわからない。
そんな戸惑いを表情から感じ取ったのか、嘉輪は続けて説明をしてくれる。
「純血種と“花嫁”。どちらも別の意味で特別な血を持っているわ。その特別な血がかけ合わさったら、どうなるのか誰にも分からないの」
「……」
「……」
愛良と二人黙り込む。
誰にも分からないって……私、どうなっちゃうんだろう……?
「で、でも! それならそれで別に岸さんとお姉ちゃんを離す必要は無いんじゃないの?」
私がどうなるか。
その不安を振り払うかのように愛良は別の質問をした。
そういえばその辺りの理由はちゃんと聞いていなかった。
「それは単純明快よ。岸が邪魔なの」
「は?」
「どうなるか分からないと言っても、聖良の血が特別なことに変わりはないわ。上層部の吸血鬼は身内をあてがいたいし、ハンター側もほとんどがそんな特別な聖良に素行の悪い岸は釣り合わないと考えてる」
「はぁ⁉」
その説明には、流石に怒りが勝った。
好きになったり結婚する相手を何で第三者に決められなきゃないの⁉
愛良に五人の中から選べと言って来た時もどうかと思ったけれど、今回もまさにそれだ。
愛良はその中に想い合える相手を見つけることが出来たからまだ良かった。
でも、私の場合はその想い合う相手を引き離したうえで誰かをあてがわれるってこと?
冗談じゃない!
「そんな理由で引き離そうとするなんて……」
愛良はそこまで口にはしたけどショックで続きが言えないようだった。
私はあまりにもな話に怒りで声が出ない。
「そうね。だからこそ私はなおさら聖良達を引き離したくないのだけど」
嘉輪の声にも幾分怒りが見え隠れする。
でも、逃げるための具体的な言葉がないことでどうやって逃げればいいのかは嘉輪にも分からないんだと知った。
「……とにかく、逃げるためのチャンスを見逃さない様にしましょう」
「うん」
私は頷いて、前を見る。
諦めない。
諦められない想いだから。
だから、絶対に逃げ切ろう。
もうすぐ会える私の“唯一”に向かって、心の中で語り掛けた。
***
連れて来られたのはいつもの会議室。
見届ける為か見張りの為か、いつもより人が多い気がした。
田神先生や零士、婚約者候補の五人。
あとは何故か鬼塚先輩や弓月先輩といったH生もいた。
それ以外にも大人の人が数人。
この人達を振り切って逃げられるかな?
逃げると決意したけれど、流石に不安が頭をもたげる。
でも、そんな不安も何もかもが、一人の姿を捉えた瞬間に吹き飛んだ。
「聖良っ!」
「っ岸!」
支えてくれている二人から離れて、ただ一人を求めて足を進める。
でもまともに歩けない私は数歩でふらついてしまって……。
「聖良っ」
同じく駆け寄ってきてくれた岸が支えてくれた。
その腕につかまり彼の様子を見る。
顔色が悪い、ということはないから聞いた通り体調は良いんだろう。
でも、明らかに気疲れしている様子。
私の顔を見て、その表情が少しだけ緩んだ。
「聖良……無事だな?……本当に、生きてるんだな?」
私の両頬を包み込み、確かめるように何度も確認してくる。
私は会えた喜びで胸がいっぱいで、「うん、うん……」としか返事が出来なかった。
ひとしきり質問した後、やっと私が生きているということを実感できたようできつく抱き締められた。
苦しかったけれど、でも離してほしくも無くて私も岸の背中に腕を回す。
監視はされているんだろうけれど、あからさまに拘束されているわけじゃなくて良かった。
そうなっていたら、こんな風に抱き合うことすら出来なかっただろうから。
互いの体温が分かるくらい抱き合ってから、少し力を弱めた岸がポツリと話し出した。
「聖良……俺はお前と離されてある街に送られるらしい」
「うん、聞いた……でもっ!」
離れたくない。
そう続けようとした言葉は紡げなかった。
「離れたくないな……」
同じ気持ちの言葉を口にしているのに、岸の表情は……。
「せっかく、手に入れたのに……」
優しく、でも悲しそうに……。
「今度こそ、離さないって思ってたのになぁ……」
諦めの顔をしていた……。
「いや……嫌だよ。なんで、そんな顔してるの?」
まるで、離されるのが仕方ないと思っているような表情。
私は諦めないって決めてるのに、どうしてあなたはそんな顔をするの?
すでに諦めているような岸が信じられない。
あれほど求めてくれていたのに、どうして? という思いばかりが浮上する。
その思いが、涙となって目を潤ませた。
「聖良……」
「嫌だよ。岸……どうして……?」
諦めないと言って。
そう願いを込めて見つめ続ける。
でも岸は悲しそうに微笑むだけだった。
「お願いだから、そんな顔しないで。岸」
「……俺も、お願いがあるんだが」
「え?」
私が願いを口にしていると、岸の方からも突然お願い事をされる。
「呼び方。両想いになったんだし? 名前で呼んでくれよ」
「名前って……」
そんな、一緒にいることを諦めているかのような顔をしてするお願いだろうか?
まさか最後のお願い、なんて言わないよね……?
不審に思いながら見上げていると。
「もしかして、俺の名前知らねぇの?」
と、挑発するように言われた。
ムッとする。
そんな風に言われたら、呼ぶしかないじゃない。
「知ってるわよ……
「ああ、聖良……」
名前で呼ぶと、とても……とても幸せそうな笑みが浮かぶ。
でも、今の状況だとその笑顔ですら悲しく思えて……。
胸がギュッと苦しくなった。
「永人……」
もう一度名を呼び、涙が滲む。
そんな私に、岸は――永人は語りかけた。
「もっと呼んでくれ、聖良」
片手がまた私の頬を包み、顔が近づく。
キスされるんだと分かった。
普段だったらみんなが見ているからと拒否するところだけれど、今この瞬間の逢瀬しかないというならば受け入れたい。
まだ、諦めて欲しくないと願っているけれど……このキスを拒む理由はなかった。
そして唇が触れる直前、ひそやかに語られる。
「そうして名前で呼んでくれる限り、俺はお前の望むとおりにするから……」
「え――っん」
聞き返そうとする言葉は、永人の唇に押し込められた。
今のはどういう意味?
そう聞きたいのに、キスは深くなるばかりで……。
「んっんんぅ⁉」
違う。
深いというより、完全に塞がれている。
キスをされながら鼻だけで息をするのも限界がある。
それなのに、永人は私の鼻をつまむように手を動かした。
「っ⁉」
何⁉ 何なの⁉ 窒息させたいの⁉
永人の行動の意味が分からなくて混乱する。
何がしたいの⁉ と心の中で叫んでいると、舌の上に何か硬い感触を覚えた。
永人はそれを喉の奥へと押しやってくる。
飲み込め。
そう言われているんだと判断した私は、息苦しさもあって自分から喉の奥へとそれを移動させた。
「……おい、何をしてるんだ⁉」
そんな田神先生の声が聞こえたと同時に、私はそれをゴクリと飲み込んだ。