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第63話 主従の契約 ①

 夢を見た。



 真っ白な世界が、赤黒く塗りつぶされていく夢。


 徐々に暗くなる世界。



 でも、不思議と恐怖は感じなかった。



 なぜなら、目の前でずっと一人の少女が優しく笑って私を見ていたから。


 愛良と同じくらいの年齢。


 そう思ったら、見た目も愛良に似ている様に見えてきた。



 赤黒く染まった世界で微笑む少女は、私に白く光る欠けた球体を差し出してくる。


 良く分からないまでもそれを受け取ると、その球体は私の中に吸い込まれた。



 ふと気づくと、少女の姿も消え失せていた……。




***



 まぶたが上がる。


 少しボーッとしてから、やっと意識も追いついてきた。


 少しずつ、考える力も戻ってくる。



 ここ、私の部屋?


 私、どうしたんだっけ……?



 直前まで夢を見ていたせいもあって記憶があやふやだ。


 だから一つ一つ思い起こす。



 確か、そう。学校帰りに岸が迎えに来てくれたんだ。


 会いたいと思っていた相手。


 会えた喜びと、みんなへの罪悪感は今でも思い出せる。



 そして、月原家の男に連れられて別邸に行き、シェリーと再会した。


 そのまま戦闘になって、どういうわけかシェリーが月原家に見捨てられて……。


 そうだ。

 それで逃げるための力を得るためにって私は彼女に血を吸われて――。


「っ!」


 思い出し、ゾッとした。



 あのとき、おそらく必要以上に血を吸われたんだろう。


 吸血の熱の後に感じた寒さと気持ち悪さを思い出し、死の恐怖も思い出す。



 でも、すぐに恐怖より胸の苦しさが心を占める。



『嘘だ……聖良……嫌だ、行くな……』


 岸の悲痛な声が蘇る。


 あんな顔、させたくなかった。



 彼の思いに応えて、そうすることで喜ぶ顔が見たかった。


 母親のことで辛い思いをしたという彼に、私はそばにいると言って抱きしめたかった。



 でも、それをすることなくあんなことになって……。



 ……私は、死んだの?



 自分に問いかけるように考える。


 でも、直前に嘉輪が来て言った。



『聖良、どんなことになっても生きたい?』


 って……。



 あのときはとにかく死にたくないと思って、深く考えずに頷いた。


 でも、今よく考えるとあの問いって……。



「聖良……?」


 ひそやかに、声が掛けられる。


 どうやら近くに誰かいたらしい。



「お姉ちゃん?」


 愛良の声も聞こえて、私の視界に二人の顔が入る。



 愛良と嘉輪の心配そうな表情があった。


 愛良だけだったら夢の続きかと思ったかも知れない。


 でも、嘉輪の姿もあったから現実だと分かる。



 ……そっか、よかった。

 私、生きてるんだ……。



 二人の顔をちゃんと見ようと首を動かそうとして気づく。


 あれ……?



「動け、ない……?」


 しばらく寝ていたからなのか、かすれた声が口から出た。



「今はまだ吸血鬼になるために血が変化している最中のはずよ。動けないのはそのせいだから、怖がらなくていいわ」


 知らず怯えた声になっていたんだろう。


 嘉輪が優しく教えてくれた。



 そっか……。

 やっぱり私吸血鬼になるんだ。



 忍野君から聞いた通りの方法なら、吸血鬼の血が入れられたってことだ。


 あのときそばにいたのは二人。


 もしかして……。



「私に血を入れたのって……」


 すぐにでも会いたい人の顔が浮かぶ。


 この場にいてくれないのはどうしてなんだろう?



「聖良に血を入れたのは私よ」


 予想に反した答えに「え?」と軽く驚きを見せる。


「本来ならあなたを“唯一”としている岸がやるのが一番良かったんだろうけれど……。でも、彼直前に血を流していたでしょう? あの状態で聖良を吸血鬼にするほどの量を流し込んだら彼の方が死んでしまっていただろうから……」


 説明に納得した。


 私が死ななくても、岸が死んでしまったら意味がない。



「……その岸は……どこにいるの?」


 最後に見た顔が忘れられない。


 私はちゃんと生きているよって知らせたい。



 でも、それを聞いた途端嘉輪は押し黙った。


 心配そうに私を見ていた愛良も、悲痛な表情になる。



「っお姉ちゃん……。あの人は……」


 愛良は説明してくれようと声を出すけれど、かなり言いづらいことなのかそこから先を言えないようだった。



 何?

 どうしたの?


 嘉輪の話の流れだと、少なくとも死んでしまったとかいうわけじゃないだろうし。


 それとも思ったより傷が深くて後から何かあったとか?



 不安がる私に答えをくれたのは、やっぱり嘉輪だった。


「一応言っておくけど、彼自身に何かあったわけじゃ無いからね?」


「そう、なの?」


「ええ、少なくとも体調が悪くなっているとかではないから。……あなたの事が心配で少し焦燥しょうそうしているけれど」


 それを聞いてひとまず安心する。


 でも、二人の様子を見れば良い状況じゃないことはたしかだ。



 続けられる嘉輪の言葉を覚悟を決めるように黙って待つ。


「あの、ね。とても言いづらいのだけど……。岸……彼は……ある街に送られる事が決まったの」


「街?」


「そう……吸血鬼の監獄と呼ばれる区域がある街よ」


「かんごく……?」


 意味が分からない。



 監獄って、犯罪者が入るところでしょう?


 岸が何をしたって言うの?



 ……いや、違反吸血とかしてたけど。


 ついでに言うと愛良を狙う月原家に協力してたけど……。



 でも、いきなりそんな犯罪者扱いなんて。


「なんで、そんなところに……」



「あ、監獄といっても牢屋に入れられるわけじゃないわよ? 街のその区画でなら普通に自由に暮らせるから」


 追加で説明されたことで私が思っていたものとは少し違うと分かる。


 でも、“その区画でなら”ということはそこから出たら自由ではないってことだ。



 やっぱり、犯罪者扱いなのは変わりないように思える。


「……私もそこに行くの?」


 確か、“唯一”が吸血鬼になったら、その人の“唯一”は相手の吸血鬼になると岸が言っていた。


 なら、吸血鬼になった私の“唯一”は岸だ。



 元々離れるつもりはなかったけれど、“唯一”になったなら尚更離れるわけにはいかないはず。


 実感はまだ湧かないけれど、お互いが一人だけを求めあう存在になったってことだ。


 だから私も一緒に行くものだと思ったのに……。


「いいえ。あなたは行けないわ」


「え?」


 どういうことだろう?


 確か、基本的には吸血鬼と“唯一”は離してはならないはず……。



『“唯一”を見つけた吸血鬼の邪魔をすることは基本的に許されない。それはいずれ自分に返ってくるかもしれないことだから』


 そう説明してくれたのは目の前の嘉輪だったはずだ。



「上層部の決定よ」


 感情を押し殺した嘉輪の言葉が、まるで冷水を掛けられたかのように降りかかる。


 もう一つの記憶が蘇る。



『“唯一”を奪おうとするなんて普通の吸血鬼なら考えない』


 確かそれは、私と岸を月原家の別邸に連れて行った男が口にした言葉。


 私は普通じゃなければあり得ると受け取ったんだっけ。



 つまり、今回もその“普通じゃない”吸血鬼の思惑があっての決定だということ。



「あなたが岸の“唯一”だって聞いたとき、私彼と逃避行するしか一緒にいられる未来はないって言ったわよね?」


「あ……」


 そうだ。

 あのときも上層部は許さないだろうみたいなことを話していた。



「でも、だって……あのときとは状況が……」


 今は私も吸血鬼になった。


 私にとっての“唯一”である岸を離そうとするなんて……。


「私の気を狂わせたいの?」


 震える声で口にする。



 “唯一”を奪われた吸血鬼はもれなく気が狂うと聞いた。


 実際、今話を聞いただけでもおかしくなりそうだ。



 一緒にいたいと願った人。


 もう悲しそうな、諦めの表情なんかさせたく無いと思った人。



 その人と、離される。


 多分、二度と会えない。



「ぃや……そんなの、絶対に嫌!」


 暴れ出したい衝動に駆られる。

 でも、体は動かなくて……。


 すぐにでも会いに行きたいのに、行けなくて。


 悔しくて、涙が溢れた。



「ごめんなさい。いくら純血種と言っても、学生の私じゃあ上層部全てを止めるだけの権限はなくて……」


 申し訳なさそうに言う嘉輪。


 嘉輪のせいなんかじゃない。

 そう言ってあげたいけど、言葉には出来なかった。



「嫌だ、嫌だよぉ……」


 ただひたすら、小さな子供のわがままの様に嫌だと繰り返す事しか出来ない。



「お姉ちゃん……っ」


 愛良も悲痛そうな表情をするけれど、今の私は大丈夫だと笑う事なんて出来ない。



「嫌だ。会いたい……岸に、会わせてぇっ!」


 心の底から。

 魂の中心から叫ぶ様に求めた。


「うっうぅ……」


 あとはひたすら泣き続ける私に、嘉輪がポツリとこぼす。



「会うには、会えるわ」


「え?」


「岸の願いも、せめてもう一度会わせてくれってものだったし。上層部もこのまま一度も会わせずに離すほど鬼じゃないとか言っていたから」


 “唯一”同士を引き離そうとする時点で鬼だと思うけれどね、と付け加える嘉輪を見る。



 少なくとも、一度は会える?


 だったら……。



「今すぐ、会いたいよぉ……」


 焦がれ、求めるままに言葉を口にした。


 でも嘉輪は厳しくも真剣な眼差しでそれを止める。



「聖良、冷静になって」


 そう言う彼女は声をひそめて続ける。



「彼と会うとき。逃げるならそのときを狙うしかないわ」


「っ!」


 嘉輪は諦めていない。

 私のために考えていてくれたんだ。



 その真っ直ぐな眼差しから、力を分けてもらったような気分になる。


 ピタリと涙を止めてその真剣な目を見返した。



「だから今は動けるようになるまで待って。あなたが動けなければ、逃げることすら出来ないんだから」


「……うん。……分かった」


 そう返事をして落ち着いた私の涙の跡を愛良がハンカチでぬぐってくれる。


 それに「ありがとう」とお礼を言いながら私ははやる気持ちを落ち着かせた。

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