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第62話 相対 ③

「な、なに⁉」


 動揺するシェリー。


 でも、男の方は「あーあ……」なんて声をもらして諦めに似た表情をしていた。


 そしてメールか何かでも来たんだろうか。


 男はスマホを出してしばらく画面を見つめていた。



「何? どうしたっていうの?」


 スマホをしまった男に硬い声でシェリーは問いかける。


 そんな彼女に、男は仕方がないといった様子で語った。



「計画は失敗だと。本物の“花嫁”は奪い返されたそうだ」


 それを聞いて私はこんな状況だけど少しだけホッとする。



 少なくとも愛良は無事に救出されたってことだ。


 大好きな親友の姿が脳裏によみがえる。



 ありがとう、嘉輪。



 嘉輪だけじゃなく当然零士もいるだろうけれど、私の願いを叶えてくれた友人に感謝する。



 すると、髪を引っ張られ無理矢理上半身を起こされた。


「くっ、いたっ」


「じゃあ、この子をさっさと連れて行かないとね」


 シェリーの言葉に体がこわばる。



 そうだ。

 愛良が救出されたのなら次に狙われるのは私。


 今の状況はとても良くない。


 岸は動けず、私はシェリーの手の中だ。



「いや……」


 でも、男の方はシェリーの言葉を否定する。


「そっちの“花嫁”もここに放置だ。お前とともにな、シェリー」


「……どういうこと?」


 二人の間に不穏な空気が流れた。


「“純血の姫”はそいつがここにいることにすぐ気づくだろう。連れて逃げることは出来ない」


「じゃあ、私も一緒というのは?」


「“花嫁”を奪った罪をすべてお前にかぶせることにしたらしい。……捨てられたな」


 男はそう言って、やっぱり仕方のなさそうな笑みを浮かべる。


 対するシェリーは激高した。



「捨てられたですって⁉ あの人が私を捨てるなんてありえないわ!」


「だろうな。御当主はそうだろう……だが、その周りは違う」


「っ! まさか彼に黙って……⁉」


「そういうことだ。御当主が知るころには、お前は真犯人に仕立て上げられてるだろうな」


 男は淡々と説明している。


 シェリーは動揺したためか、私の髪を掴む手の力を緩めた。



 今なら抜け出せる?


 そう思って動こうとした瞬間、今度は後頭部を鷲掴むように捕まる。


「うっ!」


 強い力に顔が歪む。



「っ冗談じゃないわ! 私とあの人を引き離そうなんて!」


「まあ、俺も一人の吸血鬼として“唯一”同士を引き離そうとするのは忍びないけどな……。それこそ老害には何を言っても無駄ってやつだ」


 取り乱すシェリーと違ってあくまで淡々と話す男。


 彼は、スッとその目から感情をなくし最後に告げた。



「まあそういうことだ。俺も捕まりたくはないんでね、そろそろ行かせてもらう」


 言うが早いか、次の瞬間には男の姿は掻き消えていた。


 わずかな残像と障子戸が開けられたことでこの部屋からいなくなったというのが分かるだけ。



 残されたのは取り乱すシェリーと、そんな彼女に捕まっている私。


 そして、やっと傷が塞がってきたのかゆっくり立ち上がる岸だった。



「冗談じゃない、捕まってたまるものですか。……でも、“花嫁”がいないと彼は……」


 ブツブツと呟きながら考え込むシェリー。


 今の彼女なら、落ち着かせれば離してくれるかもしれない。


 そう思った私は出来る限り柔らかい声で話しかける。



「シェリー……離してちょうだい。今は、逃げることを考えた方がいいんじゃないの?」


 捕まったらそれこそ“唯一”と離れ離れにされてしまうんじゃないかと、説得したつもりだった。


 でも……。



「……そうね。逃げることを最優先にしなくちゃ」


 そう言って私を見た彼女の目は、とても凶暴な光を宿していた。



 本能的にマズイと思ったけれど、シェリーの手から逃れるすべがない。


「っ離して!」


「私の力じゃあ逃げ切れない。でも、あなたがいたわ」


 ゾワリと、本能的な恐怖が体を震わせる。


 頭の中では逃げろと警報が鳴っているのに、怖くて身がすくむ。



「あ……な、にを……?」


「劣化版とはいえあなたは“花嫁”。その血は吸血鬼に力を与えるのよね?」


 とても、とても美しく笑いながら、シェリーは私の首にかかる髪を払った。



「――っ!」


 それだけで嫌でもわかる。


 血を吸われるって。



「っく! シェリー、てめぇ!」


 まだ完全に傷は塞がっていないようだったけれど、岸が駆けつけてシェリーを私から引き離そうとする。


「邪魔よ!」


 でも本調子じゃない岸は傷口にもろに蹴りを食らってしまった。



「ぅぐあっ!」


「岸!」


 叫ぶけど、届かない。

 そばに行きたいのに、行くことが出来ない。


 悔しい、悲しい。


「シェリー! お願いだからやめて!」


 願うけれど、聞き入れられることはなかった。



 私に視線を戻したシェリーは、そのまま私の首に咬みついてしまう。


「ぅああ!」


 痛みに、声も表情も歪む。



 すぐに痛みは熱に変わったけれど、同性だと快感にはならないのかただ高熱を出したように全身が熱くなるだけだった。


「っ、や、め……」


 頭の中も溶けてしまいそうな熱さに耐えながらうったえる。

 でも、彼女が聞くわけがなくて……。



 吸われる感覚。

 ゴクリと私の血を飲み干すシェリーの喉の音。


 それがいやに長く感じた。



 思えば、私は岸以外に血を吸われたことが無い。


 私は岸の“唯一”だから、今までは少ない量しか吸われなかった。


 だから長く感じるのかと思っていたけど……。



「ぐっ、シェリー! もうやめろ! それ以上は!」


 必死な様子の岸の声が聞こえる。


 その直後辺り……突然スッと熱が無くなった。



 熱くない。


 ううん、むしろ――。



「さむ、い……?」


 呟くと、ダダダン! と大きな足音が聞こえてきた。


「聖良⁉」


 続けて、悲痛な甲高い声が耳に届く。



 ……嘉輪?

 来て、くれたの……?



 考えるのが億劫になってきた頭で、それだけを思う。


 すると、やっとシェリーが私を離した。



 体に力が入らなくて、ズルリと落ちるように倒れる。


「聖良ぁ!」


 叫びながら岸が近くに来てくれる。


 今度はシェリーも蹴ったりはしなかった。



「っくそ! 止血しやがれ!」


 私を抱き起こした岸は悪態をつくと、首筋に顔を寄せ血を舐めとってくれる。


 そうして出血が止まっても、寒さと冷や汗が出るような感覚が無くならない。



「止血? いらないでしょう? どうせ死ぬのに」


 恐ろしほどに冷たい声が落ちる。


 その言葉そのものが、また私の体を冷たくするような気がした。



 死ぬ?



 それが事実なんだろうってことは今の自分の状態を思えばすぐに理解出来る。



 嫌だ。

 怖い!



 純粋な死への恐怖。


 吐き気のような気持ち悪さも強く感じて辛い。



 でも――。



「っ! 嘘だ……聖良……嫌だ、行くな……」


 今にも泣きそうな、すがるような岸の表情が一番辛い。



 そんな顔、して欲しくないのにな……。



「聖良……聖良……」


 震える声で私の名前を繰り返す。


 頬に触れる手も震えているのが分かった。




「シェリー! あなた、なんてことを⁉」


 怒りに満ちた嘉輪の声に、シェリーは淡々と答える。


「その子が言ったのよ? 逃げることを考えたらって」


 そしてわらう。


「だから逃げるための力をもらったの。劣化版の“花嫁”がどの程度のものかと思ったけれど、素晴らしいわね」


 次いだ声がこっちに向かってきたことで、シェリーが私を見たのが分かった。



「ありがとう、これで難なく逃げられるわ。今度こそ本当に会うことはないでしょうね……さようなら」


 嫌味なほど優しい声を残して、シェリーの気配が消える。



「っく!」


 悔し気な嘉輪の声が聞こえて、すぐに彼女も近くに来てくれる。


「聖良……」


 真っ青な顔が、私を覗き込む。


 その目が一瞬迷いを見せ、直後決意を固めたようにしっかり私を見た。



「聖良、どんなことになっても生きたい?」


 その問いに、私はためらわずに頷く。



 言葉の意味を考えることもなく、生きたいと思ったから。



 岸の、こんな表情……これ以上見ていたくなかったから。




 だから、岸がまた私を見て優しく笑ってくれるなら、どんなことになったってかまわないと思った。



「分かったわ」


 嘉輪の決意を込めた声を最後に、私の意識はハッキリしなくなる。



 岸と嘉輪が少し言い争いをして、首筋に誰かが触れたと感じたのを最後に、私は本当に意識を失った……。

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