その日は普通の一日だった。
いつものように朝起きて。
いつものように学園へ行って。
いつものように針のむしろ状態になりつつも嘉輪達とそれなりの学園生活を送る。
そんないつもと変わらない一日。
でもその
本日の護衛でもある俊君と、一緒に帰ると言って共に下校する嘉輪と正輝君。
その四人で寮まで歩いて帰っているときだった。
愛良は今日は委員会の用事があるとかでまだ学園の方にいた。
愛良には零士が常にそばにいるし、私と違って味方は多い。
だから心配はしていなかったんだけど……。
なんの前触れもなく、十人ほどの男たちに囲まれた。
すぐに警戒するけれど、聞こえてきた声にドクリと心臓が大きく脈打つ。
「……聖良、迎えに来たぜぇ?」
語尾を伸ばすような、独特な話し方。
私を求める、会いたかった人の声。
「……岸」
緊迫した空気の中、私だけが警戒心を解いた。
本来なら喜ぶような状況じゃない。
岸やこの取り囲んでいる男たちは私をかどわかそうとしているんだから。
……でも。
会いたくて、会えなくて。
このひと月ずっと求めていた人にやっと会えた。
そんな状況で嬉しいと思わないなんて無理な話だった。
引かれるように、岸の元へ足を進めようとすると俊君に腕を掴まれ引き留められる。
そうしてから、私はハッとした。
そうだ。
みんな理解は示してくれたけれど、あくまで私を守ろうとしてくれてるんだ。
それなのに彼らを
ちょっと反省して、説得をするために俊君を見た。
でも俊君はその何かを耐えるような複雑そうな表情を私ではなく岸に向けている。
「……聖良先輩は、お前を選んだ」
うなるように、俊君は声を出す。
「そして、聖良先輩がお前の“唯一”だって言うなら……俺はこの手を離さなきゃならない」
その言葉は、自分に言い聞かせている様にも聞こえた。
「離したくないけれど、仕方ないから離してやる……だから!」
キッと、真っ直ぐ岸を睨みつける。
「絶対に、守りきれ!」
「俊君……」
俊君が複雑な心境だってことくらいは分かる。
それでも手を離してくれると言った。
守る役目を岸に預けると言ってくれた。
それが申し訳なくて……嬉しくて……。
泣きたくなりそうな気持ちをグッとこらえた。
そうしていると、無言で近づいてきた岸が私のもう片方の手を掴む。
はぁ……、と面倒臭そうにため息をつきつつも、その目は真っ直ぐ俊君を見ていた。
「テメェに言われるまでもねぇ。守るに決まってんだろ?」
だからその手を離せと睨みつける。
悔しそうな俊君だったけれど、彼はゆっくり私の腕を離してくれる。
俊君の手が離れるかどうかというところで、私は岸に腕を引かれた。
「……ったく。お前を好きな男は俺だけで良いってのに……」
そんな文句と共に、抱き留められる。
「っ――」
私だけを求めてくれる声。
私だけを選んでくれるその手に、どうしようもなく喜びが湧いてくる。
その喜びを与えてくれる岸に、応えたいと思う。
でも、今の私は色んな感情が渦巻いていてまだ素直に求めることが出来ない。
嬉しい、心苦しい、求めたい、申し訳ない。
喜びと悲しみの感情が行ったり来たり。
元々素直じゃない性格もあって、私の方から岸に抱き着くことは出来なかった。
ただ、私が岸を選んだんだってちゃんと分かってはもらいたくて……。
好きなんだと口ではまだ言えそうにないから態度で示したくて……。
私は岸のシャツをキュッと控えめに掴んだ。
「聖良……?」
呼びかけに少しだけ顔を上げる。
岸の切れ長な目の中にある黒い瞳を目にした途端、どうしようもなく感情があふれ出た。
「っ……あ……」
あふれすぎて、言葉が出てこない。
会いたかった。
会いたかった!
会えないということが、こんなにも辛いことだなんて知らなかった。
泣きたくなるほど想いはあふれるのに、やっぱり言葉は出てきてくれなくて……。
くるしいよ……。
「聖良……分かってるっての」
でも、岸はそんな私を見ただけで理解の言葉をくれた。
少し皮肉気な、素直じゃない笑い方。
「……とりあえず、落ち着け」
「ぁんっ」
ささやきと共に唇が落ちてきた。
塞いで、ついばんで……今度は優しく触れて。
このキスは知ってる。
前回会ったときにしてくれたのと同じ。
私を落ち着かせてくれるキスだ。
何度か触れあい、落ち着きを取り戻すと同時に状況を思いだす。
……ちょっと待って。
周りにまだ嘉輪達いるんだけど⁉
いっぱいいっぱいで周囲にまで気を配れなかった。
でも落ち着くと、みんなに見られている中キスをしたという事実を嫌でも突き付けられる。
や、やってしまったーーー!
落ち着いてしまうと、今度は逆に恥ずかしさが襲ってきた。
また別の意味で言葉が紡げない。
そんな私を間近で見ていた岸は思わずといった様子で噴き出す。
「っぷはっ! 聖良、お前分かりやすすぎっ」
そうやって笑った岸の表情は見たことのないような普通の笑顔で……。
でも、だからこそ見惚れてしまった。
「……おい」
また二人の世界に入ってしまいそうだった雰囲気に、周囲を取り囲んでいた男達の一人がうんざりといった様子で声をかけてくる。
「目的の女が手に入ったならさっさと行くぞ。あっちの方も、そろそろ事が済んでいるはずだ」
その言葉に私もハッとする。
“あっちの方”って、愛良のこと?
「ああ、そうだな。……行くぞ、聖良」
岸は笑いを引っ込め、そう言うと私の手を引いた。
私はそれを少し引き留め、後ろを振り返る。
俊君、嘉輪、正輝君。
三人はそろって複雑な顔をしていた。
「みんな、ごめんなさい」
何も言わずに行ってしまうことは出来なくて、謝罪の言葉を口にする。
すると、代表するように嘉輪が口を開いた。
「いいの。聖良が幸せになれる選択をして」
その私を思う言葉にまた泣きたくなってくる。
でも、今はそれより頼みたいことがあった。
私はみんなの手を離し去って行くのに、都合が良すぎるかもしれない。
でも、やっぱりこれだけはお願いしないわけにはいかなかった。
「ありがとう、嘉輪」
お礼を言って、そして願いを口にした。
「愛良を……お願い」
「もちろんよ」
笑顔で答えてくれた嘉輪は、次の瞬間カバンだけを残して消える。
誰よりも私の願いを優先してくれる大好きな親友は、早速向かってくれたらしい。
「っな⁉ 余計なことを! さっさと行くぞ!」
男達が少し慌てた様子になり、私と岸を急かした。
岸が、強く腕を引き私を抱きかかえ走り出す。
「ったく、ホントお前は妹のことばっかりだな」
苦笑いを浮かべる彼に、私は少し寂し気な表情で伝えた。
「……だって、愛良は家族だもの。……絶対に私のことを必要としてくれる、家族だから……」
「聖良?」
今回のことで分かったことがある。
どうして私が愛良に
妹思いではあるんだけれど、普通の妹思いより少し
それでもその差は少しだったから、このまま何事もなく過ごしていたら気づかなかった。
でも、知ってしまった。
私が自身を求められることをどれだけ欲していたのかを。
その自分の欲を知って、気づいた。
私が愛良を必要以上に大事にしていたのは、家族である妹ならちゃんと必要としてくれると思っていたからだ。
そして実際に愛良は今まで私の思いに応えてくれていた。
必要以上に一緒にいたいがために、学校が分かれていても一緒に登下校したり。
私が愛良を大事に思うのと同じくらい、私を大事に思ってくれている愛良。
零士という大事な人が出来ても、私を気遣ってくれていた。
愛良自身もお姉ちゃんっ子ってところがあるのかもしれないけれど、それでも私に合わせてくれていた部分もあると思う。
いつも私以外が選ばれる。
あからさまなものはそこまで多くはなかったけれど、小さな出来事は確実に私の心に溶けない雪のように積もっていった。
私を選んでほしい。
私を必要としてほしい。
その気持ちに確実に応えてくれるのは家族だった。
両親がちゃんと私と愛良をそれぞれに愛してくれていたからそう思えたんだと思う。
それでも両親は私だけを選んでくれるわけじゃなかったから……。
だから、愛良に固執した。
確実に私を求めてくれる、姉思いの妹だから。
でも、愛良は零士を選んだ。
私を思って求めてくれるのは変わりないけれど、一番ではなくなった。
だからと言って私と愛良の絆が切れるわけじゃないから、今でも大事に思う。
でも、私を確実に一番に思ってくれる人がいなくなったと思ったんだ。