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第56話 岸という吸血鬼 前編

「っ!」


 ビクッとなって、廊下の隅に寄る。


 すれ違いそうになったのはH生の男子生徒。



 私を襲ってきた奴らとは全く関係ない人だけれど、あの日以来H生の男子生徒のことが怖くなってしまった。



 あの連中はとりあえず停学処分となって、しばらくは男子寮から出られないようにされているらしい。


 だから私が彼らと会うことはないんだけれど……。


 それでも、他のH生の男子生徒が同じことをする可能性があるんじゃないかと思うと警戒してしまう。



 恐怖症、って程ではないことは保健室の高峰たかみね先生にも相談済みで判断してもらっている。


 そう、恐怖症じゃあない。


 私の意志で何とかなる程度のもの。



 とは言え、まだあれから数日しか経ってないのに怖がるなっていうのも無理な話だ。


 無関係なH生には悪いけれど、ビクビクしてしまうのだけは見逃してもらいたい。



 そういえばあの日女子寮に帰ると、顔色を悪くした弓月先輩と会った。


 私の顔を見た途端泣きそうな顔になって、何度も「ごめんなさい」と謝られたっけ。



 彼らがあんな暴挙に出るとは思わなかった。

 知らなくて、止められなくてごめんなさいって。


 知らなかったんならどうしようもない。


 もし知っていたとしたら全力で止めてくれるだろうってことは分かっていたし、弓月先輩を恨むようなことはしない。



 でも私は、直後だったこともあってH生そのものを信用していいのか判断が出来なかった。


 謝り続ける弓月先輩に言葉をかけることすら出来なくて、不当な罵倒ばとうが口をついてこないように耐えるだけで精いっぱいだった。



 数日後落ち着いてからもう一度会ったときに謝って和解したけれど、何となく気まずくてそれ以来弓月先輩とは会っても挨拶程度にしか関わっていない。


 そうやってどんどんH生との距離が離れていく中、V生の私への評価も悪意あるものになってきていて……。



 どこからか私が襲われたことを聞いたらしい人達があることないこと噂し始めたんだ。


「“花嫁”の香月さん、H生に襲われたらしいわよ? かわいそう」


 という同情ならいい。

 気まずいけれど、ある意味事実だから。


 でも……。


「本当に襲われたのか? “花嫁”の方から誘ったんじゃねぇの?」

「ああ、そうかもな。学園から追われてる三年のことだって、本当は“花嫁”がたぶらかしたんじゃねぇの?」


 なんて、まるで私が誘惑したかのように言われていることもある。


 しかももっと、人には言えないようなひどい言われようをしているときもあるんだとか。



 つまり、私は以前に増して居心地の悪い学園生活を送っているというわけ。


『これは本当にもう岸って先輩と逃避行しちゃった方がいいのかもしれないですね』


 というのは瑠希ちゃんの言葉だ。


 でも確かに、それくらい居心地の悪い思いをしている。



「はぁ……嘉輪達がいなかったら登校すら出来ないよ」


 嘉輪という支えがなければ学園に来ること自体出来なかっただろう。


 理解してくれている人が近くにいるから、何とか来れているだけだ。


 でなかったら、こんな針のむしろ状態の学園になんて来れない。



「……この際無理に学園に来なくても良いんじゃない? もう少し噂が落ち着くまでとか」


 嘉輪の提案に私は「うーん」と少し考えて首を横に振る。


「ううん。来ないともっと酷くなりそうな気しかしないから」


「……そうね」


 私の言葉を否定しなかった嘉輪はため息をつきつつ周囲を見回した。


「……ん? あれって……」


 そして、教室のドアの辺りに視線を留めて声を漏らす。



「ん? どうしたの?」


 つられて私も視線を向けると。


「あ……忍野君?」


 ドアの近くでは忍野君がもの言いたげにこちらを見ていた。



 いつからいたんだろう?


 私に用事があるなら呼んでくれればいいのに。



 目が合った忍野君は少し迷うそぶりを見せてから私を手招きした。


「どうしたのかな?」

「さあ?」


 嘉輪と顔を見合わせながら立ち上がって忍野君の方へ行くと、彼は眉尻を下げた状態で口を開いた。



「ごめんな。ちょっと話したいことがあって……」


「良いけど……」


 でも、今は昼休み。

 昼食も終えて午後の授業を待つだけの状態だ。


 長い話ならちょっと困る。


 そう思っていたら。


「ちょっと長くなるかもだから、放課後時間取れないか?」


 忍野君の方からそう提案してくれた。



「うん。いつもの会議室でいい?」


「ああ、じゃあそれで」


 と、約束を取り付けると忍野君は早々に自分の教室に戻って行ってしまう。



「何かしらね? 話って?」


 一緒に聞いていた嘉輪が疑問を口にするけれど、それは忍野君にしか分からない。


 私は「さあ?」と軽く返して自分の席に戻った。




 でも、確かに何の話があるんだろう?


 思えば、私が岸を選んだことに関して忍野君がどう思っているのかも知らない。


 岸のことを伝えたときも、この間私がH生に襲われたときも、忍野君は心配そうに私を見るだけだった。


 心配してくれてるってことは、他の婚約者候補の人達とは違う気持ちでいるのかもしれない。


 でも、だからと言って私の思いを全面肯定してくれているわけでもないだろう。



 ついでにその辺りのことも聞いてみようかな?



 そんなことを思いながら私は午後の授業を受けていた。



***



 嘉輪と二人だけでいつもの会議室に向かうと、忍野君はすでに来ていた。


 私達が室内に入ると、忍野君は立ち上がって迎えてくれる。



「あ、ごめんな。急に呼び出して」


「良いから座って?……それで、話って何なの?」


 私達も椅子に座って、さっそく本題に入る。



「あー……その、な」


 歯切れの悪い忍野君にちょっとイラッとしながらも黙って待っていると、予測していたものとは少し違う言葉が出てきた。



「岸って先輩の話、色々聞いたからさ……。話しておいた方が良いのかなと思って」


「色々聞いた?」


 岸のことが話題に上がるかもしれないことは予測出来た。


 でも、色々聞いたって……誰に何を聞いたんだろう?


 岸の立場を考えると良い話とは思えないけれど……。


 ただの悪口だったら、聞きたくないな。



 そう思って少し視線を下に向けた。

 でも……。


「話すべきか迷ったんだけど……多分、知らないよりは知っておいた方が良いと思ったから……」


 知っておいた方が良い。

 忍野君がそう思うような内容だということか。


 忍野君が岸のことをどう思っているのかは分からないけれど、彼がそこまで言うことなら聞いておきたい。


「……分かった。聞かせて」


 覚悟を決めて話をうながすと、忍野君はゆっくり口を開いた。



「……俺さ、あの岸って人のことあんまり良くは思ってないんだ。蹴られたし」


「……」


 まあ、そりゃそうだよね。



「でも、とことん嫌うほど知ってるわけでもないんだよな」


 だから調べてみたんだと話す忍野君。


「調べるって……」


 どうやって? と思ったら、普通に岸の同級生とかから話を聞いただけらしい。



「あんまりいい噂は聞かなかったけどさ、結局噂でしかなくて……もっと詳しい人がいないか聞いて回ったんだ。そしたら……」


「そしたら?」


「中等部の頃仲が良かったっていう三年の人に話を聞けたんだ」


「!」


 それを聞いて一番に思ったのは驚き。



 ……仲の良い友達、いたんだ。



 失礼かもしれないけれど、津島先輩や鬼塚先輩、他の三年の話を聞く限りでは岸は一人でいることが多いようだったから……。


「なんか、岸って人はシングルマザーだったらしい。母親が人間で、父親が吸血鬼の」


 そうして聞かされた話は何とも重苦しいものだった。



 岸が物心つく頃には吸血鬼である父親はいなくて、母親も彼を持て余していたんだそうだ。


 それでも小さい頃はそれなりに母子関係をきずけていたみたいだったけれど、大きくなって来て岸の吸血鬼としてのさがが出てくると本格的に持て余してきたようだった、と。



 でも城山学園の中等部に入って寮生活をして、少し距離を置けたから母親も落ち着くだろうと岸は考えていたらしい。


 実際、長期休暇で家に帰ったときは普通だったとその友達に話していたそうだ。



 ……なのに、岸が高等部に上がって最初の長期休暇に入る少し前。

 その母親から電話があったそうだ。


『あなたはもう、一人でも大丈夫よね?』


 と、一方的な別れの電話。


 すぐに家に帰ってみたけれど、家は引き払われた後で誰もいなくて……。


 彼の母親は、そのまま行方をくらませてしまったらしい。



 当然荒れた岸は、何もかもがどうでもよくなったとこぼし執着するものもなく退廃的になっていったんだそうだ。

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