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第49話 最後のデートと再会 ③

「っはぁ……ったく、参ったな……」


 参ったのはこっちの方よ!



 内心叫ぶけれど、声に出して何が参ったのかを聞かれても困るので黙る。


 岸の肩に顎を乗せるような状態になって、そのまま彼の言葉を聞いた。



「唯一なんて、俺に見つかると思ってなかったってのに……」


「……?」



 何を言っているんだろう?


 唯一って何?



 聞いてみたかったけれど、何のことを言っているのかすら分からないからどう聞けばいいのか……。


 そうして少し迷っていると、岸のズボンのポケットが震えた。


 後頭部に回っていた手で震えているスマホを取った岸は、すぐにその電話に出る。


「……学園の方は終わったのかぁ? ああ、こっちも確認は取れたぜ……」


 学園……?

 まさか⁉


 電話対応する岸の言葉に、まだ少しボーッとしていた頭がハッキリする。



 岸が連絡を取る相手として一番に浮かぶのはシェリーだった。


 そうじゃないかもしれないけれど、彼女の仲間だと思われる。


 そして聞こえた“学園”という言葉。



 愛良の方にもシェリーの仲間が向かったってことなんじゃないの?



 ハッキリした頭で考えると、一気に愛良のことが心配になる。



「ああ、じゃあこっちもそろそろ出る」


 そう言って岸が電話を切ると、私は彼の胸を押して離れた。


 とはいえ、腰は抱かれたままだから密着している部分はあるけれど。



「今の、何? 学園の方って、愛良に何かしたの⁉」


 睨みつけて言うと、「あーあ」と見慣れたにやけ顔になる岸。


「元気になっちまったか。可愛かったのになぁ?」


 その顔はずっと殴りたいと思っていた表情で。

 でも今の体勢だと力を込められない。



 ホンット腹が立つ!



 私の血を飲んで力も取り戻したのか、腰に回されている腕はビクともしない。


 元気になって安心する反面、元気な岸はやっぱりムカつく奴だった。


 スマホをポケットにしまった手が、私の頬を包む。


 その指先が、耳のふちをなぞった。


「ちょっ! やぁっんっ」


「でも気が強いお前も気に入ってるし……。そのギャップもたまんねぇよなぁ?」



 っこの!

 ホント殴ってやりたい!



 でも今は殴れるような体勢じゃないから、代わりに言葉で抵抗する。


「う、るさいっ。元気になったんでしょう⁉ もう触らないでよ!」


「やーだね」



 っく! このぉ!



「さっきの電話は何なの? 学園って、愛良に何かしたんじゃないでしょうね⁉」


 離せと言っても離さないので、仕方なく話を先に戻す。


 愛良は零士を選んだんだ。

 あの二人を引き裂くようなマネをするなら許さない。



「ったく……愛良愛良って、また妹かよ」


 呆れとため息。

 次いで、耳を包むように優しく撫でられる。


「んぅっ!」


 何とか声は抑えたけど、弱い部分なのであからさまな反応はしてしまった。



 っこのっ!

 私の弱いところ覚えてたの⁉




 その答えの様にニヤニヤと笑う岸が口を開く。


「ホント、耳弱いよなぁ? あんまり妹のことばっかだと、嫉妬しちまうぜぇ? あっちはあっちで勝手にやらせとけばいいじゃねぇか」


「そっんなの、無理に決まってるでしょう⁉」


 このままずっと触られるわけにもいかないと思って、片手でガードする。

 そして言葉を続けた。



「もう少しで愛良は零士と血婚の儀式をするのよ? それまでは愛良に手を出すやつを許すわけにはいかないわ!」


「はっ!……血婚ね。隷属の儀式の間違いだろう?」


「え……?」


 嫌そうに顔を歪める岸は、デタラメを言っている様子はない。



 何?

 隷属って、誰かに支配されるってこと?

 誰が誰に?


 岸は、何を言ってるの?



「岸? それ、どういう――」

「っと、悪ぃな。時間がねぇ」


 詳しい説明を求めようとしたけれど、遮られてしまう。



「学園では教えられないこともあるってことだよ。吸血鬼とハンターのしがらみは、本来あの学園のように仲良しこよし出来るほど軽いものじゃねぇってことだ」


 言いながら立ち上がる岸に手を引かれ、私も立ち上がる。


 そのままさらに引かれて、私ははからずとも岸の胸に抱かれてしまう。



「っちょ⁉」


 抗議の声を上げようとしたけれど、その前にギュウッと抱き締められた。


 その体温に。

 その力強さに。


 心臓がドクリと大きく鳴る。


「聖良……忘れんなよ? お前は俺の唯一だ。何が何でも手に入れっからなぁ」


「っ⁉」


 唯一の意味は分からない。


 でも、今まで以上に強く求められている事だけは分かった。



 そして、それに対して私が何を思ってしまったのかも……。



「……じゃあな」


 名残惜しそうに私から離れた岸は、最後にもう一度唇を重ねて去って行った。


 私はそんな岸を引き留めることも、追いかけることも出来ずにその場に突っ立っていることしか出来ない。


 岸の姿が消えた方を見続け、最後に触れた唇に指先で触れた。



「……なんで……?」


 どうして、私は……。



 自分の心が分からない。


 どうして嫌だと思わないのか。



 キスをされて、抱きしめられて……。


 無理やり奪おうとしてくる相手なのに……。



 どうして、嬉しいと思ってしまっているんだろう……?



 私は鬼塚先輩が慌てた様子で探しに来るまで、そのまま自問しながら突っ立っていた。


***


 岸が現れたことを知った鬼塚先輩達H生は、隠れていた護衛も集まって色々と騒いでいた。


「どうするんだよ⁉ 知られたらやっぱりH生じゃあ“花嫁”は守れないって笑われるぞ⁉」


「だが、危険を知らせないわけにはいかないだろう?」


「大体お前が“花嫁”から離れなければこんなことには!」



 一人が鬼塚先輩の胸倉を掴んだのを見て、私はハッとした。


「ちょっと⁉ だめですよ、落ち着いて!」


 そうして止めに入ると今度は私が睨まれる。



「あんたもだよ! どうして血を吸わせたりしたんだ。吸われなければ先生たちにバレることもなかったかも知れなのに!」


 鬼塚先輩の胸倉を掴んだままこちらをにらんだ彼に非難される。


「っ、それは……」



 鬼塚先輩達が駆けつけるまで岸が去って行った方を見ながら自問していた私は、緩めた首元を直していなかった。


 そのため、血を吸われたという証拠の二つ並んだキスマークの様な痕を見られてしまっていたんだ。



「やめろ。聖良は抵抗出来なかっただけかも知れないだろう?」


 鬼塚先輩はそうかばってくれるけど。


「どうだか。その割には抵抗しようとした痕跡も見当たらないけどな」


 鬼塚先輩の胸ぐらを離し、彼は吐き捨てる様にそう言った。



 そんなやりとりをしているうちに、田神先生達がやって来た。


「聖良! 無事か⁉」


 真っ先に私の無事を確認してくる田神先生に、私は罪悪感を覚える。



 血を吸わせたのは私の判断。


 あのままの岸を放っておく事はやっぱり出来なかったから、吸わせた事自体は後悔していない。


 でも、その判断のせいでH生や田神先生達にどう思われるか、どんな影響があるかまでは考えていなかった。



「私は、大丈夫です……」


 岸に血を吸わせたことを後悔はしていない。


 でも、田神先生にそれを言うのはためらわれる。



 どうして吸わせたのかと聞かれたら、放っておけなかったからだと言えばいい。

 その通りなんだから。


 でも、きっとそれだけじゃすまない。



 だって……。


 だって、きっと私はもう選んでしまったから。


 岸に会わないでくれと頼んできた田神先生なら、きっと察してしまうから。



 それが田神先生を傷つけることになるんじゃないかと思うと怖い。



 ……ううん、違うか。


 傷つくのが怖いのは私だ。



 田神先生に気づかれて、だから会うなと言っただろうと言われるのが怖い。


 誰を選んだのか知られて、非難されるのが怖い。



 だから田神先生と目を合わせることが出来なかった。


「……聖良?」


 戸惑いがにじんだ問いかけ。


 でもそれに応えることが出来ないでいると、周囲のH生が口を開いた。



「先生……その、俺らは……」


 さっきまで怒りをあらわに鬼塚先輩に掴みかかっていた勢いもなくなり、叱られるのを待つ子供のようになってしまったH生達。


 そんな彼らを田神先生はため息をつきつつも怒りはしなかった。



「そんな顔をしなくても良い。この厳戒態勢の中奴らが入り込んでくる可能性は低いと見て今日の護衛任務を許可したのは私達だ。聖良さんが無事なら罰したりはしないさ」


 H生達に向かって“先生”の顔で告げると、少し顔を歪ませて「それよりも」と続ける。



「ただ問題は、H生の中に操られている者がいるということだな」


「っ! それは……」


 視線が一人に向く。



 岸が去って行ってから、ずっと虚空を見つめてボーッと立っている工藤さんに。


 しかも田神先生は「一番の問題は」とさらに悪い状況を口にした。



「操られているのがその子だけじゃないということだ」


『え⁉』


 みんなの驚きの声が重なる。


 私もどういうことなのかと嫌な予感を胸に視線を上げた。



「少し前に、学園の方でもひと騒動あったんだ」


「田神先生? それって……」


 怖くて目を合わせられないと思っていたことも忘れて問いかける。



 思い出すのはつい先ほどの岸の電話。


『学園の方は終わったのかぁ?』


 あのとき、私は愛良の方にもシェリーの仲間が行って何かしたのかも知れないと思ったんだ。



「まさか愛良に何かあったんですか⁉」


 掴みかかる勢いで問い質すと、「大丈夫だ」となだめられた。



「愛良さんが何か忘れ物をしたとかで、学園校舎内に行くと怪しい人物と会ったらしい。だが一緒にいた零士が撃退したというから、問題はないだろう」


 ひとまず大事にはなっていない様で安心する。

 でも、ケガはしていないのかとかまだまだ気になる事は多い。


 愛良の無事を確認するまでは安心できなかった。



「とにかく今日は解散だ。聖良さんは私が送っていくから、君たちも後始末をして帰るんだ」


 そう指示した田神先生の言葉に、H生達は安堵の息を吐いて私達から離れていった。



 何人かは悔しそうな顔をしていたけれど。



 田神先生についてきた他の護衛らしき人達もH生に話を聞くためか離れていき、本当に私と田神先生の二人きりになる。


 今は田神先生と二人きりは気まずいので困った。


「……えっと、じゃあ帰りましょうか? 愛良のことも心配だし」


 詳しい話をしたくなくて誤魔化すような笑顔でそう言ってみる。



 でも、田神先生はそうして逃げようとする私を許してはくれなかった。


「……聖良。岸に血を吸われたんだな……?」


 冷静に、探るような口調。



 今は緩めた首元も直していて咬み痕は見えないけれど、吸血鬼である田神先生は私の血が流れたことに気づいてるんだろう。


 以前吸われた時も吸血鬼ならわかるという話を聞いた。



 誤魔化しがきかないのは分かっていたから、コクリと頷くことで答える。


「抵抗出来なかったのか?」


 心配そうな声にどう答えたものかと迷っていると、彼の声が急に固くなった。



「……それとも、抵抗しなかったのか……?」


「っ!」


 思わず息を呑み、表情を固くしてしまう。


 それが答えになってしまった。



「聖良……お前……」


 その声に非難するような色を感じ取ったのは私の罪悪感からか。


 何にせよ、気づかれてしまったかも知れない。



 そんな思いからさらに言葉を紡げなくなる。


「聖良、俺を見ろっ」


 両肩を掴まれ、強めに言われる。


 必死な様子の目と視線が合って……。



「っ田神先生……」


「……先生、なんだな……」


「っ!」


 田神先生の顔が哀しみと苛立ちを合わせたような表情に歪む。


 私は田神さんではなく田神先生と呼んだ。


 完全に無意識だったけれど、その呼び方に私の心が表れていた。


 そして、田神先生は気づいてしまった。



「俺のことは、先生としか見れないか……?」


 今度はハッキリと非難する様な声音。


 肩を掴む力が強くなる。



「っだから、あいつに会ってほしくなかったんだっ!」


「っごめ、なさい……」


 会ってハッキリさせる。

 あいつをぶん殴って、気持ちを整理するだけだと言った。


 でも、会った結果は……。



 田神先生の気持ちを裏切るようなことになってしまったのかも知れない。



 田神先生をどう思っているのか、答えは出していなかったけど……。

 それでも期待させる様な雰囲気にはなっていたと思う。


 実際私自身岸に再び会うまではきっと田神先生を好きになると思っていたから……。



 でも、実際に岸に会ってみたらあいつは予想外に弱っていて……。


 メンタル的にも弱っていたのか似合わない諦めの表情なんかして……。


 しまいには、奪うようなキスしかしなかったくせに優しく甘いキスをしてきて……。



 そして――。


『お前は俺の唯一だ。何が何でも手に入れっからなぁ』


 誰よりも強く、私を求めてきた。



 思い出しただけでゾクリと身が震える。


 正直、信じたくはないけれど。


 私は多分喜んでいるんだ。



 あれほどまでに強く求められたことに。



 惹かれるとか、そんな生易しいものじゃない。


 そんなものを通り越して、持っていかれてしまった。



 私が無意識に強く欲していたものを……それ以上の強さで与えてくれた岸に、心を丸ごと持っていかれてしまったみたいだ。



 その証拠に、駆け付けた田神先生を見たとき気づいてしまった。


 足りない。


 そう思ってしまった。



 田神先生も私を求めてくれている。


 でも、その強さは岸には遠く及ばなくて……。


 田神先生じゃ、足りないと思ってしまったんだ。



「っごめっ、ごめんなさい……」


 だから私は涙を流して謝ることしか出来なかった。



 言うことを聞かなくてごめんなさい。


 気持ちに応えられなくてごめんなさい。


 あなたを選べなくてごめんなさい。



 ……私は、もう岸以外を選べない。



 だから……。



「ほんとに……ごめんなさいっ……」


 謝るしかなかった……。


 泣き続ける私にそれ以上どうすることも出来なかったのか、田神先生は「寮まで送ろう」と感情のこもらない声で言って車で送ってくれた。


 流石に寮までには泣き止んでいたけれど、申し訳ない気持ちしか湧いてこない状態じゃあ何かを話すことも出来なくて……。



 車を降りてから「送ってくれてありがとうございました」と無難な言葉を伝えるしか出来なかった。


「ああ……。とりあえず、今日は早く休め」


 田神先生もそれだけ言うと車を走らせ帰って行く。



 私は泣きはらして真っ赤になった顔を隠しもせず自分の部屋に向かった。


 部屋の鍵を受け取るとき、寮母の上原さんは心配そうにしていたけれど何も言わないでいてくれた。


 今はその方が有難い。



 自分でもこのグチャグチャな感情をどう処理したらいいのか分からないから……。

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