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第48話 最後のデートと再会 ②

 走り去って行く鬼塚先輩を見送り、さてどうしようかと考える。


 どれくらいかかるかは分からないけれど、そんなにすぐ終わるようにも思えなかった。



「どうしよう? どこかカフェにでも行って時間を潰すしかないかな?」


 そう呟いた私に、工藤さんがニコニコと提案してくる。


「じゃあ、丁度良い場所があるわよ? そこに行かない?」


「あ……じゃあお願いします」



 特に行きたい場所があるわけでもなかったし、座って待てるならそれでいいと思って詳しく聞かずに頷いた。


 そのまま笑顔の工藤さんに付いて行くと、カフェというよりアパレルショップが立ち並ぶ区画に来た。



 おかしいな、と思ったけれどよく考えたら工藤さんはカフェに行くとは言っていなかった。

 丁度良い場所があると言っただけだ。



 まあ、休めるなら良いんだけど。



 そう思ってさらにそのまま付いて行ったんだけど……。


「さ、こっちよ」

 と言って開いたドアはどう見てもスタッフルームへ続くもの。



「……は?」


 流石におかしいんじゃ……。


 そう不審に思って彼女をよく見ると、ドアを開けている方の手首に見覚えのある赤い痕が見えた。

 腕を上げたことで袖で隠れていた部分が少し見えたらしい。


 そして、その様子がある記憶と重なる。



「っ⁉ まさか――⁉」


 そう声を上げたときには私は工藤さんに腕を掴まれていた。



 逃げなきゃ、と思うより先に強い力で引かれる。


 その勢いのまま、私はドアの向こう側へと放り投げられた。



 手首の赤い痕はキスマークのように見えた。


 普通だったら虫刺され? とでも思うかもしれない。

 でも、私は少し前に友達の有香に同じような痕があったことを思い出す。


 吸血鬼の血を少量入れられ、操り人形になってしまった有香。


 その、入れられた痕がキスマークのように見えたんだ。



 つまり、様子のおかしいH生の工藤さん。

 彼女も吸血鬼に操られているということで……。



 放り投げられた私は、足をもつれさせてそのまま倒れるかと思った。


 でも、何かが私の体を受け止める。



 はじめは壁にでもぶつかったのかと思った。

 けど、それは壁と言うには柔らかくて……。


 それにその壁は腕を伸ばして私の体を抱きしめる。



「やっと来たなぁ? 聖良?」


 耳のすぐ後ろで聞こえた声は、記憶にあるあいつのもので……。


 自分の気持ちをハッキリさせるために、会わなくちゃいけないと思っていた相手で……。



 首をひねり見上げた顔は、ぶん殴ってやると決めていたニヤついた顔があった。


「き、し……?」


 どんな理由であれ会いたいと思っていた相手。


 でも、予想外に突然会ってしまったからかフリーズしてしまう。



 目を見開き、岸を見上げたまま固まってしまった私。


 そんな状態、こいつにとっては格好の餌食だったのに。



 視線の先にある黒い瞳が、獲物に食らいつこうとする凶暴な色を見せる。


 しまった!


 と思ったときには、もう奪われていた。



「あ――んぅ⁉」


 はじめから深く入り込んでくる。

 貪るように、性急に。


「やっめ……んっ」


 岸の唇から逃げようとしてひねっていた首を戻そうとすると、後頭部を掴まれ戻される。



 強引な、呼吸すらも奪おうとするかのようなキス。


 そうだった。


 そんな岸のキスは、私を翻弄ほんろうするんだった。



 今更思い出しても遅い。


 すでにされてしまった口づけのせいで、私は体に力が入らなくなってくる。



「っは、まって……んぅっ」


 せめて少し待ってと懇願するも、また塞がれてしまう。



 腰に回された腕が私の体を支えるためか、更に強く抱き締めた。


 そうして抵抗することも出来ずクッタリしてしまった私を見て、岸は満足そうに目を細めて笑った。



「可愛いなぁ、聖良。会いたかったぜ?」


 私が知っているにやけ顔。

 そう、この顔をぶん殴ってやりたいと思っていたんだ。


 私は怒りの力を使って無理やり身体に力を込める。



 取り敢えず、一度離れないと。


「私も、ある意味会いたかったわよ!」


 叫んでいつかのように岸の足を踏み、痛みで腕が緩んだら彼の胸を押して離れた。

 そしてすぐに殴る体勢を取ったんだけど……。



 殴るべき相手の岸は、バランスを崩した様にふらついて壁に背中を打ち付けると、そのままズルズルと座り込んでしまった。


「…………え?」



 えっと……私、足踏んだだけだよね?

 あとは少し胸を押したくらい。


 こんなふらついて倒れる様なことしてないはずだけど……?



 予想外の展開に、また私はフリーズしてしまう。


「ったく、ホントじゃじゃ馬。まあ、そこが良いんだけどな……」


 岸は座り込んだまま膝を立て、そこに腕を置いて髪をかき上げた。

 その表情は自嘲を含んだ弱々しい笑顔。


 さっきまでしていたはずの、いつものふざけたにやけ顔はどこに行ったのか。



「な、なに? ふざけてるの?」


 戸惑いながらも聞くと、「ふざけてねぇよ」と不貞腐れたような声が返ってきた。


「最近まともに血を飲めてねぇからな……力が出ねぇんだよ」


「は? ……えっと、血液パックをもらえてないってこと?」


 一応岸はお尋ねものって状態だ。

 そんな人には配給されないのかも知れない。


 そう思ったけれど何だか違うらしい。


「血液パックに関しては吸血鬼が人間を襲わないために必要なものだからな。匿名でも申請すりゃあ貰える」

「じゃあどうして……」


 聞いた話では、確かひと月以上飲めなければどんどん衰弱していくと言っていなかったっけ?

 どれくらい前からまともに飲めていないの?


 今の岸の様子を見ると、衰弱は始まっている様に見える。


 さっきは無理やりキスをしてきて、いつもの岸だと思ったけれど……。

 思い返せば、強く抱きしめられたときに力強さをあまり感じなかった。



 どれくらいの衰弱具合なのか分からないけれど、明らかに弱っている今の岸を殴ろうとは流石に思えない。


 仕方なく、構えを解く。



「どうしてなんだろうなぁ? 血液パックの血を飲んでも、直接吸血してみても、少ししか飲めなくなってる。それなのに渇きはなくならねぇ……思い当たることはあるけどよぉ……」


 そう言って、胡乱うろんな目で私を見た。


「な、何よ?」

「まさかなぁ、とは思ったんだが……」

「だから何よ⁉」


 もったいぶったような岸につい声を荒げてしまう。


「……多分、お前の血を飲めば渇きはなくなる」


 珍しく真剣な目で告げられ、更に戸惑った。

 でも。


「そんなこと言われても、飲ませてあげるわけないでしょ?」


 単純に血を吸われたいとは思わないし、ましてや岸のことだ。

 血を吸うだけで終わるとは思えなかった。


「はは……まぁ、そうだよなぁ」


 ハッキリと拒否したけれど、岸の力のない笑い声に胸がざわつく。


 想定外だ。

 まさか岸が、こんな風に弱っているなんて。



 こんなんじゃ、殴りたくても殴れない……。



 私は本当に、弱っている人に弱いんだと思う。


 殴りたいと思っていた相手。

 嫌いだった――ううん、今も嫌いなはずの相手。


 そんな相手でも、弱っているところを見ると無下に出来ない。

 思わず、助けの手を差し出してしまう。



 今だって、弱っている岸から逃げるのは簡単なことだと思う。


 操られている工藤さんはいるけれど、命じるはずの岸がこれじゃあ大したこともできないんじゃないかな?


 だから、今すぐここから逃げて護衛の人達に助けを求めればいい。


 そうすればきっと岸も捕まえられる。



「……」


 でも、捕まった岸はどうなるんだろう?



 ふと、そこに思い至った。


 少なくとも学園には戻れないだろう。

 多分、退学処分とかになるんだと思う。


 あとは、愛良を狙う月原家に協力していたのと、私を狙っているという理由から私達から離される可能性が高い。


 多分、もう二度と会えなくなる。



「っ⁉」


 瞬時に湧いてきた感情に私自身戸惑う。


 どうして?

 どうしてこんな奴に会えなくなるのを嫌だと思ったの?


 むしろ安心するべきことなのに。



 自分自身のことが一番分からなくて混乱していると、そんな私をジッと見ていた岸が口を開いた。


「……逃げねぇの?」

「⁉」


「多分、今の俺はお前を捕まえておくことすら出来ねぇよ?」


 そう言って自嘲した岸は、夢で見たような諦めの表情をした。


 諦め、それを受け入れ慣れた悲しい笑み。



 ……ダメ。

 嫌だ。



 強く湧き上がってくる単純明快な感情。


 色んなしがらみを取っ払って出てきた答えに、私は考えるより先に体が動いた。



 岸の近くに歩み寄り、しゃがむ。


 そして首元を緩めて首筋をあらわにした。



「……いいよ、血を吸っても」


 言っておきながら、私は何を言ってるんだろうと内心自嘲する。


 こんなことをしたら岸は力を取り戻してまた私に酷いことをするだろう。

 捕まえることも出来なくて、また逃がしてしまうかもしれない。


 それでも、こうすることに不思議と後悔はなかった。



「…………は?」


 岸は、私のまさかの行動にただただ驚く。


 鳩が豆鉄砲を食らった顔ってこんな感じなのかな?


 いつもニヤニヤしている岸の表情をここまで驚きのものに変えられて、ちょっと満足した。



「あ、でも変なことはしないって約束して。あと、力が戻ったからといって私を連れ去ろうとしないで」


 そんな約束をしたところで守ってくれる確証はなかったけれど、言うだけは言ってみる。



「……この厳戒態勢の中、お前を連れて逃げるのはどっちにしろ無理だっての。変なことってのがキス以上のことを言ってんなら……まあ、努力はする」

「ちょっと⁉」


 そこは分かったで良いんじゃない⁉



 非難する私の声はスルーされて、岸は探るように私を見る。


「……本当にいいのか? 俺の力が戻ったらお前には都合が悪ぃんじゃねぇの?」


 何考えてるんだ? とでも言うように疑わしそうな岸。


 そんな彼にちょっと驚いた。

 じゃあ有難く、とか言ってすぐに咬みついて来ると思ったのに。



「……そうだね。約束なんて破って襲ってくるかもしれないって思ってるよ」

「分かってんじゃん。じゃあ――」

「でもね、あんたをこのままにしておけないのよ」


 じゃあやめとけ、とでも言いそうだった岸の言葉を遮る。


「だってあんた、このままだと死んじゃうんじゃないの? 私は別に、あんたに死んで欲しいとまでは思ってない」

「聖良?」


「理由は分からないけど、私の血を飲めば大丈夫なんでしょう? だったら今飲ませるしかないじゃない」

「それは、まあ……」


「それに、あんたがいつもみたいなにやけた顔をしていないと……殴りたくても殴れないのよっ」

「……」


 つらつらと言い訳を並べてみたけれど、本当のところは自分でもよく分からない。

 どれも本当に思ってることだけれど、一番決定打となったのは違うことの様な気がする。


 衝動的に動いたから、どうしてなのかが分からない。



 それでも、岸をこのまま放っては置けないという気持ちだけは確かだった。


「……じゃあ、そこまで言うなら有難く?」


 良く分からない、という顔をしつつ私に手を伸ばし引き寄せる岸。


 その腕の力が前より弱々しく感じて、なぜだか悲しくなった。



 岸の手が、私の肌に直接触れる。

 視線が絡むと、細められた目の中に欲情が見て取れた。


 ゾクリと、わずかに体が震える。



「ったく、こっちが我慢してやってるってのに……。もう止まんねぇからな?」


 確認というよりは、宣言のようにそう口にされた。

 そして、私が何か返事をする前にさらにグッと引き寄せ抱き締められる。


「っ!」


 怖い、んだろうか?


 確かに血を吸われるのは普通に怖い。

 でも、今感じている怖さはそれとは種類が違っていたような気がする。


 怖さの中に、嬉しいという気持ちが垣間見えたような……。



 そんなおかしな感情に戸惑っていると、首筋に温かい息がかかる。


「っはぁ……聖良……」


 求めていたものを手に入れることが出来たような、喜びの声音。

 その声だけでも何故かゾクゾクするのに、そのまま首筋を舐められた。


「ぅあっ!」


 次の瞬間、牙が深く入り込んで激痛が走る。


 でもすぐに痛みは熱に変わる。

 以前咬まれたときよりも熱に変わるのが早い気がした。


「んっ……はぁっ」

 変わるのが早かった熱は、巡るのも早いらしい。

 頭の中まで、すぐにとろけてしまいそうな熱が回ってくる。


 ちゅくっ、と私の血を吸う岸の唇に、変な感覚がする。


「ひゃっ! ぁんっ」


 変な声まで出そうになって、手を当てて声を抑えた。



「……聖良……」


 すぐ近くで熱っぽく名前を呼ばれ、ゾクゾクゾクッと何かが駆け上がってくる感じがする。



 何これ⁉ どうなってるの⁉



 訳が分からなくて、とにかく変な声を出さない様にするのが精いっぱいだった。



「っはぁ……」


 最後にひと舐めして咬み痕を塞ぐと、岸は顔を上げて私を見た。


「聖良?」

「っき、しぃ……」


 吸血行為は終わっても熱は中々引いてくれない。

 訳が分からなくて、そばにいる岸に助けを求めることしか出来ない。


「聖良、お前……」


 驚きの表情をした岸は、嬉しそうに妖艶に微笑んだ。



「聖良、感じてくれてんの?」

「ふぇ?」


 意味が分からなくて聞き返す。


「んだよ……可愛すぎるだろ」


 でも岸は答えてくれず、私の頬を両手で包み込み唇を重ねた。



「あっんっ」


 さっきしてきたような、全てを奪うキスじゃない。


 優しく全てを包み込んで、そうしてからパクリと食べてしまうような……そんなキス。



 唇をついばみ、ゆっくりと舐めとられるだけでなぜだかゾクゾクした。


「んっはっ……きし?」


 何でこんなキスをするのか。



 いつものような翻弄するキスじゃなくて、嫌だと突き放せない。


 むしろ……。



「っはぁ……悪ぃな、一応約束したってのに。でもこのままだとお前熱を逃がすことも出来ねぇだろ?」


「んっ……ね、つ?」


「ああ、吸血行為によって与えられた性的快感の熱だよ。相手のこと嫌ってると前回のお前みてぇに熱は感じても快感と言えるほどにはならねぇみてぇだけどな」


 一通り説明を終えると、チュッとまた軽く唇が触れ、岸の片方の手が私の腰に回される。


 引き寄せられ、もっと体が密着した。



 喜びと欲望に満ちた瞳が、すぐ近くで私を見つめる。


 その目がまた嬉しそうに細められた。


「で、こんな風に感じてくれてる今の聖良は……俺のことどう思ってくれてんのかねぇ?」


 ニヤニヤと腹の立つ笑みを浮かべる岸に少しムッとする。


 でも、その目だけは本当に純粋に嬉しそうで……少なくとも、殴りたいとは思わなかった。



「ま、そういうわけだから……」


 また、顔が近づく。


「キス以上はしねぇから、お前は大人しく熱を逃がすことだけ考えてろよ」


「ぁんっ」



 私の返答なんて聞きもせずに、また塞がれる。


 今度は初めから深く。

 でも、やっぱり奪うような強引さはなく甘さすら感じた。



 本当に困る。


 こんなキスをされたら……抵抗しようとする意志すらなくなってしまうから……。


「ふぁ……んっ」

「っはぁ……聖良ぁ」


 合間に名前を呼ぶのも止めて欲しい。


 求められているのが分かって、胸がキュウッとなってしまうから。



 無駄な抵抗でしかない言葉を頭の中で繰り返しながら、少しずつ私の熱は落ち着いて来る。


 優しく気持ちのいいキスは、昂りそうだった熱を安らぎに変えた。



 ……十分は経っただろうか。


 永遠のような、短いような……それくらいの時間をへて、私の熱は落ち着く。


 岸もそれは感じ取ったんだろう。


 深いキスはなくなり、ついばむキスになり、最後にはチュッとリップ音と共に離れていく。



 離れていく瞬間に物足りないと思ってしまった自分にハッとする。



 私、何考えてるの⁉


 相手は岸なんだよ⁉



 熱もなくなり、正気を取り戻した私は単純に恥ずかしくなって岸から顔をそらす。


 でも、そらしたのを良いことに頬にあったもう片方の手が後頭部に回った。

 そのままギュウッと抱き締められる。


 胸に残っているドキドキがまた早く脈打つ気がした。

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