そして、午後の田神先生とのデートの時間になる。
うう……どんな顔して会えばいいんだろ。
昼食をはさんで多少緊張はほぐれたけれど、今恋の相手として一番考えられる人だ。
知らなかったら彼のアピールに照れてあたふたしながらも、先生だからと一線を越えずにすんだ。
でも気づいてしまった。
その先生という境界線がなければ、きっと惹かれてしまうだろうってことに。
一応相手はもう一人いるけれど、あいつを好きになることなんてないでしょう。
これだけ好き勝手にされて、好感情が浮かぶとは思えなかった。
今でも湧いてくるのは怒りばかりだし。
だから、やっぱり一番恋の相手になりそうなのが田神先生なんだ。
やっぱり緊張してきた。
気取られない様にはしていたけれど、さっきからソワソワしてしまっている。
田神先生と合流したら、私どう接すれば良いんだろう。
緊張して悩んでも、合流しないわけにもいかなくて……。
「ああ、来たな」
そう言って顔を上げた田神先生は、以前彼の家に行ったときの様に前髪を下ろしていた。
格好もラフな私服で、先生というより少し歳の離れたお兄さんといった雰囲気。
私を見て微笑む彼に、自覚したからなのかいつも以上にドキリとしてしまう。
「じゃ、俺はこれで」
引き継ぎをして忍野君が去って行き、二人きりになる。
「じゃあ行こうか、聖良」
呼び捨てにされた名前。
今は“先生”ではないという意思表示。
当然の様に差し出された手に、私は少しためらいつつ自分の手を乗せた。
男らしいごつごつした手。
嫌でも意識してしまう。
「えっと、よろしくお願いします……」
照れてしまうので、視線を逸らしてしまった。
でも田神先生は見逃してはくれない様で……。
「聖良? ちゃんと俺を見てくれ」
そう要求される。
「え? えっと、今はちょっと……」
「聖良?」
緊張や照れが少し落ち着くまで待ってほしくて誤魔化すけど、田神先生はそんな私の顔を覗き込む。
「朝具合が悪そうだったと聞いたが、まだ良くなってないのか? 少し休むか?」
眼鏡の奥の目が心配そうな色を見せる。
覗き込むために
その様が普通にカッコイイ男の人にしか見えなくて、尚更照れて言葉を詰まらせてしまう。
「っ!」
私は今どんな表情をしているのか分からない。
ただ、顔は赤いだろうなって思った。
私の顔を見た田神先生は、少し驚いた様な顔をしてから嬉しそうに目を細める。
「……意識してもらえてる様で何よりだよ」
そうして妖艶に微笑むものだから私はさらに顔が熱くなる。
……でも、頭の中には他の顔もチラつく。
あいつはこんな笑い方しないよね、って考えてしまう。
本当に、私は今どういった状態なんだろう。
この田神先生とのデートでそれだけでも分かればいいな、と思いながら彼に手を引かれるまま歩いた。
「さて、体調が良くなったなら行きたい所があるんだが、大丈夫か?」
体調を気遣ってくれる田神先生の優しさに、またドキドキしながら私は頷く。
「大丈夫ですよ。忍野君も気遣ってくれて映画館でグッスリ寝ちゃいましたので」
笑いながら言うと、田神先生は「忍野に感謝かな?」と言いつつも「だが」と少し眉を寄せる。
「俺とのデートで他の男の名前をあまり出さないでくれ……嫉妬しそうだ」
「っ!」
口調は軽めではあったけど、その言葉が本気だというのが視線で伝わってくる。
独占欲丸出しな言葉に、私はどうして良いか分からなくなる。
ただ、少なくとも嫌だとは思わなかった。
「も、もう! 田神先生、あまりそういうこと言わないで下さい。どうして良いか分からなくなります」
耳まで熱くなるくらい恥ずかしい気持ちで何とか伝える。
少しは抑えて欲しいと願いを込めて。
でも、素で全力アピールして来ている田神先生には無理な話だったらしい。
「それは無理だろうな。お前には心からの本心を伝えようと決めているから」
その本心が妖しくて甘過ぎるんです!
抗議したかったけど、田神先生は目を細めて「それより」と言葉を続ける。
「先生呼びはやめてくれないか? 今は一人の男としてお前とデートしてるんだ」
「うっ……」
確かに、それはその通りだった。
田神先生もその辺はちゃんと分けて私の呼び方を変えているのに、私の方だけいつも先生として見ているのはフェアじゃない気がする。
「でも、何て呼べば……」
「それはもちろん、
「そっ! それは……」
いきなり名前の呼び捨てはハードルが高すぎる!
「田神さんでお願いします」
「せめて名前のさん付けにしないか?」
と、妥協して提案されたけど……。
斎さん?
無理無理無理無理!
想像しただけで恥ずかしかった。
「やっぱり田神さんでお願いします……」
恥ずかし過ぎてちょっと涙目になってしまった。
すると田神先生……じゃなくて、田神さんは口を押さえて私から視線を逸らした。
「? 田神せ……田神さん?」
「……いや、そういう顔はかなりヤバいなと思って……」
「ヤバい?」
何が?
聞き返すけど、それに対する答えは無かった。
ゴホン、と咳ばらいをして田神さんは「行こうか」とまた私の手を引いて歩き出す。
私は首を傾げ考えつつも、結局ヤバい顔というのがどんなものなのかなんて分からなかった。
そうして連れて来られたのはデパートの屋上。
そこは見事な庭園になっていた。
「わぁ……」
ガーベラ、サザンカ、ダリア。
他にも見たことはあっても名前の知らない秋の花々が見事に咲き誇っている。
「丁度秋の花が見ごろになってきたと聞いたからな」
そう言った田神さんはそのまま私の手を引いてゆっくり庭園を散策し始める。
「すごい。屋上ってこんな風になってたんですね」
純粋に感動した。
今までは必要なものを買いに来るくらいしかこのデパートには来なかったから。
何だかんだで、四人の中で一番デートらしいデートに心臓が優しくトクトク動いていた。
そういえば、と思う。
私、こういうちゃんとしたデートって初めてだ。
その事実に、また少し鼓動が早くなった気がした。
色鮮やかな花々に癒され、少し歩き疲れたころに併設されているカフェのテラス席を勧められる。
一緒に花を楽しんで、スムーズにカフェへと誘導する様子は大人だなぁと感心してしまう。
少なくとも、他の三人には出来ない技だろう。
花の香りがするハーブティーを飲みながら、庭園の花々を観賞する。
なんて贅沢なんだろうと思ってしまった。
「どうだ? 中々良い癒しになるだろう?」
同じくハーブティーを飲みながら田神さんに聞かれる。
優しく甘い眼差しにトクリと胸が高鳴った。
「……はい」
微笑みと一緒に返事をする。
先生じゃなくて一人の男性として見てみると、やっぱり予感した通り恋の相手になりそうだと思った。
ただ、それでも彼はまだ“先生”だから……。
だから、やっぱりブレーキがかかる。
その恋を芽吹かせることが出来ない。
しかも……。
さっきから田神さんの行動で胸がときめくたびに、記憶の片隅からチラついてくるムカつく笑顔。
どうして記憶だけの存在のくせにこうも影響力があるのか。
本当に腹の立つ男。
やっぱり、もう一度会うしかない。
会って、あの腹の立つにやけ顔をぶん殴ってやるんだ。
そうしてハッキリさせる。
私の心が誰に向かっているのかを。
そんな決意をしていたせいかな?
表情が硬くなっていたみたい。
そしてそんな私の様子を田神さんは見逃がさなかった。
「聖良? どうした? 厳しい顔をして……?」
さっきまで癒されたといった表情をしていたのに、突然真顔になったらそりゃあ心配もするだろう。
「あ、えっと……ちょっと決意したことがあって……」
そうして私は今考えていたことを少し彼に聞かせた。
岸に会いたいと思う、と。
会って、ぶん殴って、気持ちをハッキリさせたいんだって。
田神さんならさっさと気持ちをハッキリさせて自分に心置きなく惚れろとでも言うかと思ったのに、彼の反応は真逆だった。
「岸に、会いたい……?」
「はい、そうすればきっといつもチラついて来るあいつの記憶をスパッと切り離せると思うんですよね」
会いたいと言っても、気持ちの整理をするためにぶん殴ってやりたいだけだとちゃんと伝える。
なのに、田神さんの表情は晴れない。
むしろ焦燥に近くなっていく。
「田神さん?」
どうしてそんな顔をするのか。
逆に私の方が心配になって彼を呼んだ。
すると動揺したように揺れていた瞳がスッと私を見る。
「会って、欲しくない」
「え?」
「どうしてだろうな……君に酷いことしかしていない相手なんだから、君があの男を好きになるはずないって思うのに……何故か嫌な予感が止まらない」
とても真剣な目が真っ直ぐ私を見つめる。
そしてテーブルの上にあった手をギュッと掴まれた。
「会わせたくない。会わないでくれ」
その
会わないでくれと言われても……。
「でも多分、あいつは来ますよ?」
私への執着を思うと、あいつの方が来ないなんてことだけはないと思う。
その確信は田神さんにもあったんだろう。
彼はグッと言葉に詰まって苦い顔をした。
「……せめて聖良、自分からあいつに接触しようとだけはしないでくれ」
妥協された願い。
でも私はあいつのことをハッキリさせたい。
あいつを思い出すと湧き上がってくる熱の正体を知りたい。
事あるごとに記憶から湧き出てくるあいつを追い出したい。
ここでその気持ちを隠して頷いても良かったけれど、田神さんには正直でいたかった。
だから。
「……ごめんなさい。そのときにならないとそれは分からないです」
正直に伝える。
あいつの姿を見たとき、田神さんの言葉を思い出して立ち止まれるか。
それはそのときにならないと分からない。
だから、約束は出来なかった。
「聖良っ! ――くっ……」
咎めるように名前を呼ばれたけれど、今は何を言っても私の意見が変わらないって気づいたんだろう。
うん、私って結構頑固者だから。
さらに強く掴まれた手を見つめながら、私はもう一度ポツリと謝罪した。
「ごめんなさい、田神さん……」