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第38話 閑話 奪う者

 深夜、協力者に用意してもらった家の縁側から日々欠けていく月を見上げた。


 協力者である月原家は古くから日本にいる吸血鬼だ。

 そのせいか吸血鬼達の中でもそれなりの権力を持つ。


 たかが一協力者でしかない俺に別邸を貸すくらいには金持ちでもあるってことだ。



 真っ暗な空に小さく浮かぶ下弦の月を見ながら俺は一度は手にできたはずの女を思う。


 香月聖良。


 初めてその気配を察知したときから気になっていた存在。

 直接触れ、その血を飲んでからはあいつを求める心を制御出来なくなった。


 甘く芳しい、今まで飲んだ血の中で最上のもの。


 あの味を思い出すだけで恍惚とした気分になる。



 あれが“花嫁”の血ってことなのか?


 分からねぇ……けど……。



 血を吸った後の聖良の顔を思い出す。


 怖がってはいても、直接吸血で与えられた熱で潤む目と上気した頬。


 熱い吐息を漏らす唇には、すぐにでもかぶりつきたかった。


 とにかく何が何でも俺のものにしたくて、無理矢理にでも奪おうとしたんだ。



 でも、邪魔が入った。



 そうして逃げても聖良が欲しいという思いは強くなる一方で……。


 だからそのための手段として、月原家の協力者に名乗りを上げたんだ。



「それだっていうのに、失敗するとはな……」


 思わず悔し気に舌打ちしてしまう。


 先日、やっと計画を実行に移すチャンスが来た。

 月原家が地道に続けていた下準備が実を結ぶ形で。



 その下準備のおかげで途中まではうまく行っていたんだ。


 シェリー達も“花嫁”を手に入れられたし、俺も聖良を手に入れた。


 かぶりつきたいと思っていた唇も味わえたし、弱いところも知って味見程度に攻め立ててみたし……。



 もっと、味わいたかった。


 場所なんて関係なく、あいつのすべてを奪いたかった。



 思い出すだけで、俺の中にマグマのような熱が巡る。


 怖がって震えるさまも可愛かったが、本来の気の強さを出して睨む表情にもゾクリとした。


 聖良というただ一人の女が、欲しくて欲しくてたまらない。


 邪魔さえ入らなければ、きっと今頃は俺の腕の中でドロドロに溶かしてやっていたのに……。



「聖良……」


「……ホント、かなり執着してるのね」


 求めた女の名前をつい呟くと、庭の暗がりから求めた女とは違う人物が現れた。


 シェリー。

 月原家の裏の仕事をしている女。

 俺の協力者。


「……なんだよ。こんな夜中に何の用だ?」


 気配で近くに来ていることは分かったが、話しかけてくるとは思わなかった。


 今までもこの別邸周辺で吸血鬼の気配を感じることはあったが、監視目的なのか接触してこようとはしてこなかったから。


 結局のところ、完全に信用されてるわけじゃ無いって事だ。



 ……まあ、良いけどな。

 俺も利用させてもらってるだけだし。



「素っ気無いわね。血液パック持って来てあげたっていうのに」


 少しムッとした様子で上げた手には、言葉の通り血液パックが一つあった。


「あの“花嫁”もどきの血は飲まなかったんでしょう? ならそろそろ飲んでおかないと辛くなってくるんじゃない?」


「だからお前な、聖良のことを下に見るような言い方すんじゃねぇよ。あいつは俺の――」


「あーはいはい。分かったからさっさと受け取ってちょうだい」


 聖良を“もどき”なんて言い方をしたシェリーに不満を告げようとするも、テキトーに流されて血液パックを軽く放られた。



「ッチ」


 舌打ちを返しつつもそれを受け取った俺は、見慣れた血液パックを無言で見る。

 ハンター協会から支給されている血液パックだ。


 吸血鬼が人間を襲わないように、ハンター達は献血という形で吸血鬼達に血を支給する。

 これも、百数十年前に吸血鬼とハンター協会で取り決められたルールの一つだ。


 血液パックはハンター協会で厳重に管理されているが、そういった理由から特定のルートを使えば匿名でも申請して手元に届くようになっている。


 だから、一応追われる身である俺にも支給されるってわけだ。



 初めに聖良の血を飲んでから一週間以上は経っている。


 実際そろそろ気だるい感じにはなって来ていた。


 吸血衝動が出始めた頃から週一で飲んでいた血液パック。


 確かに飲んだ方がいいだろう。



 俺は無言のままキャップを開けいつものように口をつけた。


 ……だが。



「ぅぐっ! ぺっ! 何だこりゃあ⁉ マズ過ぎて飲めねぇぞ⁉」


 聖良の血とは違って、血液パックの血は元々美味しいと思ったことはない。


 例えるならクセのある栄養ドリンクみたいな感じだ。

 飲めるけれど、別に好んでたくさん飲みたいと思うほどじゃない。


 そんな血液パックだが、これほど生臭くてマズイと思ったことはなかった。


 なんでだ?

 日が経って劣化したものでも渡されたのか?



 もしそうならシェリーの仕業という事で、睨むように目の前の女を見た。


 でも、その表情はしてやったりというようなものではなく驚きのもの。


 別に狙って劣化したものを渡したというわけじゃなさそうだ。



「え? それ今日届いたばかりのものよ? 私も飲んだけれど、そこまでマズイなんてことは……まさか“花嫁”の血を飲んだからってわけじゃないと思うし……」


 ぶつぶつ呟く声に俺も内心同意する。


 聖良の血は確かに極上の味がした。


 “花嫁”だからなのかもしれないが、でも“花嫁”の血を飲んだからといって他の血が飲めなくなるなんてことは聞いたこともない。



 血液パックを見つめてもう一度試しに飲んでみるか? と考え顔をしかめる。


 いくら飲まなきゃ体力が落ち死に近づいてしまうと分かっていても、このマズさは遠慮したい。


 そうしていると、シェリーがふと何かに気づいた。



「……もしかして、あの子はあなたの“唯一”なんじゃないかしら?」


「は?」


「“唯一”の血を飲んだ吸血鬼は、たまに他の血を受け付けなくなる者もいるらしいから」


 私は大丈夫だったけれど、と口にするシェリー。


 そういえばこの女には“唯一”がいるんだったな。



 “唯一”とは文字通り一人の吸血鬼にとっての唯一無二の存在だ。


 ただ、見つけられるかは運次第。


 奇跡に等しい確率なため、ほとんどの吸血鬼が出会うことはない。


 そんな奇跡でも起こらなければ出会うこともないはずの俺の“唯一”が――聖良?



「……」


 有り得ない、とは言わない。


 ある意味、渇望するほどに求めるこの想いは確かに聖良が俺にとっての“唯一”だからなのかもしれない。



「そうかもな……」


 そう呟いた俺は口元に残った血を袖でぬぐい、月を見上げた。



 手を伸ばして焦がれて求めても、この手に自ら落ちて来てはくれない。

 求めても、求め返してはくれない。


 今の聖良との関係性は、そんな月と同じように思えた。



 でも、別にそれでいい。


 求めてもらえないのが分かっているんだ。


 それなら俺は躊躇いもなく略奪者でいられる。



 焦がれて、求めて――奪う者。


 それが俺なんだ。



「待ってろ聖良ぁ……。次こそはお前のすべてを奪いつくしてやるからなぁ」


 半分になった月を見上げ、俺は求める女を思った。

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