「……え? 忍野君? 転校したんじゃ……?」
思いがけない人物の登場に少し混乱した私は、有香達の話を思い出しながらそう聞いた。
「あ、うん。だから、この城山学園に転校するんだ」
「え? 転校ってここだったの?」
瞼を何度もパチパチさせて何とか理解しようとする。
どうしたのかなって思っていた相手が、まさかこんな形で目の前に現れるとは思わなかった。
あ、でも忍野君が吸血鬼ならこの学園に来ても不思議じゃないのかな?
実際、この学園の制服に身を包んでいる忍野君の襟元には、V生の証であるピンが付けられていたから。
「君も座ってくれ。丁度今から聖良さんの婚約者の話をするところだったんだ」
田神先生に促され忍野君も空いている席に座ると、先生は軽く皆を見回し私のところで視線を止めた。
「さて、君の婚約者候補だけどね、ちょっと変更があったんだ」
「変更?」
婚約者候補に変更って、どういう事だろう?
「最初は愛良さんが選ばなかった残りの四人から選んでもらう予定だった。でも、二人ほど増えることになったんだ」
「二人……」
って、もしかして……。
「私と、今来てくれた忍野奏都君だよ」
「え――」
「何でですか⁉」
私が理由を聞く前に、浪岡君が叫ぶ。
「確かに先生も赤井家に連なる人だから分からなくはないけれど、でも年ちょっと離れすぎじゃないですか⁉」
「それに、忍野先輩に関しては赤井家に連なる者ですらない。どういった理由があってそんなことになったんですか?」
浪岡君に続き俊君も感情を抑えた声で聞いていた。
「私に関しては、この程度の年の差など大人になれば大したことじゃないと言っておこう。何より私は他の男に聖良を渡したくはない。上の許可は取ってある」
田神先生は冷たい目で二人を軽く睨み、私に視線を戻すといつかの様に熱のこもった瞳に変わる。
「聖良、以前俺は卒業したら覚悟しておけと言ったな?」
「っはい……」
一人称が、《俺》になってる……。
「それが早まっただけだと思えばいい。これでプライベートの時だけだが、堂々とお前を口説けるよ」
とても嬉しそうに言われて、顔に熱が集まる。
以前田神先生の自宅に行った時のことが蘇った。
あの時みたいに、田神先生の妖艶な大人の雰囲気のせいで熱に浮かされそうになる。
「っじゃあ!」
でも、田神先生の雰囲気に呑まれそうになる私を引き留めるように声が上げられた。
「忍野先輩は何でですか⁉」
失礼だということも頭から抜けているんだろうか。
忍野君を指差しながら浪岡君が叫んだ。
「それは、本人からちゃんと説明してもらった方が良いだろうな」
妖艶さを引っ込めて、先生の顔に戻る田神先生。
視線が忍野君に集まった。
「あ、えっと……」
はじめ戸惑って言葉が出てこなかった彼は、軽く深呼吸をして話し出す。
「まず、俺達忍野の人間は人に成りすまして生活していた。成りすますための方法を使えば、吸血衝動も起きないし人間の血を吸わなくても生きていける。それに吸血鬼としての気配も断てるから、本当に人間と変わりない生活が出来るんだ」
「そんな人達がいたとは知らなかったよ」
相槌を打つ様に正輝君が口にする。
「でもそんな風に生活してても吸血鬼であることに変わりはない。だから、身近に勘付かれそうな吸血鬼やハンターがいると引っ越したりして逃げることもあったんだ」
引っ越しって……そこまでしなきゃないの?
「俺も中学の時、同級生で友達になったやつが吸血鬼だって分かってさ……。そいつがこの学園に通えればあっちが転校してくれるから引っ越すことはなかったんだけど、なんか特殊な理由があるみたいであいつが転校するってことはなかった」
だから自分が転校しなければならなくなった、と。
悲しそうに、悔しそうに話した忍野君は次に私を見て罪悪感に耐えるような悲痛な表情をした。
「そんなことがあったからさ、またああやって転校とかしたくないって思ってて……だから、香月にあの方法を試したんだ」
「あの、方法?」
試したって、何かされたっけ?
分からないけれど、確実に後悔しているような忍野君の様子に不安だけは募る。
「高校で香月に会ったとき、すぐに吸血鬼が好む血を持ってる人間だって分かった。吸血鬼の“花嫁”になりえる人間がいるってことだけは知ってたから、多分香月がそうなんだろうって」
そして転校したくなかった忍野君は、自分たちが使う人間に成りすます方法を私に試したそうだ。
「そうしたら、“花嫁”の気配も消えたから安心した。あとは定期的にその方法を使って、高校生の内は乗り切れるだろうって思ってた」
そこで「でも……」と呟き愛良をチラリと見る。
すぐに外された視線は床に落とされた。
「少ししてから香月の妹を見て、こっちが本当の“花嫁”だって分かった。だから、香月にその方法を使うのを止めたんだけど……」
その続きの言葉はなかなか出てこなかった。
凄く、躊躇っている。
でも話してもらわないと困る。
私は促す意味を込めて「忍野君?」と呼びかけた。
ビクッと体を震わせた忍野君は、恐る恐る私を見てから口を開く。
「……香月に、その方法を使うのを止めたら……香月の“花嫁”の気配が倍増したんだ」
「……ばい、ぞう?」
「そうだ、倍増して強くなった」
一番伝えづらかったことを口に出してしまったみたいで、その後はまくし立てるように言葉を放つ。
「俺、ちょっとパニックになって……それでとりあえずまた方法を試した。そしたらまた気配は消えたけど、効果がなくなればまた倍増して……完全にいたちごっこになってしまったんだ」
方法を試すのを止めてしまえばいいのか迷って、結局そのまま続けてしまったんだと。
「じゃあ、聖良ちゃんが愛良ちゃんに匹敵するくらい血の力が強いのって……」
驚きを含んだ津島先輩の声に、忍野君はコクリと頷いた。
「ええ、完全に俺のせいです」
「……」
私は、何と言って良いのか分からなかった。
岸から助けようとしてくれたとき、忍野君は私が
それは愛良と同程度の“花嫁”の血を持つようになってしまったってことを言っていたんだ。
まずはそれを理解して、考える。
私は、それを怒るべきなのかな?
確かにこうならなければ岸に目を付けられることも、危険な目に遭うこともなかったし、何よりこの学園に転校することもなかった。
でもそうなったら、愛良を一人でこの学園に行かせることになっていたんだろう。
今までの事件を思うと、それは避けたい事態だった。
だから……。
「こういう事だったんだ。ごめんな、香月」
謝ってきた忍野君に、私は笑顔を返す。
「いいよ。勝手に何かされたってのはちょっと嫌だけど、忍野君がそうしてくれなかったら愛良を一人でこの学園に行かせることになってたと思うから……」
結果論だけど、許せないと思うほどのことではなかったから……。
「それよりも気になるんだけれど、結局私に何をしたの? その方法って何?」
許してもらえるとは思わなかったのか、戸惑いの表情で瞬きをする忍野君。
私の質問に答えるまでに少し間が開いてしまった。
「あ、ああ。ほら、俺皆に飴配ってたじゃんか」
「ああ、“飴屋”なんて言われてたくらいだもんね」
「そうやって皆にも配って誤魔化してたんだ。香月にやってたのって、大体べっ甲飴だっただろ? あれ、俺が作ったやつなんだ」
「……は」
飴?
あの飴?
あれが原因だったの⁉
まさかあのべっ甲飴だけは私限定だったなんて思ってもいなかったから、衝撃を受けた。
「詳しくは教えられないけど、自分の血を使って蒸留したり抽出したりって色んな手間かけて出来る飴なんだ。それを定期的に口にすることで、俺達忍野の一族は人間として暮らしてる」
「……ん?」
ちょっと待って?
今、何か聞き捨てならない言葉が聞こえたような……。
「……ねえ、今、自分の血を使ってって言った?」
「ん? ああ」
そう答えた後、忍野君は私が何を気にしているか気付いたんだろう。
慌てて言い募った。
「あ! でも本当に色んな過程があるから、本来の血とは全く別のものになってるし!」
「そういう問題じゃないでしょうがぁ!」
思わず叫んでしまった。
いくら全く別物になってるとは言え元は血だったものを人の口に入れるようなことするとか……。
「なんてもの食べさせてくれるのよぉ……」
吐き出したいけれど今更過ぎるし、もうどうしようもない。
「えっと、ご、ごめんな?」
血の力が増えた事よりも原料が血だったことを怒られるとは思っていなかったんだろう。
今更過ぎる謝罪に私は思わず忍野君をキッと睨んだ。
でも、それ以上文句を言う前に田神先生が口をはさむ。
「まあ、そういう事なので……話を戻すぞ?」
話を戻す?
血が原料だっていう飴を食べさせられた。
そのことを知ったショックから抜け出せない私は、急に話を戻すと言われても何を話していたのかすぐには思い出せない。
「とにかく忍野はそう言った事情のため、責任を取るために婚約者候補に入ることになったんだ」
田神先生の言葉に、そんなショックはどうでも良いことだったことに気付く。
そうだよ、私の婚約者候補のことだよ!
もうどうしようもないことでショックを受けている場合じゃない。
責任を取るって、私を“花嫁”にしてしまった責任ってこと?
「もちろん選ぶのは聖良だ。だが、聖良を“花嫁”としてしまった責任として守るのは当然のことだろう」
というか、守らせる以上のことはさせるつもりはないが……という呟きも聞こえたけれど、それは今はどうでも良い。
「いや、私別にそのことには怒ってないし……責任なんて取ってもらわなくても良いんだけど……」
忍野君が岸に腹を蹴られたシーンが頭の中に蘇る。
あんな風にわたしを守ることで痛い思いをさせたいわけじゃない。
「だから、無理に婚約者候補にならなくても……」
そう言い募る私に、忍野君は「いや!」と大きめな声を上げた。
「良いんだよ香月。って言うか、俺がそうなりたいんだ」
「え?」
どういう事だろう?
「その……自覚したのは最近なんだけどさ、俺……香月のこと好き、みたいで……」
「え?」
「だから、婚約者候補に入るって知った時はむしろ嬉しいって思ったくらいで……」
乙女の様に頬を染めながら視線をさ迷わせる忍野君。
私は突然の告白に「え?」としか返せない。
何とか告白されたんだと理解して息を呑むと、今度は俊君が声を上げる。
「忍野先輩、抜け駆けですよ? 聖良先輩、この際だから俺もちゃんと伝えておきますね? 俺も、聖良先輩のこと女性として好きですから」
こちらにも「え?」としか返せない。
すると浪岡君まで――。
「俊先輩だって抜け駆けです! 聖良先輩、僕の気持ちも受け取ってください。僕だって、あなたが好きなんです」
「……え?」
もうあたしは“え”の一文字しか言えなくなってしまったんだろうか。
それくらい他の言葉が出てこない。
えっと……どうすれば……。
助けを求めるように視線を他に向けると、津島先輩と目が合った。
「あ、俺はどっちでもいいぜ? 聖良ちゃん可愛いから婚約者なっても良いし、無理なら無理でもそこまでショックは受けねぇから」
と、婚約者候補としての意見を口にしたので、同じ立場の石井君まで意見を言い始める。
「俺は……友人くらいにしか思えないが、もし俺を選んだなら努力はするし必ず守る」
何だか嬉しいような嬉しくないような意見ばかりを言う二人。
そんな二人に助けを求めようとしたこと自体が間違っていたのかもしれない。
私は二人を無視して女の子達に目を向ける。
すると瑠希ちゃんがキラキラした目でこちらを見ていた。
「すごい! 逆ハーレムですよ⁉ 後輩二人に同級生! そして先生まで! あ、でも先輩ポジションは足りないですね」
オイ!
「鏡、落ち着きなさい」
私の代わりに嘉輪が瑠希ちゃんをたしなめてくれた。
――と思ったのに。
「聖良は可愛いから、今後先輩ポジションの人だって現れるかもしれないわよ?」
って嘉輪ーーー⁉
何でこうもみんな助けにならないのか。
嘉輪の近くにいる正輝君は視線を合わせようとすらしてくれないし!
私は最後の望みと愛良を見る。
「え、えっと……」
視線が合って少しオロオロした愛良は、グッと意を決したように拳を握って口を開いた。
「お姉ちゃん、頑張って!」
「……」
応援が欲しいわけじゃないんだけどなーーー⁉
ちょっと泣きたくなってきた。
そして愛良の隣の零士はと言うと……。
「俺は愛良にちょっかい出すやつがいないならどうでも良い」
はい! ブレませんね!
私は「はあぁぁぁ」と大きく息を吐いて、改めて婚約者候補の面々を見る。
何故か愛良の時より増えてしまった婚約者候補六人。
そのうち好意を抱いてくれている人が四人。
そう確認していると、『お前は俺のだからなぁ?』っていうふざけた幻聴まで聞こえてきた。
はいはい、なんか厄介な奴も一人いましたね!
まあ、その一人は却下として……。
この人たちの中から私は誰か一人を選ぶんだろうか。
……と言うか、選べるんだろうか。
私の恋の種は目覚めはしたけれど種のまま。
これが花開くときは来るんだろうか。
今はまだ、分からない――。