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第36話 愛良の選択

 寮の自室に帰ってくると疲れがどっと出てきてベッドにうつぶせに突っ伏す。


 ただ遊んで帰ってくるだけのはずだったのに、とんだお別れ会になってしまった。



 ……有香達、大丈夫かな?



 別れる最後まで反応を示してくれなかった友人達。


 田神先生は入れられた血が薄まれば元に戻るから大丈夫だ、とは言っていたけれど……。



 あの虚空こくうを見つめるだけの状態を見ると、本当に大丈夫なのかと不安になる。


 定期的に見舞いに行きたいけれど、多分しちゃいけないんだよね。


 ハッキリとは言われなかったけれど、雰囲気がもう有香達に会わない方が良いと物語ってた。



 その理由も、なんとなく分かる。


 また頻繁に会ったりしたら、今後も今日みたいに利用されてしまうからだろう。


 今日みたいに人質扱いされるならまだいい方。

 最悪はその上で殺される可能性もあるってことだ。



 愛良の友達は、愛良がはじめ抵抗したせいで顔に傷をつけられたんだとか……。


 痕が残るほど深い傷ではなかったけれど、シェリーは人を傷つけることにためらいなんて欠片もなかったと、帰りの車の中で愛良が教えてくれた。



 私達を狙ってくるような相手はそういう人達なんだと、理解しなきゃならないと思った。



 しかも、そのシェリーは捕まっていない。


 彼女達の仲間は何人か捕まえることが出来たけれど、引き際をわきまえていたみたい。


 愛良を連れていけないと判断すると、即座に逃げたんだとか。



 嘉輪が悔しそうに言っていた。


 岸だけじゃなくてシェリーも取り逃がしてしまったって。


 岸を追うよりも愛良を助けてと頼んだ私は心の内でごめんと謝るしかなかった。


 まあ、後悔はしてないんだけどね。



 そうして思い返しているとウトウトしてきた。


 このまま眠ってしまいたいのを何とかこらえて起き上がる。



 シャワーを……何としてでもシャワーだけは浴びないと!


 岸に散々耳とか首とか舐められたし、洗わないと気持ち悪い!



 ……それに、本当は見たくもないけれど、確認しておきたいことがある。


 首に付けられたキスマーク、いったいいくつあるのかってことを。



 誰にも見られていなかったら、私も意識しないで消えるまで素知らぬふりも出来たかもしれない。


 でも、もろに見られた忍野君のあの反応。


 怖いもの見たさじゃないけれど、どんだけあるんだって気になってしまった。



 それに、見える位置にあった場合しばらく隠さなきゃならないしね……。



 私は重い体を引きずるようにして着替えと道具を持ちシャワー室に向かった。


 誰もいないランドリー室を通り過ぎて、誰も使っていないシャワー室の一つに入る。


 そして一通り洗い終えてから、私は意を決する。



「……ふぅ……よし!」


 確認しなきゃと思ったけれど、何だか見るのが怖くて鏡を見ない様に体を洗ってしまった。



 でも確認しないわけにはいかない。


 私は髪を後ろに流し、しっかり見えるように準備を整える。


 そしてもう一度深呼吸をしてから鏡を見た。



「っっっ⁉」


 目を疑った。


 これは、忍野君も目を泳がせるわけだ……。



 舐められていた耳の下から、首筋、肩の近く。

 あとは鎖骨と喉にも。


 パッと見いくつあるのか分からないくらいの赤い痕。


 恐る恐る数えてみたら十個あった。



 あの短時間でよくまあこんなにも痕をつけられたものだ。



 岸は、これが執着の証だと言った。


 こんなにも痕をつけるほどの執着……。



「っ!」


 溢れてきた感情が何なのか分からないけれど、とにかく全身が熱くなった。


 怖いとも思うし、純粋に恥ずかしいとも思う。


 あとはこんな印をつけられた怒りと――良く分からない燃えるような感情。



 私は持て余したその燃えるような感情を怒りに変換した。



 もし次会ったら、絶対殴る。


 それだけは何が何でもやると決めた。



 そのために誰か格闘技を教えてくれる人を探そう。


 そう硬く決意したのだった。


***


 そんな決意をしたけれど、色々と事後処理があるみたいでみんなしばらくはバタバタしていた。


 休みも終わり、文化祭の準備も本格化したこともあって忙しい毎日。



 格闘技を教えてと頼むのは勿論、あのお別れ会のことを詳しく聞くことも出来なかった。


 特に忍野君はどうなったんだろう。



 有香達からは二日後くらいに本人達から連絡が来た。


《カラオケの途中から記憶ないんだけどさー何かあったっけ?》

《ってかその少し前からちょっと記憶があやふやなんだよね》

《学校の皆もそういう人多くてさぁ。何かちょっとした怪奇現象になってるよ》


 と、笑っているうさぎのスタンプが届いて何だか安心した。



 この様子なら田神先生の言った通り、血が薄まってもとに戻ったってことだろう。


 でも、だからこそ続いた言葉が辛かった。


《でもまあ途中までは楽しかったし、また一緒に遊びに行こうね》


 ツキン、と心が痛む。


 また一緒に。


 それが無理なことだって分かっているから……。



 私は泣きそうになりながら、《そうだね》とだけ返した。




 その時、少しだけ忍野君のことも聞いてみたんだ。


 そしたら忍野君は、親の仕事の都合とかで急に転校していったらしい。


 私の時も急だったけれど、忍野君もスピード転校だったと驚きの絵文字付きで教えてくれた。



 だから田神先生とかなら何か知ってるんじゃないかと聞いてみたかったんだけれど、話す機会がなくそのまま数日が過ぎてしまった。



 そうして首のキスマークも薄れてきた文化祭直前のある日。


 田神先生がいつもの会議室に嘉輪達も含めた皆を集めたんだ。


***


「お姉ちゃん、あたしちょっと後から行くね」


「え? 愛良?」


 集合時間より三十分ほど前に私の部屋に来てそう言った愛良は、そのままどこかへ行ってしまった。


 一人でどこに行くの? と心配したけれど、廊下の先の方に瑠希ちゃんがいたのでホッとする。



 その瑠希ちゃんと何を話しているのかは分からない。


 けれど、幸せそうに何かを決意したような表情が見えてピンときた。


 同時に、寂しさが胸に宿る。



 私の愛良が、他の誰かの愛良になってしまうんだなぁと思ってしまって……。


 もちろん姉妹なんだからその関係が崩れるわけじゃない。


 でも、小さなころから守ってきた大事な妹。


 その妹を守るのは、もう私ではないんだなって思って……。



 そして予想通り、愛良は皆より少し遅れて会議室に入ってきた。


 幸せそうな表情で、零士と手を取り合って。



「皆に、伝えておきたいことがあります」


 そう前置きした愛良。


 でも、もうみんな分かっていた。


 “花嫁”の愛良が誰を選んだのか、なんて。


「あたしは零士先輩が好きです。あたしは、零士先輩と婚約します」


 迷いなくハッキリと言った愛良の言葉を噛みしめるように私は一度瞼を伏せた。



 思えば、初めて会った時から零士が気に入らなかったのは、こうなる予感があったからかもしれない。


 私から愛良を奪っていく男。


 そんな予感があって、ずっと認められなかった。



 でも、零士は呆れるくらい愛良一筋だし、何より愛良が自分で決めた相手だ。


 ハッキリと愛良の気持ちを聞いてしまったからには、認めるしかない。


 私はツカツカと二人の前に行き、ビシッと零士を指差した。


「絶対、何が何でも、愛良を守ってよね」


 そう言って睨み上げた私に、零士は驚いた表情をする。



 いつもならここから「お前に言われなくても」、とケンカになるところだけれど、私の真剣な気持ちに気付いたんだろう。


 ケンカ腰じゃなく、素直に私の言葉を受け止めた。



「ああ、もちろんだ」


 その返事を聞けて満足した私は、くるりと振り返って座っていた椅子に戻る。



 その時、石井君の顔が見えた。



 うん、そういう顔になっちゃうよね……。



 愛良の気持ちを尊重して、祝福しようとしてるんだろう。


 顔は一応笑顔になっていた。



 でも、その目に宿った悲しみは隠せていない。


 傷つかないで欲しいとは思ったけれど、やっぱり失恋で悲しくならないなんて無理な話だ。


 私は慰めるべきかと少し考えてやめた。



 今私に何か言われたところで失恋の傷は癒えないだろうし、癒すのは私じゃなくて次に石井君が好きになった人の役目だ。


 ちなみに、その役目に私はなる気は無い。



 恋の種を起こしてくれたのは確かに石井君だったけれど、芽生えるほどではなかったから。


 それに、逆に石井君が私を思う様になってしまったらその方が幻滅だ。


 愛良の代わりにされている気分になっちゃいそうだし。



 だから、石井君に関してはただ願うだけ。


 次の恋は、成就してほしいなって。



「……そうか、分かった。じゃあそのように進めていくことにしよう」


 田神先生はそう承知すると、愛良達にも座るように促した。



 愛良達が座ったのを確認すると、田神先生はお別れ会襲撃事件で分かったことを報告してくれる。



 愛良をさらって行こうとしたあのシェリー一味は、月原つきはら家という赤井家とは何かと対立したがる家の吸血鬼――かも知れない、という事だった。


 あくまで“かも知れない”と言うのは確証がないから。


 月原家が黒幕なのはほぼ確定なんだけど、確かな証拠がないから問い詰めても知らぬ存ぜぬでかわされるばかりなんだそうだ。


 強引に決めつけてしまうと全面戦争に発展しかねないから確証がないことには抑えつけるわけにもいかない。



 悔しいけれど、今まで通り警戒するという方法しか取れないという事だった。



「そんなわけで、いまだ安全とは言えない状況だ。愛良さんと聖良さんは学校の敷地内でも護衛を誰か一人はつけておくようにしてくれ」


「はい、わかりました」

「仕方ないですもんね」


 愛良に続いて私も承諾する。


 私達が狙われているというのは今回の事件で嫌というほど分かった。


 拒否する選択肢はない。


 私達がちゃんと了承したことで、田神先生は次の話題に移る。


「じゃあ、最後にもう一つ大事な話だ」


 そう前置きをして、田神先生はキラリと目を光らせ私に視線を固定した。



 え? 私?



「愛良さんが零士を選んだ。ということは、聖良さんに零士以外の男を婚約者として選んでもらわなくてはならない」


「っ!」



 そ、そっか……。


 そう言えばそんな話だったような……。



「で、でも、みんなは迷惑なんじゃないですか? 元々は愛良の婚約者候補だったんだし」


「それは――」


 コンコン



 私の言い分に何か言葉を返そうとした田神先生だったけれど、その前にドアがノックされた。


「……来たか、入って来ると良い」


 ノックをした人物に声をかけると、田神先生はすぐに私に視線を戻した。



「丁度良かった。君の婚約者候補については彼も無関係ではないからね」


「え?」



 彼……って、誰?



 疑問に思い、ドアに視線を向ける。


 その彼というのが誰なのか……。



 ドアを開けて入ってきたのは、見知っているのに見慣れない顔立ち。


 人間だと思っていたのに、実は吸血鬼だったという前の学校の同級生。



 気まずそうな表情で現れたのは、美形度が増した吸血鬼の忍野君だった。

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