カラオケ店の裏口から店を出る。
そのまま暗い裏路地を歩き、少し開けた場所に出た。
月明りが良く届いて、そこだけは街灯が無くても明るい。
「! お姉ちゃん⁉」
そこには愛良と愛良の友達。そして何故か鈴木君と数時間前に見かけたロングボブの茶髪美人がいた。
茶髪美人さんは私達に気付くと形のいい眉を軽く寄せ、可憐な唇を開く。
「岸、遅かったわね。……その子が劣化版の“花嫁”?」
劣化版って……。
「劣化版とか言うな。俺の女だ」
「っ!」
不意打ちの様な、私を擁護する言葉に息を呑む。
こんなやつに言われても嬉しくないけれど、ほんの少しだけ心が揺れた気がした。
……いや、気のせいだ。
絶対気のせいだ。
っていうか、コイツの女になった覚えは無いし!
「あら、それは失礼」
悪いとも思っていなさそうな口調で謝罪の言葉を口にすると、彼女は私に視線を寄越した。
「まあ、見た目は悪くはないけれど」
検分するような視線に多少ムッとした私は、状況を確認するために震える唇を叱咤して言葉を放つ。
「……あなたは誰ですか? どうして鈴木君が一緒に……?」
「あら、見た目ほどか弱くはないのね」
そう少し驚いた女性は妖艶な笑みを浮かべた。
「まあいいわ。何も知らないっていうのもかわいそうね。教えてあげる」
私は思わずゴクリと、唾を飲み込む。
「あたしはシェリー。まあ、覚えなくてもいいわよ? これっきりだと思うし」
そう自己紹介をした彼女は、次に鈴木君を見る。
「この子ね、はじめは期待してなかったのよ。“花嫁”との接触は赤井家に先越されちゃったみたいだし、手に入れるためにはどうすればいいか……この付近を調べていた時にこの子を見つけたの」
そうして話し出した内容に、彼女もまた吸血鬼なのだと悟った。
「あなたの知り合いっぽいし、多分あなたの気配だったのね。本当に僅かだったけれど“花嫁”の気配が残り香のようについていたから念のため血を入れて下僕にしておいたの」
「……」
気配とかよくわからないけれど、鈴木君との接点なんて告白されたときくらいだ。
この女性がこの付近で鈴木君を見かけたというなら、もしかしたら告白翌日に商店街で鈴木君を見かけたときにはもう操られていたのかもしれない。
「そうしたらこの子とのつながりで原田って子も下僕に出来て、そこからはあっという間だったかしら。すぐにあなたや本当の“花嫁”の友達にもつながってこの付近の学生は
そうして情報を集めていると、このお別れ会が開かれると分かって策を練っていたのだそうだ。
「その岸は、そんなときに協力を申し出てきたのよ」
と、今度は岸に話が移る。
「“花嫁”を奪う計画があるって聞いたからなぁ。協力する代わりに、聖良を俺のものにするのを手伝ってもらおうと思ってよ」
岸はそう話して私を引き寄せる。
背中に腕を回し、後頭部を押さえるように抱きしめて私の耳に直接言葉を届けた。
「おかげでお前はこうして俺の腕の中だ。これから存分に可愛がってやるから覚悟しとけよぉ?」
クツクツと喉で笑う音も直接聞こえる。
「っく、嫌よ! 離して!」
言葉でも腕でも抵抗するけれど、本当に全く動かせない。
悔しい。
「あらあら、ホントじゃじゃ馬ね」
「それが良いんじゃねぇか」
「……あなたは鬼畜よね」
私を通り越してそんな会話がなされると、誰かのスマホが鳴った。
「……はい、準備は出来た? ええ、分かったわ」
通話をしたのはシェリーだ。
何の準備が出来たというんだろうか。
状況の変化に不安が募る。
そしてそういう不安や嫌な予感というのは、大体当たってしまうんだ。
「準備は出来たみたいよ。じゃあこっちは行くから、あんたもさっさとここを離れることをお勧めするわ」
電話を切ったシェリーはスマホをしまいながら岸にそう告げた。
「分かってるよ」
岸が私を抱きしめたままそう返すと、シェリーは愛良の腕を掴んでどこかへ行こうとする。
そんな、私は愛良と一緒じゃないってこと⁉
「お姉ちゃん!」
愛良は私と離れ離れにならない様にシェリーに抵抗している。
「愛良!」
私も何とか岸の腕の中から逃れられないかと抵抗する。
何度も無駄だと思い知らされたけれど、それでも大事な妹をみすみす攫われてはたまらない。
無駄でもなんでも、やらずにはいられなかった。
でも、そういうときのために人質がいるんだ……。
「大人しくなさい! お友達にもっとひどいケガをさせたいの⁉」
「っ!」
途端、愛良の抵抗が止まる。
「お前もだぜぇ、聖良?……まあ、俺は何しようと逃がさねぇけどなぁ」
笑い声と共に告げられた言葉に、私の抵抗も止まる。
「全く……薬を使えれば楽なのに」
悪態をつくシェリーに岸は皮肉気に笑った。
「例の特殊な薬か? あれを使ったら自分達が何者かすぐにバレるから使えねぇって言ったのはお前だろうが」
「分かってるわよ! 一々うるさいわね。……さ、行くわよ」
軽く息を吐いて落ち着いたシェリーの言葉に、今度は従う愛良。
でも不安そうに、心配そうに私を見て「お姉ちゃん」と呟きながら足を動かしていた。
「愛良……」
私も愛良を見続けることしか出来ない。
無関係なはずの有香達に酷いケガなんてさせるわけにいかないから……。
でもそうして姿が見えなくなるまで見続けていると突然耳を舐められた。
「っひゃあ⁉」
そのまま甘噛みされて、訳も分からず変な声が出てしまう。
「やっ何? んっ」
「あんまり見続けるなよ、妹とは言え嫉妬しちまうだろぉ?」
「は? 何そっや、ぁんっ」
「イイ声……耳弱ぇんだ? イイこと知った」
呟くと、執拗に耳を舐めてくる岸。
私は訳が分からなくて翻弄されるばかり。
でも、そんな中でもこの状況を何とかしなきゃと考える。
何とか逃れて、愛良を助けに行く方法を。
自力で抜け出せないなら離してもらうしかない。
でもどうやって?
片腕はしっかり掴まれ、頭は固定されている。
自由なのは腕一本と足くらい。
ダメもとで蹴りを入れるしかないだろうか。
そう思ったとき、耳を舐めていた岸の顔が少し離れた。
自分ではどうしようも出来ない甘い刺激がなくなってホッとする。
でもそれも束の間。
離れたことで見えた岸の目には、明らかな熱が
「っな、に……」
「……ヤバイな、コーフンしてきた」
「っ!」
マズイ!
本格的に危険を感じた私は、足を上げて思い切り
「っく!」
多少は効き目があったらしい。
痛みに呻く声と同時に少し腕の力が緩んだ。
その隙に頭を固定していた腕から何とか逃れる。
でも、腕を掴んでいる方の手は逆に強まってしまった。
「っ離して!」
離すわけがないことは分かっていたけれど、叫ばずにはいられない。
岸から逃げないと。
愛良を追わないと。
今のあたしはその二つしか考えられなかった。
でも、そんな思いだけで男の――吸血鬼の力に
むしろ今まで以上に強く腕を引かれて壁に押さえつけられる。
「うっ」
「ったく、本当にじゃじゃ馬だなぁ。ちったぁ大人しくしろよ……ここで犯されてぇのかぁ?」
「っ!」
両腕を壁に押し付けられ、股の間に足を入れられる。
さっきみたいに足を踏むことすら出来なくなった。
「とりあえずお前が誰のものなのか思い知らせてやるよ。……咬み痕も消えちまったしなぁ?」
その言葉に、また血を吸われるのかと思った。
でも――。
岸がその唇で初めに触れたのは首ではなく唇。
咬まれると思っていた私は、またもや抵抗する間もなく侵入されてしまった。
「んんぅ」
吸われて
「ん、はっ!」
顔を逸らそうとしても、させるものかという様に岸の唇が追ってくる。
合間に見える怖いほどに真剣な目が、また私を真っ直ぐ射抜く。
逃がすものかと、心の奥にまで直接侵入してくる。
「あ、んぅっ」
嫌だと思っていても、息苦しさから頭が溶けていってしまったように感じた。
拒絶の言葉も出せなくなると、今度はまた耳を甘噛みされる。
「ん、はぁっ」
そのまま首筋を伝っていく柔らかい唇に、今度こそ本当に咬まれると思った。
でもそれもまた予想を裏切られる。
与えられた痛みは激痛ではなくて、チリッとした小さな痛み。
チュッというリップ音と共に、何度もその痛みが与えられる。
「っやっ! も、やだぁ……!」
訳が分からなくてとにかく拒絶の言葉を吐き出した。
「っはぁ……。そうだな、とりあえずここを離れっか」
拒否の言葉をどう受け取ったのか。
岸は濡れた唇を離し、私の拘束を解いた。
ただし、右腕は掴んだまま。
そうして腕を引かれたけれど、足に力が入らなくて転びそうになる。
「おっと」
すると不覚にも岸に抱き留められた。
「なんだぁ? 感じたか? 聖良」
「ちっがう!」
多分違う。
ううん、絶対違う!
こんな奴に感じるとかありえない!
溶けかけていた頭を怒りで無理やり元に戻す。
自分の足でしっかり立って、岸から離れた。
腕は掴まれているから二歩分が限界だったけれど。
「まあいい。さっさと行こうぜ」
岸に腕を引かれたけれど嫌だという思いから足を動かせないでいた。
すると岸の目がスゥと冷たくなり、その眼差しがずっと黙って置物のように立っていた有香に向く。
「あの子、壊されてぇの?」
「っ!」
岸の本気を感じ取り、私は短く息を吸って彼に掴みかかる。
「行く! 行くから!」
「そうそう、初めから素直について来ればいいんだよ」
途端嫌味ったらしい笑顔になった岸に、私は悔しくて歯噛みした。
ついて行く以外の選択肢がなくて、でも愛良のことが気がかりで……。
頭の中に“花嫁”である愛良がどう扱われるのか、以前田神先生が説明してくれた言葉が次々流れていく。
監禁されかねないとか。
子を産む道具にされるとか。
絶対にさせるわけにはいかないと思えることばかり。
助けたい。
助けなきゃ!
自分の身もどうなるか分からなくて不安だけれど、一番狙われているという愛良がどうなるのかの方が気がかりだった。
大人しくついてはいくけれど、内心は焦りばかりが募る。
そうして少し開けた道に出た。
でも、人の気配は全くなくシン……としている。
大通りではないとはいえ、流石にここまで人がいないのはおかしいんじゃないだろうか?
焦りだけじゃなく、不安も増してきた中。
「香月!」
突然第三者が現れた。
聞き覚えのある声に振り向くと、それは――。
「どうして……?」
どうしてこの人が?
人気のない通りに突然現れたのは、息を切らした忍野君だった。