カラン、とグラスの中の氷が音を立てる。
深夜、少ない明かりだけを灯して自宅の書斎で俺は一杯やっていた。
『せ、ん……せい?』
数時間前にこの部屋にいた彼女――聖良を思い出す。
高等部を卒業したら覚悟しておくようにと伝えて指先に口づけた。
たったそれだけで真っ赤になってしまった様子を思い出し、フッと笑みが浮かぶ。
本気の恋も知らない、まだまだ純粋さが残る少女。
俺にとってはまだ子供と大差ないはずの彼女。
そんな彼女にまさか本当に恋をすることになるとは思わなかった。
「……いや、恋と言って良いものか……」
自分の想いの種類を突き詰めると、恋なんて可愛らしい言葉にしていいものか悩む。
初めは、ただの打算。
本物の“花嫁”である愛良さんにはハンター協会とも協議したうえで婚約者候補が決められていた。
そこには俺の入る余地はない。
ただでさえ愛良さんはまだ中学生だ。
一回りも年が離れている。
だから俺が“花嫁”を手に入れることは初めから無理なことだったんだと諦めていたんだ。
だが、聖良という存在が現れた。
愛良さんの姉で、紛れもなく“花嫁”の血筋。
普通であれば近しい間柄で同じくらいの強い血を持つ“花嫁”は現れない。
突然変異か、もしくは他に理由があるのか……。
分からないが、確かに聖良の血の強さは“花嫁”と言っても差し支えないほどだった。
それに彼女は愛良さんの姉。
同じく年は離れているが、少しは俺に近い。
婚約者候補や彼女たちの護衛のまとめ役として任じられていたこともあり、チャンスだと思った。
“花嫁”は吸血鬼に力を与えられる存在。
その血は、どんな吸血鬼にとっても甘く芳しく、力を漲らせてくれるもの。
そして、“花嫁”の産んだ子は純血種にも匹敵するほどの強い吸血鬼となる。
そんな子の親となれば、吸血鬼のコミュニティでもっと上を目指すことが出来る。
別にトップを目指しているわけじゃないが、色んなことを思い通りに運べるようになるため、もっと上を目指したかった俺には聖良の存在は丁度良かった。
だから上には、とりあえずの方法として愛良さんが選ばなかった四人を聖良の婚約者候補とするように提案した。
方針がちゃんと決定してしまう前に、俺が聖良の婚約者となれるように動くつもりだったが……。
「まさか、他の吸血鬼に手を付けられるとは……」
岸永人。
授業態度も不真面目で、問題児扱いされていた生徒。
最近発見されている、吸血されて気を失っているH生の件。
その犯人ではないかと目星をつけられていた男だ。
聖良の件で本当に犯人だったという事も分かったが、あいつは寮にも戻らず学園敷地内から逃げおおせてしまった。
去り際に見せた聖良への執着。
あいつはまた聖良を狙って来るだろう。
「全く……本当に憎らしい……」
呟き、グラスの中のウィスキーを
ウィスキーの芳醇な香りを楽しめないのは、心に苦いものが残るからだろうか。
聖良の血の気配を強く感じ、彼女の血が流れた。
何者かに咬まれたからだと理解した途端、俺の中に怒りが沸き上がったんだ。
俺が手に入れたいと思った少女。
関りは少なくても、彼女の人となりはある程度分かる。
妹思いで、意思はハッキリしているのに自己肯定感が低い。
強さと弱さの比重が、一見バランスが取れているようで危うい。
そんな聖良を……俺は愛らしいと思っていたんだ。
なのに、奪われた。
先に手をつけられてしまった。
愛しく思っていた少女の血を吸った岸への怒り。
身を焦がすほどの感情に支配されないようにするのが精一杯だった。
そんな状態だったからだろう。
昼間にこの部屋に来た聖良を抱きしめて、抑えが効かなくなった。
彼女の存在を確かめるように、強く抱き締めたくなった。
……そのまま丸め込んで唇を奪わなかっただけ、俺は紳士だったという事だろう。
でも本音を言えば、もっと抱きしめたかったしキスしたかった。
抑えられたのは、今はまだ教師と生徒という間柄だったからだろう。
「聖良、早く大人になってくれ」
まだ少女の殻を破ることが出来ない彼女に願う。
先生と生徒という垣根を早く取り払いたい。
なんの躊躇いもなく彼女に触れる権利が欲しい。
聖良が俺を選んでくれたのなら、正式な婚約者として側にいることが出来るのに……。
空になったグラスに残る氷がまたカランと鳴った。
俺はフーッと長く息を吐き、心を落ち着ける。
とりあえずは、お別れ会で聖良を守り切ることを優先しなければ。
あの岸も、何か仕掛けてくるかもしれないからな……。
守り切り、出来るなら岸も捕まえてしまって、そうしてからゆっくり聖良との距離を詰めて行こう。
その未来を現実にするために、今は気を引き締めた。