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第26話 H生の存在 後編

「ちょっと確認したいことがあったからあなた達を待っていたのよ」

「確認、ですか?」

「昨日、聖良さんがV生に咬まれたそうね。確かきし 永人ながとっていう、前々から問題視されていた生徒に」

 淡々と話す声にはわずかに怒りがにじんでいる様に聞こえた。

「岸は寮にも帰ってきた様子はないみたいよ。完全に逃げられたわね」

「……それで?」

 表情は笑顔のまま、ワントーン低くなった声で嘉輪が促す。

「聞きたいのは、それで彼女達がどれくらい危険な状態なのか、よ。あなた達VH生は訓練しているから大丈夫なのかもしれないけれど、V生はどれくらいの生徒が耐えられるの?」

「……」

「岸の様に見境なく襲ってくるような生徒がいないとは言い切れないのよ?」

「……その可能性は十分にあります。危険度という意味では確実に上がっていますよ」

 そう認めた嘉輪に、弓月先輩は目を細めて非難する口調になった。

「それなのにあなた達や赤井家系列のあの五人だけで守れると? これ以上少しでも彼女たちに被害がおよぶようなら、“花嫁”はハンター協会の方で預かることになるわよ?」

 本来はそうあるべきなんだから、とも付け加える。

 本来はハンター協会で私達を預かるもの?

 でも、今更そんなことを言われても……。

 零士は例外としても、他の四人や田神先生。

 それに嘉輪と正樹くんに瑠希ちゃん。

 短い期間だけれどそれなりに信頼関係を築いている。

 それなのに突然ハンター協会が預かるとか言われても……。

 チラリと愛良を見ると、明らかに不安そうな顔をしている。

 やっぱり、いきなり言われても嫌だよね。

「あの――」

 自分たちのことを言われているんだから、一言言っておくくらいは良いだろうと声を上げたときだった。

「へぇ……ハンター協会が……ですか?」

 冷たい声。

 でも妖艶ささえも感じるその笑みに、私は言葉を失った。

「そこまで言うということは、H生の意識統一もすぐに出来るってことですよね? それなら嬉しいわ。聖良達に危害を加える相手が少しでも減るんだもの」

「っ!」

 か……嘉輪……怖い……。

 とても美しい笑顔なのに、その優美な唇からは毒が流れているかのようだ。

 嘉輪が言っているのは初登校の日のことだろう。

 “花嫁”がどういう存在なのか、理解度がバラバラだというH生。

 そのせいで愛良が頬を叩かれたのは記憶に新しい。

 “花嫁”を預かるとか言うならば、ああいう人達をどうにかしてからにしろ。

 嘉輪はそう言っているんだ。

 嘉輪……完全にケンカ売ってる……。

 でもまあ事実だし。

 弓月先輩はいい人だと思っていたんだけれど……友達の嘉輪にこんな風に言う人だったなんて……。

 ちょっとショックだけれど、私は嘉輪の方が大事だから嘉輪の味方をする。

「弓月先輩、いきなりハンター協会が預かると言われても困ります。ただでさえ突然の転校だったし、この学園の事情もやっと少し理解してきたところだっていうのに……」

「そうです。それでもまだまだ知らないことが多いのに、またさらに状況が変わるのはちょっと……」

 私と愛良の言葉に、弓月先輩は「あっ」と小さく声を上げ視線を下ろした。

「そうだったわね……ごめんなさい。ちょっと先走り過ぎたわ」

 そうして反省した弓月先輩は、もう一度嘉輪に視線を戻した時には少し落ち着いている様子だった。

「意識統一については最優先にするわ。でも、本当に彼女達をこれ以上危険な目に合わせない様に気を付けて頂戴。……言いたいことはそれだけよ」

 そう言い残して弓月先輩は階段を使って降りて行った。

「……」

 弓月先輩の背中を見送りながら思う。

 少なくとも彼女は私と愛良のことを思って言ってくれていたんだなと最後の言葉で理解した。

 理解はしたけれど、やっぱり私は嘉輪の方が大事だ。

 だから嘉輪の味方をしたことを後悔はしない。

 ただ、だからと言って敵視はしないようにしようと思った。

「ふぅ……本当、お堅いんだからあの先輩」

「嘉輪先輩、お疲れさまでした」

 弓月先輩の気配がなくなると、本当に疲れたように嘉輪は息を吐いた。

 それを瑠希ちゃんがいたわっている。

 私と愛良も嘉輪達の近くに戻った。

「弓月先輩、あたし達には優しかったのに……」

 愛良が悲しそうに呟く。

 私もショックだったから愛良の気持ちは分かる。

「まあ、弓月先輩はちょっと使命感が強くてたまにその部分が暴走気味になるだけだから。基本は悪い人じゃないわよ?」

 今のやり取りで一番嫌な思いをしたはずの嘉輪がそうフォローするものだから、私も愛良も何とも言えない顔をして黙るしかなかった。

 その代わりというわけではないけれど、瑠希ちゃんが不満そうに唇を尖らせる。

「基本は悪い人じゃなくても、あたし達VH生には基本的に態度悪いじゃないですか、あの先輩」

 何でも弓月先輩は昔からハンターをやっている家系だとか。

 そのせいで少し古臭い考え方をするんだと瑠希ちゃんは文句を言う。

「表立って敵対しなくなって、こんな学園が出来たりして吸血鬼とハンターのみぞは狭くなってきたわ」

 エレベーターを待ちながら、嘉輪が説明してくれる。

「でも弓月先輩みたいに代々ハンターをやっていた家の人は、昔ながらの状態が正しいと思い込んでいるふしがあるのよね」

「昔が正しい?」

「そう。弓月先輩がさっき言っていた、“花嫁”はハンター協会が預かるものだっていうのもそれね」

 吸血鬼に狙われる“花嫁”は、ハンター協会からするとずっと守る対象だった。

 今は吸血鬼側とも意思疎通が出来るため、一番良い方法として赤井家が預かるという形になっただけなのだそうだ。

「だからあんなこと言ったんだ……」

 本来はハンター協会が預かるものだって……。

 何か、ままならないなぁ。

 守るものがハッキリしているなら、そのためにみんながまとまることが出来ればいいのに……。

 そう簡単にいかないのが組織ってやつなのかな?

 それとももっと単純に、吸血鬼とハンターの埋められない溝みたいなものなのかな?

 分からないけれど、そう簡単に仲良くとかは無理なんだろうな。

 悲しいけれど、仕方ないことなのかなって思った。

 朝食は先生や寮母の上原さん達が気を使ってくれたのか、食堂ではなく会議室に用意してくれていた。

 婚約者候補五人の分と嘉輪、瑠希ちゃんの分も。

 昨日寮に入った途端に感じたような視線を浴びながら朝食を取ることにならなくて良かった。

 先客だった浪岡くんや津島先輩と一緒にご飯を食べて、学校に向かう。

 そうして危険度が上がったという学園生活を一日過ごしてみたんだけれど……。

 何というか……一言で言うとカオスだった。

 表面上は普段通りなのに、V生は確実にソワソワしているし、H生は緊張していたり戸惑っていたり。

 極力普段通りに出来ているのはVH生だけだった。

 まあ、突然襲ってくるような人がいないだけマシなのかもしれない。

 それにしても……弓月先輩には悪いけれど、やっぱりH生は心から信頼出来そうにない。

 守って貰うのに気が引ける私だけれど、H生は別の意味で守って貰いたいとは思えなかった。

 対応がまちまち過ぎる。

 誰を信用して、誰を警戒すればいいのかが分からない。

 そんな状態で気を許すことは出来ないと思った。

 そんな日々が数日続き、私と愛良は疲弊していく。

 それを見かねてか、田神先生がある提案をしてくれた。

***

「え? いいんですか?」

 その提案を聞いたとき、私も愛良もそう聞き返していた。

 提案されたのは前の学校のお別れ会のこと。

 延期になっていたそれを落ち着いたらやろうということだった。

 護衛もたくさん必要になるからと断られていたそれを本当に今やってもいいのか。

 そんな疑問が浮かぶ。

「ああ。君たちの気分転換にもなるだろう? 私達が至らなかったせいで今の状態になってしまったんだ。出来る限りのことはする」

 あまり気に病まないで欲しいとは思うけれど、流石に心労が重なり過ぎていたから田神先生の言葉は否定できない。

 それに、お別れ会が出来るのは単純に嬉しかった。

 吸血鬼とかハンターとか、そういうのを忘れて有香たちと遊ぶことが出来れば確かに気分転換になるだろう。

 喜ぶ私達に、田神先生は「でも」と気まずそうに付け加えた。

「聖良さんの男性への苦手意識がもう少し緩和かんわ出来たら、なのだけれどね」

 そんなぁとは思ったけれど、今の状態では護衛をつけてもちゃんと守り切れるか不安が残るからと説明を受ければ納得するしかなかった。

 守るために腕を引かれたり抱き上げられたとき、硬直してまともに動けなくなったらただのお荷物になってしまう。

 いざというとき動けないのはリスクが大きいって判断されても仕方がない。

「分かりました。頑張って克復してみます」

 そう宣言した私に、田神先生は優しく微笑んでくれたのだった。

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