ふと、目を覚ます。
「……生きてる」
ゆっくりとベットから体を起き上がらせて、ぺたぺたと自分の体を触診していく。
うん。問題は無い。腕はちぎれてないし、目も見える、耳も聞こえるし、匂いもする、ついでに腹に包丁なんかも刺さっていない。至って健康体だ。
「夢……ではないんだな……」
一瞬、これまでの出来事を夢と錯覚してしまうが、全部現実だ。それを充電ケーブルに繋がったスマホが教えてくれる。
スマホが本日の日付と現在時刻を教えてくれる。
4月25
確かにスマホの画面にはそう映っていた。
間違いない。今日は俺が刺殺される前の日だ。
浮世離れしすぎて夢だと思っていたが、あの出来事は全て本当の出来事。俺は死んで、そして神様に色々な事を教えて貰って生き返った。
「……にわかには信じがたいけど、本当なんだよな」
カーテンから差し込む光、外から聞こえてくる雀の鳴き声、下から聞こえてくるテレビの音や、微かに香ってくる朝ごはんの匂い。その全てがどこか懐かしく感じた。
もしかしたらもう二度と感じることの出来なかった日常。そして、重愛のお陰で何となく送ることのできていた日常だ。
そう考えると今まで自分がしてきた彼女に対する全てのことが悔やまれる。
神様には「幸せになれ」と言われた。もちろんその言葉の通り、幸せになるつもりだ。しかし、俺は生き返る前に誓った。重愛には俺よりも幸せになってもらう。
どうやって彼女に幸せになってもらうかはまだ考え中だが、やると誓ったからには全力でやる。
今日から俺の反撃が始まるのだ。
差し当っては、本日も家の前で出待ちをしているはず重愛に反撃をしよう。
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いつも通り歯を磨いて顔を洗って、寝癖を直して制服に着替えて朝ごはんを食べていたら学校に行く時間となる。
現在時刻は午前7時30分。家から学校までは徒歩で30分程度だ。問題なくホームルームまでには間に合う。
「行ってきます」
「気をつけてね〜」
「うん」
母に挨拶をして、玄関の扉を開く。中3になる妹はとっくの前に学校に行ってしまったようだ。何でも部活の朝練だとかだそうだ。中学最後の大会が間近に迫って気合いも十分のようだ。朝からご苦労な事だ。
ガチャリと開く玄関の扉。瞬間、太陽の日差しが差し込む。軽く母に手を振って完全に外へ出る。
本日は快晴。
新聞配達のバイクに、おじさんランナー、犬の散歩をしているオバサンに、通勤途中のサラリーマンと様々な人が道を行き交っている。
いつもの光景、いつもな日常にほっこりとした気持ちになって、家の門塀を通り過ぎると出てすぐ左横に一人の少女が立っていた。
ピンっと筋の通った綺麗な立ち姿。うちの学校の女子制服に身にまとい。指定カバンの持ち手を両手で掴んで下げている。
その立ち居振る舞いだけで、目を引かれるがそれよりも目を引くのはその見た目。
髪色は銀。その特殊な髪色は確実に染め上げてできたものだ。しかし染め上げた色だと言うに不自然感はなく、むしろその長髪は元から銀色であったのでないかと言うほど少女に似合っている。そう思わせるのは顔がいいからだろう。端的に言って美少女。どこかの雑誌のモデルやテレビに出ても遜色ない程の顔面偏差値だ。
その見てくれの良さから、かなり周りの視線を集めている。道行く人の視線がとりあえずその少女に集まっていた。
この少女こそが重愛ご本人様だ。
正直に言って、どうしてこんなに女の子が自分を好いてくれて延々と付きまとってきていたのか理解できない。俺とその少女を見比べれば全く釣り合っていないのは一目瞭然だと言うのに……。
「本当に謎だ……」
思わず声に出てしまう。
すると門のすぐ横で直立していた重愛の視線が俺に向く。
「あっ! おはよう、啓太くん! 今日もいい天気だね!!」
花がパッと咲いたような笑顔。その笑顔で陰キャをまとめて10人くらいは萌死させることが出来るだろう。
すごく綺麗で可愛くて良い娘そうに見えるだろ? これヤンデレなんだぜ? 信じられないだろ?
元気に挨拶をされたというのにそんな下らない事を考えてしまう。挨拶をされたならば、こちらも挨拶を返すのが礼儀である。
だと言うのにこの俺、潔啓太17歳は今まで彼女からの挨拶を尽く全て無視し続けてきた。
普通に考えたら失礼極まりないクズ野郎である。
いやまあ、色々なことが重なって彼女に対する嫌悪とか恐怖があって無視し続けてきた訳だが、そんなの今になって見れば言い訳に過ぎない。
しかも彼女は俺の命の恩人なのだ。そんな命の恩人に今まで挨拶を返さなかったとは何たる無礼だ。自分で自分を殴りたくなってくる。
だが人は変われる、やり直せるのだ。
そう! 今日から俺は変わる! 重愛に恩を返すのだ! 恩人への挨拶は当然! 俺は今日から毎日、彼女に挨拶をする!
「おう、おはよう重! 本当にその通りだな。こんなにいい日は昼寝なんか最高だよな」
「えっ────」
大きな声で噛まずに言えました!
これはもう完璧としか言いようがない挨拶だ。自分でも惚れ惚れしてしまう。
だと言うのに重からの反応が全くない。
あれ? なんかおかしかったか?
重はこちらを見たまま微動だにせず固まっている。
そうして30秒ほどしてフリーズは解けて意識を取り戻した。
「…………はっ! これは幻聴!? 啓太くんの声が聞きたすぎて私の脳内麻薬が引き起こした幻聴だと言うの!?」
「何わけわかんないこと言ってんだ。ほら、学校一緒に行こうぜ。そのために家の前で待ってたんだろ?」
見た目と反してなかなか変なことを言う重に苦笑しながら、俺はそう言って歩き出そうとする。
まさか、挨拶を返さなすぎてこんな悲しい反応が返ってくるとは思いもしなかった。
過去の無視し続けてきた愚かな自分を殴り飛ばしてやりたいよ。
「えっ!? えっ!? 一緒に学校行ってもいいの!? 啓太くんの半径50メートル以内に居てもいいの!?」
「……そう言えばそんなことも昔に言ったな。てかそれなら最初の時点で守ってなくね?」
困惑した表情から目を輝かせて聞いてくる重に俺は思わずツッコミを入れてしまう。
てか、昔の俺はなんて辛辣で失礼な事を言ってんだよ。
「うっ……だって、朝の最初はちゃんと啓太くんの顔を見て挨拶したいから。朝の1回だけはいいって啓太くん言ってくれたじゃない」
「っ!!」
なんとも健気な返答に胸の鼓動が高まる。
いや、それにしても条件が悲しすぎる。やはり過去の俺は殺しておくべきだ。死すべし。
「あー、それな。なんと言うか……もう忘れてくれ。もう半径何メートルとか、朝の1回とか気にせず気軽に声をかけてくれ。というか───」
歩き出そうとした足を止めて、姿勢を正して重愛をじっと見つめる。
まず挨拶や過去の自分を殺す前に、俺は彼女にやらなければならない事があった。
「───今まで色々とごめん! 俺、重の気持ちとか全く考えずに接してた。自分でも本当にクズだし、都合のいい事言ってるのはわかってるんだけど言わせて欲しい! 本当にすまなかった!!」
「えっ───」
それは謝罪だ。
相手に対して謝罪の誠意を見せるお礼の角度は45度。これは頭を下げすぎてもダメだし上げすぎてもダメだ。
そんな角度で俺は重にこれまでの事を謝罪する。
重からの反応はない。最敬礼をした状態ではその表情を伺うことも出来ない。
もしかしてまた幻聴だとか思ってるのだろうか。
「───ほんっ、とに?」
40秒ほど経過して返ってきた声はとても震えていた。
思わず最敬礼を解いて顔を上げるとそこには瞳にこれでもかと涙を溜め込んだ重が半泣きで俺を見ていた。というかもう泣いている。
またまた予想外の反応に俺は狼狽える。
ポケットから母親に毎朝無理やりに持たされるハンカチを取り出して重に手渡す。
たまには役に立つじゃねぇーかハンケチーフ!
「ほんとうに、普通に話しかけて……傍に居てもいいの? 迷惑じゃない? 邪魔じゃない?」
「あ、ああ。迷惑じゃないし、邪魔なんかでもないよ……というか、本当に今までごめん……」
ハンカチを受け取って大号泣し始める重に俺はものすごい罪悪感を感じてしまう。
だが、これは俺が受け止めなければならない罪。贖罪なのである。これから待ち受けているであろう罵詈雑言も真摯に受け止めよう。それが俺の義務だ。
「ううん。いいの、今まで私が好きでやってた事だし……謝らないで。
でもゴメンなさい少し泣いてもいいかな? 本当に信じられない……こんな幸せなことあってもいいのかな?」
俺のハンカチで目元を優しく拭う重は何度も頭を横に降ると、そう言ってしばらく静かに泣いた。
飛んできたのは拳や張り手、罵詈雑言でもなければ涙。
これは予想していたどんなものよりも心に来て、申し訳ない気持ちになった。
心優しい重はこれまでの俺の非礼を許してくれると言ってくれた。
本当に優しすぎると思う。文句の一つや鉄拳制裁の一つ、重にはする権利があるというのに彼女はそれをせずに俺を許してくれた。
今まで俺は本当に重愛という人間を勘違いしていた。
確かに少し度が過ぎる行動に移ることもあるが、俺はこんなに優しくて、心が暖かい人間を知らない。
改めて俺は思った。
重愛に最高の