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第11話 黒幕

 ──爆ぜ散った豚鬼オークの巨体。


 しゅるしゅると尻尾を戻しつつ、漂うどす赤い血煙を片翼のひと煽ぎで吹き飛ばし、その向こうで呆然としている少女──ベッドの上の綾さんに、私は微笑みかけます。


「……琳子ちゃん、どうして……」


 かすれたその疑問が、いったいどれ・・に向けられた「どうして」なのか判別できなかったけど、そのすべてに対する答えはたぶん同じ。


「だって、お友達だから」


 その言葉を聞いた綾さんの表情の、ずっと張り詰めていたものがほどけて緩んだように見えた刹那。周囲の景色は滲むように形を失って、やがて暗転していました。


 目を開けると元の通りの保健室、ベッドの傍らに腰掛けていました。ちょうど綾さんも目覚めつつある様子。私は慌てて「角」が引っ込んでいることを両手で確認してから、彼女の顔を覗き込みます。


「……琳子ちゃん、どうして……」


 瞼を開いた綾さんは、うっすらと涙の浮かんだ瞳で見上げて、夢の中とまったく同じ疑問を口にしました。


「お友達だから、です」


 まったく同じ答えを聞いた彼女の目尻から、澄んだ涙がひとすじ溢れ、耳にまっすぐ流れ落ちていきました。


「ずっとね。夢が怖くて眠れなかったの。いまも、いつもとおなじ怖い夢を見てて。でも、夢の中に琳子ちゃんが出てきて助けてくれたから……」


 うん、と声に出さずにうなずく私。


「……もうすこし、ねむってもいい?」

「だいじょうぶ。きっと、怖い夢はもう見ないから」


 夢という記憶の断片に私の存在を上書きしただけで、彼女が経験した事実は、現実の記憶として残っています。けれどせめて夢の中でだけは、彼女が苦しむことはもうないはず。それが、いま私が彼女にできる精一杯。


「うん……ありがとう……おやすみ……」


 そう言うと彼女は、驚くほどすぐに寝息をたてはじめました。

 よほど眠れていなかったのでしょう。

 それがますます彼女の心を追い詰めたのかも知れない。


 彼女を苦しめた、その元凶。現実における豚鬼オークの正体も追求したいところですが、もっと近くに黒幕がいることに、私は気付いていました。


 夢の中、あの部屋にいた顔のぼやけた男たちのなかで、たったひとりだけ顔の輪郭がくっきりと判別できたのです。

 卑しい笑みを浮かべてグラスを呷るそれは見知った顔──美術教師・御堂。

 サキュバスの記憶が囁きます。

 あれは他人ひと人間ひとと思わない、心歪んだ人間モノの笑顔だと。


 綾さんはかつて私に、彼へのひそかな恋心を話してくれたことがありました。

 おそらく彼は、それを知って利用したのでしょう。


「……ゆるせない……」


 私の大切なお友達を、身も心も深く傷つけた罪──いずれ、あがなっていただきましょう。


 とはいえ今は魔力もすっかり出涸らしで、蠱惑チャームも一瞬使えるかどうか。まずはこれを補充しなくては……などと思案をめぐらせていた、そのときでした。コンコン、と保健室の扉をノックする音が響いたのは。


「坂野さん、大丈夫? 私、庄司です。御堂先生に言われて様子見に来たのだけど」


 続いて響く声。

 庄司と言えば、おそらくは美術部の部長である庄司しょうじ 由宇 ゆう 先輩でしょう。

 扉をガタガタ揺らしている様子を見るに、白石先生は鍵でもかけていったのか。

 御堂の指示となると、素直に従っていいものか迷うところではありますが、このままではせっかくの綾さんの安眠が妨げられてしまう。

 やむなくベッドの傍らから離れ、扉に向かいます。


 扉は、内側からは特に引っ掛かりもなくあっさり開きます。

 そこに立っていたのはやはり庄司先輩、それと──


「ごめんね、ほんとはあなたに用があるの」


 左右から同時に伸びた手が私の両腕を掴み、保健室の外に引きずり出されてしまう。

 そこにいたのは合気道部の部長・塩崎先輩と、同部のエースである美薗さん。

 私の腕は、日々鍛錬しているふたりに両サイドからがっちりロックされていました。


「大人しくついてきてね。御堂先生がお待ちだから」


 そう無感情に告げて、庄司先輩はさっさと歩き出します。

 なんだかよくわからない状態にキメられてしまった両腕は、逆らおうとすれば凄まじい激痛が襲ってくる。

 魔力さえあれば身体能力を強化して振りほどくこともできそうですが、今はおとなしく従うしかない。


 ──うん。これはちょっと、ピンチかも知れないです。


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