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第7話 青空の棺

いつもは施錠されている屋上の鉄扉が、あっさりと開く。

一階から階段を駆け上ってきた私は、息を弾ませながら青空の下へと跳びだします。



「綾さんっ……!?」



ちなみに途中で追い越した長身の上級生から、綺麗なお顔で思いっきり睨まれ背筋が凍えました。

あれ、生徒会長の天王洲てんのうす先輩だった気がするけれど、頭を抱えるのは後回しです。



綾さんは、屋上の端で中庭を見下ろすように立っていました。

私に気づくと、ゆっくり振り向く彼女。

長くて綺麗だった黒髪が、きっと自分で切ったのでしょう、不揃いに短くなっています。



「来てくれたのね琳子りんこちゃん。うれしい」



校舎と空の境界を守ってそびえる深緑の金網フェンスは、ちょうど人ひとり通れるサイズの長方形に切り取られています。

その向こうに見える青空は、いまにも彼女を吸い込んでしまいそう。

まるで青い棺桶みたいだ、そんな印象を振り払うように私は声を張ります。



「綾さんお願い、お話きかせて」

「ううん、大丈夫。もう涙も出なくなったから」



刺激しないよう一歩ずつ近付いていく私に、彼女は表情をなくした白い顔で、受け入れがたいバッドエンドを告げるのです。



「だからね、これまでありがとう。……バイバイ」



そうして彼女は青い棺桶に背中から倒れ込み、その身をそらへ投じていました。



「だめっ、待って!」



私は叫びながら、自分でも驚くほどの瞬発力ダッシュで残りの数歩をいっきに詰め、重力に捉われる寸前の綾さんに手を伸ばす。

ぎりぎりで、手は届きました。彼女のか細い腰を、ぎゅっと抱き寄せます。



けれどもそのとき、二人の身体はすでに空中でした。



──お母様。先立つ不孝をお許しください。



5階ぶん下の中庭に待ち受けるのは、赤いレンガで堅牢に舗装された小道です。

せめてなんとか体勢を入れ替え、私が綾さんのクッションになれないものか、なんてことを考えた瞬間のこと。



景色が、急転しました。



「……!」



視界が中庭からぐるりと青空に入れ替わり、深緑のフェンスが頭上・・を通過する。

気付けば私は綾さんを抱きかかえ、さきほどまで立っていた屋上の白いコンクリ床に、ローファーのつま先からゆっくりと着地していました。



ばさりと何かが風をはらむ音。

足下を見れば、そこに映った私の影シルエットにはまるでコウモリのような──あるいは悪魔のような巨大な翼が、背中に生えているように見えます。



ようし、いったん落ち着こう。

そうだ、尻尾で経験済みじゃないか。



とにかく、とつぜん背中に生えた翼のおかげで、中庭に落下せず空中で宙返りしてフェンス上を飛び越え、綾さんを抱えたまま屋上に戻ることができたらしい。

それは揺るがない事実。

なのでまずは腕の中の綾さんです。

どうやら気を失っているようだけど、ちゃんと息はあります。



きっと、まともに食べてもいないのでしょう。軽すぎる体をゆっくり丁寧に足元に横たえてから、おそるおそる自分の背中を確認する私。



首をねじって向けた視線のなか。

片翼だけでも端まで2メートルありそうな黒いそれは、折りたたまれたと思うやみるみる小さくなって、制服の内側に消えていきました。



尻尾のように思い通りではないものの、翼を縮小して体内に収納できるのは記憶ぜんせの通り……ですが……。



「……ッ! 制服!?」



大切な、大好きな制服の背中に穴が開いてしまったのではと慌ててまさぐる私。

けれどそこにはほつれのひとつもありません。



そこで記憶から想起されたのは、衣服の生地に魔力を流して変形させるサキュバスの能力「変衣コスプレイション」。

それを使っていろいろな際どい格好になり、人間をたぶらかしていたものです。

まあ、何も着ていないことのほうが多かったのですが。



…………。



いまさらながら前世の所業が恥ずかしくなってきました。

でもそんな記憶の奥に眠っていた能力ちからと翼が、無意識のなかで制服を、そして何より大切な友達の命を守ってくれたことは疑うべくもない事実。

前世のサキュバス わたし に心から感謝です。



「──おい、そこで何をしてる? 屋上は立入禁止のはずだぞ」



そのとき唐突に背後からかかった声で、心臓が止まりかけました。



……これ、昨日から何度目でしたっけ……。



振り向くと、立っていたのは絵の具でカラフルに汚れた白衣姿──美術教師の御堂みどう先生です。

しばらく前、有名なコンクールで審査員特別賞だかを受賞したと話題になっていました。

確かまだ三十代になったばかりで、生徒たちにもその母親たちにも絶大な人気を誇るスマートな美男子です。



「美術室の窓から人影が見えてね」



言われてみれば美術室は、中庭を挟んで反対側の校舎の一階。でも、そこから来たのなら直前の出来事ちゅうがえりは見られていないはず。

とにかく一安心です。



「ええと、その……友達がちょっと、体調を崩してしまいまして……」



教師であっても、男性と話すのが苦手なことに変わりはなくて、目を伏せおどおどしてしまう私。

電車内ではなにかのスイッチが入っていたのだと思います。人格メンタルが、前世に引っ張られていたような。



「……ん? おい、それ・・坂野じゃないのか」



私を押しのけるようにして、横たわる綾さんに駆け寄る先生。

坂野さかの あや。それが彼女のフルネームです。

そういえば、彼女は美術部員でした。



「まずは保健室だ。詳しくはそこで聞く」



先生は綾さんを慣れた手つきでお姫様抱っこし、すたすたと階下へ歩き出します。



「あっ……えっと、はい」



とにかく、私はその背中を追うしかないのでした。

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