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第84話 達也には眩しいもの


 凪から、夕食ミーティングの際の話を聞き出すことが出来ず、とりあえず、こっそり、興水にLINEを入れて、ミーティングの内容を共有して貰った。


『水野から聞けば良いのに』という興水の言葉は、ごもっともだったが、仕方がないので『こっちに来るのが遅くなって、ワタワタしてたら、聞きそびれて、うっかり寝ちゃったんだよ』と言い訳をしておいた。


 今日は、設営日だ。

 あちこちからの業者が入るし、物品の搬入出などがあるから、体力的に大変なので、しっかり朝食を食べてから行くことになった。


「緑山社長のお話は大丈夫だったのか?」


 藤高が心配して聞いてくれたので「問題ありません。ただ、新企画のお手伝いの案件が出たので、帰社してから、企画書を纏めます」と応えておくと、「それはよかった」と手放しで喜んでくれた。


 凪は自分の案件で電話が掛かってきたらしく、席を外していたので、興水に、

「なあ、この間、ラーメン屋に行ったの、凪に言ったの?」

 と達也は、なんとなく確認しておく。興水の性格で、わざわざ、凪にそう言うことを言うとは思わなかったので、違和感があったからだ。


「えっ? この間……って、水野の代打やったとき?」

「そうそう」


「別に言う必要はないから、言ってないけど?」

 怪訝そうに言う興水の言葉は、本当のようだった。


「ふうん……そうか」

「なんで?」


「えっ? 凪が、俺たちがラーメン屋行ったの知ってたからさ」

 興水と話していたら、池田が首を突っ込んできた。


「えっ。お二人ラーメンとか食う系ですか?」

「そりゃ、ラーメンくらい食べるだろうよ」


「なんか、興水さんって、ラーメンとか、ビジュアル的に、あんまり合わない感じじゃないですか」


「あー」

 なんとなく、納得した達也に対して、興水は「なんだそれ」と顔を顰めている。


「で、美味しいラーメン屋なんですか?」

「特に美味しくもまずくもない、町中華って店だったなあ」


「昭和な感じだったね。……オッサンたちが、野球中継でヤジ飛ばしてた」

 興水が笑うと、「野球見ながら中華は良いなあ」と藤高が言う。


「あっ、藤高さん野球好きでしたもんね。朝比奈も好きじゃなかった?」

 朝比奈に話を振ると、顔を真っ赤にして「すすすす、好きですっ!」と慌てて言う。


「えっ、朝比奈は、野球好きなんだ」

「この間、朝比奈と二人で、スポーツバーに行ったんですよ。野球見ながら、美味しいビールって、結構良かったですよ」


「へー、良いなあ」

 藤高が乗り気のようだったので、「一緒に行ってきたら良いじゃないですか」と、さらっと告げてみる。朝比奈は、急なことであたふたしていたが、藤高は「今度行くときに誘ってよ」と軽く朝比奈にいう。


「俺は、野球じゃなくて、ラグビーかサッカーの時にして下さいっ! けど、藤高さんも自分で誘ったら良いじゃないですか」

 池田が、口を挟んでくる。


「あー、いやさ、若い子たち、オジサンとか上司から誘われたら、嫌な思いするかなとか思うからさ……下から誘ってくれたら、行こうとは思うけど」


「そう言うところも、気を遣ってるんですねぇ」

 池田が、感心したように言う。


「……だって、せっかく入ってくれた子達に、そんなつまらないことで辞めて貰いたくないしねぇ」

「つまらないこと、ですか」


「そうだよ、飲み会に誘われて、断りづらくて嫌になったとかさ、そういう話は、管理職やってると、死ぬほど聞くのよ、ねぇ、興水くん」


「仰る通りです」

 神妙な顔をして、興水が肯く。


「たしかに、昭和なイメージがありますよねぇ、『いまから飲みに行くぞ!』とかっていう上司で、断れないヤツって……」


「せっかく仲間になって貰ったんだから、できるだけ一緒にいたいじゃない。だからね、割と、僕らも苦労はしてるのよ」

 藤高の言葉はしみじみとしていた。


「……あの、藤高さん」

 朝比奈が、おずおずと、口を開く。


「ん、どうしたの、朝比奈」

「本当に、今シーズン中に……なんなら、この仕事おわったら、一緒にスポーツバーか野球観戦に行きましょう! 社内に、野球の話出来る人増えるの嬉しいですし!」


「おっ、嬉しいな。じゃあ、本当に、誘ってね」

「はいっ!」


 朝比奈と藤高が、野球観戦デートをこぎ着けるのを、微笑ましい気持ちで見守る。朝比奈の顔は、真っ赤だったが、きらきらして見えた。直向きな朝比奈の姿が、達也には眩しい。恋に、一生懸命になることが出来る朝比奈が、うらやましかった。


(朝比奈と比べたら……俺は、かなりこじらせてるんだろうなあ)


 そう思うと、いくらか情けない気分になる。


 昨日も、そうだ――。


 素直に、『平気じゃ、なかった。モヤモヤした』と告げることは出来なかった。告げて、どうなるのか、解らなくて、怖い。


 怖い―――。


 変わることも、怖い。今のままでいれば、ただただ、達也は、与えられる甘さを享受していれば良い。けれど、そうではなくなったら、どうなるか解らなくて怖い。


 もう、傷つきたくない。だから、逃げ回っている。それで良いのかどうか、解らない。良くはないと思っている。けれど――どうして良いのか解らなかった。



『俺だけ頼って』



 と切々と訴えて来た凪の言葉を、まだ、受け入れることが出来ない。その、覚悟がなかった。



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