駅ナカで蕎麦を食べ、ホテルにたどり着いた頃には、22時を回っていた。
凪を呼び出して、部屋まで連れて行ってもらって、やっと一息つくことが出来て、達也は安堵する。
「あ、そういえば」
いきなり仕事の話をするのも気詰まりになると思った達也は、雑談を切り出す。
「なんですか?」
「駅で、遠田くんに会ったよ?」
「えっ」
凪の表情が、傍目にもハッキリと凍り付いた。雑談の選択をミスしたかも知れない―――と思いつつ、達也はなんでもない風を意識しながら、凪に言う。
「声を掛けられたからびっくりした。……凪を誘おうとしてたけど断られたって言ってた」
「まあ、今、ここにいますからね」
凪は、慎重に言葉を選んでいるような、感じがした。
「この間、遊びに行ってた友達って、遠田くんだったんだね」
聞くつもりはなかったのに、凪の様子がおかしくて、思わずぽろっと、口からこぼれ出ていた。
「っ……」
凪の肩が、ビクッと揺れる。「他に何か……、言ってました? 遠田」
「え? 別に何も言ってなかったけど?」
「それなら……良いです」
なんとなく、様子がおかしいので、これ以上聞くのは止めた方が良いかもしれないなと思いつつ、達也は荷ほどきする。今日から、三泊する予定だった。着替えて、スーツをハンガーに掛ける。
「あ、これ、借りてきてくれたんだ」
ズボンプレッサーが部屋にあったので、借りたままにしてくれたのだろう。皺だらけのスラックスで大切な仕事に臨むのは、テンションが下がるから、ありがたい。最近のビジネスホテルは、部屋に衣類用の消臭スプレーもあるから、それも掛けておく。
明日着る分のシャツも出して、ハンガーに掛ける。これで、支度は十分のはずだ。
「あとは、スマホとか諸々充電して……と」
着々と明日の準備をする達也を、じっと見ながら、凪は静かに聞いた。
「遠田と……何をしてたとか、聞かないんですね」
「俺は、普通に、飲み会くらいだと思ってるけど」
思っていたとおりのことを、達也は告げる。遠田と会っていたことを隠していた―――事については、モヤモヤしたが、何を話したのか、なんのためだったのかということまでは、頭が回らなかった。
「遠田と……ホテルに行ったって言ったら?」
多分、嘘だろうなとは、達也は思った。もし、ホテルに行っていたら、遠田の態度は、ああいう感じではないと思ったからだ。堂々と、ホテルに行ったと言いそうだ。
「別に?」
「別にってっ!!」
凪が声を荒らげる。
「ちょっと、もう隣とか寝てるかも知れないから、静かにしなよ。ビジネスって、壁が薄いんだからさ」
達也の言葉を聞いた凪が、押し黙った。
「……なんで、達也さん、平気なんですか?」
ぽつり、と凪が呟く。
平気じゃ、なかった。モヤモヤした―――そう、告げれば良いはずなのに、何故か、その言葉は出てこなかった。
「……平気とか、なんとかじゃなくて……そうだな、俺の知ってるヤツなら……、友達とか言わないで、名前で言えば良いのにって思ったけど」
「それだけ?」
凪が問う。達也は、どう答えるのか正解か、良くわからなくなった。
何か、言わなければならない―――けれど、間違えたら、取り返しが付かなくなりそうだ、と。なんとなく、それだけは予感していた。
「お前の交流関係にまで、俺は口出し出来ないだろ」
「何を話してきたとか、そういうの、気にならないんですか」
「……俺に関係あることなら」
苦笑すると、凪が、きゅっと唇を噛みしめた。
「……たとえば」と、凪が小さく呟く。「もし、遠田が、付き合ってって言ってきて、俺が了承したら、達也さん、それでも良いんですか?」
良いか――悪いか。
それは、良くわからない。ただ、達也自身は、それを口に出すことが出来る立場ではないということだけは、知っている。
「俺は、イヤですよ。興水さんと……二人でラーメン食べに行ったのだって、凄くイヤです。俺とは、ラーメン食べに行かないくせにって思います。何を話してても、イヤだ。達也さんが口説かれてもイヤだ」
凪が、近付いてくる。達也のTシャツを掴んで、肩に顔を乗せた。
凪の暖かさを、肩に感じる。久しぶりに、凪の体温を感じたような気がした。
(ラーメン屋のこと、興水から聞いたのかな)とは思いつつ、達也は、小さくため息を吐く。
「凪……」
「なんで、達也さん、俺のこと、見てくれないの。俺は、達也さんしか見てないのに」
絞り出すような、悲痛な声だった。
そんな声を聞いていると、さすがに、胸が苦しくなってくる。けれど、どうして良いのか解らない。いや、どうすべきか、が解らない。今、凪の身体を抱きしめてやるべきなのかどうかも、良くわからない。
「達也さんが、今、大変な状況だって解ってます。でも、それなら、俺を頼ってよ……」
「頼ってるよ。……違う、頼りすぎてる。みんなに、甘やかされてて、このままじゃダメだって、そう思ってる」
「もっと、頼って下さい。……興水さんでも、藤高さんでもなくて、俺だけ頼って。……お願いだから」
凪に抱きしめられて、達也は混乱していた。
慣れた、凪の体温に、ホッとしている。けれど、凪が、どうして、こんなに、縋り付くように、達也を抱きしめているのか、達也には解らない。
そして、何かを思い詰めているような凪に、掛ける言葉もないことが、達也は歯がゆかった。