凪が、友人と遊びに行っていた翌日の朝は、ゴミの日だった。
管理人がいたので、珍しいと思いつつ、「おはようございます」と挨拶をすると、睨まれる。
「ちょっと、瀬守さん」
管理人は、達也につかつかと詰め寄ってきた。
「瀬守さん、ちゃんと、ゴミ袋の口は縛ってます?」
「えっ?」
思わず手にしていたゴミ袋を見やる。ガッチリと縛ってある。
「縛ってます。いつも、こんな感じです……もしかして、また、うちのゴミ、荒らされてました?」
管理人はゴミ袋をチェックして、「うーん、確かに、瀬守さんはきちんと縛ってるなあ」とため息を吐いた。まだ、ゴミを荒らされているということに驚きつつ、達也は、少しだけ胸をなで下ろす。
個人情報が分かるようなものは、簡易シュレッダーにかけるようにしたのだった。手間は掛かるが、良かったと思う。
「……あなた、もしかして、嫌がらせとか受けてるの?」
管理人が心配そうに顔を覗き込んできて、申し訳ない気分になる。
「心当たりはないんですけどねぇ」
とは言いつつ、脳裏を、すでに公認ストーカーと化している興水の顔がよぎっていくが、興水が、ゴミ漁りをしているということはないだろう。あの部屋には、達也の隠し撮りはあっても、私物らしきモノなどはなかった。あったら怖い。
「まあ……朝に出して貰っているからね。大丈夫だと思ってたんだけどね。前回のゴミの日は荒らされていたから」
管理人の言葉を聞いて、申し訳ない気分になる。
「なんか……済みません」
「いや、瀬守さんが、ちゃんとゴミ出しをしてくれてるのは、わかったから、良いんですけどね……」
「本当にすみません」
謝ってから、達也はゴミを預けて、会社へ向かった。
(ゴミ漁りしたらな、ちゃんと片付けていけよ)
とは思ったが、それも何か、怒りの矛先が違うような気がする。そして、仮に興水がゴミ漁りをしていたら、ちゃんと、証拠隠滅はしそうだとおもったので、やはり犯人は興水ではなさそうだった。
神崎のこと。ゴミを漁っている誰かのこと。
考えたくもないようなことばかり起きて、疲れてくる。
なにか、リフレッシュする方法はないか……と達也は思案する。今までの場合、大抵、それは、マッチングアプリを使って、それなりに楽しい夜を過ごすというのが発散方法だった。―――が、今は、それもない。
凪とは、それなりに、夜を過ごしているが、ストレスが溜まったからという理由で誘うのも、気が引ける。
久しぶりにアプリを立ち上げてみると、プロフィールを見た人たちから、何件か誘いが入っていた。その人達を確認していくが、やはり、気が乗らない。
(趣味でも見つけるか……)
とは思いつつ、目下の所、能動的に趣味を持つ気にもならない。
(まずは、ORTUSさんの所の仕事が片付くまで……)
それから、少し考えよう。
少なくとも、神崎のことが、片付くまでは、気が休まらない。
(しかし……あの、神崎さんが、どうやれば、俺を諦めてくれるモノか……)
神崎のストーリーでは、彼は被害者で、達也が加害者になっている。
本気で、神崎は、達也に捨てられたと思っているのが、怖いところだ。そして、神崎の周りの人間は、彼の思い通りにするために、動くだろう。神崎は、達也を愛人にするつもりだ。それは、達也は、御免蒙りたい。それでも、ふと、思ってしまうときがある。
(もしあの頃……)
神崎から、愛人になってずっと一緒にいて欲しいといわれたら、それを、了承していただろうか、と。
彼には、妻子がいたわけだが、それは『公式パートナー』で、本当の、肉体関係を伴ったパートナーは達也だと言われたら―――おそらく、達也は、それを飲んでいたと思う。
彼の傍で、世界中を飛び回り、公私ともに彼に仕えて、彼の意に添うままに動いていたと思う。達也の全てを
それが、幸せなこととは、到底思えない。
つまり、あの頃は――達也は、正常な判断が出来なかったのだ。それほど、彼に、夢中になって、彼の支配下にいたということだ。
(なんで俺なんかに……)
そこまで執着するのだろうとは、達也も思う。けれど、それは理屈ではないのだろう。ただ、これが良い、と直感しただけなのだ。
達也は、催眠術か、魔法に掛かっていたのだ。
右も左も解らない社会人で、快楽もなにも解らない状態の達也を、コントロールするのは、神崎には、たやすかっただろう。そういうことなのだ。
支配、コントロール……恋人には、ほど遠い言葉だ。
(流されたら、多分何も考えなくて済むから楽なんだろう……)
けれど、今度は流されないようにしようと、心に決めて、達也はスマートフォンで検索を掛けた。
『ストレス 解消法』
よく寝る。適度な運動をする。誰かと会話をする。映画を見て思いっきり泣く。お笑いを見て笑う。ノートを使ってジャーナリングをする。カラオケで爆音で歌う……。
沢山のストレス解消方法が出てきたということは、みんなストレスを抱えて生きていると言うことだ。
「……カラオケ、良いな」
一人でも良いだろう。カラオケに行って、唄いまくってみようか。出来れば一人で行きたい。しばらくカラオケなんか行っていないから、丁度良い気がする。
駅前にあるカラオケ店の予約を取ってしまおうと思って、アクセスする。
しかし、中々、サイトが表示されなかった。
「なんか、最近、スマホが重いんだよなあ……」
達也は首を捻りつつ、一旦、スマートフォンを再起動してみることにした。