待ち合わせの時間ギリギリに、凪は、自宅近所のバルにたどり着いた。
明るい雰囲気のスペイン・バルで、カウンター席の所に、目当ての人物がいることに気が付いて「ごめん、待たせた」と声を掛ける。
凪が声を掛けたのは、遠田だった。
遠田は、ハモン・セラーノを摘まみながら、シェリー酒を傾けている。
「もしかして、結構前から入ってた?」
「ちょっと早く来すぎたから、先に一杯飲んでただけ」
遠田が笑う。
「こんな所に、スペイン・バルなんかあるんだ。知らなかった」
「うん、僕も、会社の人から聞いたくらいだから……それにしても、二人で飲むのは、初めてだね」
遠田の頬は、少し赤かった。シェリー酒は、それなりに度数が高かったイメージだが、何杯か飲んでいたのだろうか。
「そうだね。あ、料理とかって、好きなモノを頼む系?」
「うん。その方がいいかなと思って」
じゃあ、と言いながら、凪は同じくシェリー酒を注文する。それと、ピンチョスを何種類か。まずは、軽いつまみで酒を入れた方が良いだろうと、思ったのだった。
今日は、遠田から呼び出された。おそらく、凪と過ごす時間が欲しいのだろうと思ったから、長い時間拘束されることは覚悟をしてここに来たのだった。
「来るとは思わなかった」
遠田が、ポツリ、と呟く。
「なんで?」
「……瀬守さんに、義理立てしそうだと思ったから」
その言葉に、凪は苦笑する。
「義理立て、ね……」
「凪は、そういうところは、しっかりしているイメージだから」
それは、そうだ。あちこちに手を出して遊び歩くと言うことはしなかった。
「まあ」
「他の友達に会うときも、気を遣ってたでしょ」
「そういうもんじゃない? 付き合うって。今は、俺の片思いだし、お前には……世話になってるから」
世話になっている、という言葉を強調すると、遠田が苦笑して、一気にシェリー酒を呷る。そういう飲み方をする酒ではないので、「おい」と凪が窘める。
「世話、ね」
「……今回、神崎さんの情報調べたり、いろいろORTUSさんの情報、調べて貰って助かった。それに……あのアプリも」
アプリ、という言葉に、遠田が「ああ」と小さく呟いた。
「正直、あのアプリを仕込んでおくのは、ちょっと、反則かとは思ったんだ」
凪が、小さく言うと、「というか、他人のスマホに何かを仕込むなら、反則中の反則だろ」と遠田が吐き捨てるように言う。
「それは承知してる」
「……なんで、瀬守さんにちゃんと言わないの? 別に、言って、アプリ組み込めば良いだけだろ。わざわざ、黙ってこそこそやるとか……今までの凪らしくない」
遠田に言われて、凪は「そうだね」と呟いて、ため息をついた。
「俺らしくないのは解ってるんだけど……、あの人、結構天然で、危機感がないからさ……だから、言わないで仕込んで置いた方が良いと思って」
「天然っていうのは、なんとなく解る。……無自覚に、あちこちに好意をばらまいてあちこちのヤツを、引っかけてるんだろうな」
「とりあえず、お前には、迷惑が掛からないようにするから」
「はあ……まあ、とりあえず、こっちでも常にトレースは取ってるからさ……。自分で作って置いてなんだけど、殆ど、スパイウェアみたいなもんだからな」
「それは解ってる」
凪は、遠田に依頼したことを思い出していた。
アプリを作ってほしい。
特定のアプリの通信先を監視してログをトレース出来て、現在位置を常に把握出来るアプリ。
この程度の事ならば、遠田が、造作もなく作ることを凪は把握している。凪でも作ることは出来るだろうが、遠田が作った方が『早い』ということだ。
そして、そのアプリを、こっそり達也のスマホに組み込んである。
常に監視しているわけではないが―――興水や、凪が、一緒にいないときに神崎が接触してきたときのことを考えると、こういう事は必要だと、思っていた。
「今の、件が片付いたら……、ちゃんとアンインストールするし……、お前にもアプリの運用を止めて貰うから大丈夫」
「とりあえず、お前から運用停止って言われてから、三ヶ月はアプリの運用は止めないで置くけど」
「なんで?」
「アフターサービス。……本当に万が一だよ。とりあえず、色々ビザとか手続きとかあるからさ、海外に拉致られるってのはまず無いと思うけど、一応、アプリは全世界どこにいてもGPSが拾えるなら、追跡可能にはしておいた。……あの人から、『招待』でもされたら、断れないタイミングとかもあるだろ。今度は、別の国でもイベントをやりたいとか、人を借りたいとか。いろいろ。理由なんかいくらでも作れる」
遠田の言葉を聞いて、凪の気分が沈んでいく。
「とりあえず、俺も、瀬守さんの居場所なんか調べないし、凪も、何かがあるまでは使わないんだろ」
「うん。さすがに、盗聴みたいなことはしないよ」
「それで、僕に、見返りとか報酬とか、出す気はないの?」
「何が欲しい?」
遠田は一瞬、黙った。
「本音を言ったら、凪と付き合いたい。僕は……、ずっと、恋人だと思ってた」
「……それは……」
凪が言葉に詰まる。
「一晩とかでも良いんだけど」
「それは、俺が嫌だよ。……本気で好きって言ってくれる人に一晩、遊びとか……それは、本当に冗談じゃない」
遠田の顔が、泣きそうになってぐしゃっと歪む。けれど、泣き顔にはならずに、そのまま笑った。
「そういう、誠実なところが好きだ」
「誠実な男が―――上司のスマホに、スパイウェアは仕込まないだろ」
「それも誠実だよ。だって……あの人、そういうのが仕込まれてるの知ったら、キョドりそうだから」
それは、なんとなく、否定できない凪だった。