瀬守さんのことが心配で、という理由で藤高を呼び出したのは、さすがに、酷かっただろうか。
朝比奈はそう思いながら、紅茶を飲んだ。
近所に、紅茶の美味しいこぢんまりした喫茶店があるので、そこに藤高を誘い出した形だった。
『瀬守さんの件、僕は、詳細を知らないのですが、僕も何か力になりたいです。
社内だとしづらいと思うので、どこかで、お話し出来ませんか?』
達也のことは、出汁に使った、とは思っている。自覚はある。
待ち合わせ時間の少し前に、藤高は現れた。
「すみません、お休みの所……」
「大丈夫だよ。この辺は、来るの初めてだし。……昨日とかは、何にも説明しないまま、興水と話し込んじゃったから、朝比奈も不安だっただろ。ゴメンな」
藤高が、小さく謝る。
「いえ……」
「ちょっと、注文しちゃうね。……朝比奈は、紅茶なんだ」
「えっ? ええ、ここ、紅茶が美味しいらしくて……」
「そうなんだ。……じゃ、俺も紅茶にしようかな」
紅茶を注文した藤高は、「昨日は、俺もちょっとびっくりしたんだ」と小さく、ポツリと呟いた。
「はい」
「あの人ね。……新聞で見たことあるし、ビジネス誌とかでも見たことがある。そういう人が急に現れたから、びっくりした。そもそも、今回の仕事が、あの人からの推薦みたいなところがあったみたいだから、瀬守に会う機会を窺ってたのかも知れないね」
「瀬守さん、あの人に、その……嫌なことをされたって言うことですか?」
藤高は、やんわりと微笑しながら、社給のスマートフォンを渡した。
興水とのメッセージのやりとりが表示されている。
「見ても……?」
「そのつもりで、興水と、瀬守からは許可を貰ってる」
『藤高さん、緊急事態。
瀬守が、むこうの神崎さんにホテルに連れ込まれそうになった。
とりあえず、なんとか逃げさせた』
『興水くん、どういうこと?
神崎さんって、ヨーロッパ支社長の?』
『ヨーロッパ支社長の神崎さん。
前のイベントの時に、瀬守にセクハラまがいというか、ほぼアウトなことはされたみたいだ。
それで、しばらく親しくはしてたらしいんだけど』
『セクハラって』
『今だって、秘書を通して運転手を手配されて、ホテルに連れられたところまで行ってるんだから。
憶測では言えないけど。
電話のやりとりを聞いてたけど、瀬守は神崎さんには、逆らえない雰囲気だった』
『瀬守は』
『とりあえず、これで仕事が駄目になっても良いって言っておいた。
枕みたいなことはするなとは伝えた。
帰ってくれたと思う。一人で居させるのも心配だから、合流して、しばらく一緒に居ることにする』
『すまん、たのんだ』
『藤高さん、この件、社長にあげといて』
『解った』
『続報あったら連絡する。明日は、一応、行けるようだったら、会場の下見に向かう』
『返信不要。
瀬守はかなり混乱してる。飲み過ぎて吐いたから、付き添うことにする。』
『おはようございます。返信不要。
とりあえず、瀬守は、今日はなんとか動けそうだと思う。
ただ、今後もORTUSとのやりとりのフロントをやらせるのはキツいとおもうから、俺か藤高さんがやったほうが良いと思う。
とりあえず、俺は、瀬守と一緒に泊まったんだけど、自分の宿に戻ってから、会場に向かう。
瀬守も一人でそっちに向かうって言うことだから。』
『さっき電話口で『瀬守にセクハラ気味』って言いましたけど、実際はもっと酷かったです。
愛人にしてやるみたいな感じでした。
やりとりは録音してあります。
昨日、アキバでICレコーダー、買っておいて正解でした』
そこまで読んだ朝比奈は、全身から血の気が引いて行くのを感じた。指先が、冷たい。
「瀬守さん……、大丈夫なんですか。ケアは?」
「ケアが必要ならば、会社から、産業医を受診するように指導する。だから……チーム内で、ちょっとでも瀬守の様子がおかしかったら、連絡して欲しいんだ」
「それは……勿論です」
昨日の、韓国居酒屋の池田の言葉が、朝比奈の頭の中を、ぐるぐると回っている。
『なんスかそれ。マジでお持ち帰りみたいな感じっスね!!』
これは、どれほど無神経な言葉だっただろう。
「……朝比奈まで、落ち込むと、瀬守も逆にしんどくなると思う。だから、お前は、知ってても、普通していてほしい」
藤高が、頭を下げた。
「藤高さん……」
「……今回のプロジェクトは、なくなるかも知れないけど、とにかく、俺は、直属の上司として、瀬守を犠牲にしてまで、する仕事じゃないと思ってる。俺には、たいして権限ってないんだけど、自分の課内の人事権くらいあるんだ。もし、あの人が、瀬守に近付こうとするなら、俺の権限で、社外から出さない仕事を押しつけることにする」
「押しつけるって」
思わず、笑ってしまった。
「けっこう、押しつけたい仕事もあるんだよぉ」
はは、と藤高は笑う。その笑顔をみて、不謹慎でも、胸の奥が、ぎゅっと掴まれたみたいに、切なくなった。
「そういう、押しつけたい仕事、あるなら、僕に下さい。……藤高さんの力になりたいです」
「おっ、じゃあ、遠慮なく、お願いしようかな」
「はい。そうして下さい」
達也には、申し訳ないが、今、この瞬間、藤高と二人でいる時間が、もう少し、長く続いたら良いなと、朝比奈は思っていた。