翌日は、十一時過ぎ頃、興水から電話があった。
「近くのカフェに飯でもいかないか?」
ということだったので、誘いに乗ることにした。
達也と凪は起き出したのは十時を過ぎた頃合いで、おそらく、大体の行動は興水に読まれているのだろうが、なんとも、決まりが悪い。
(まさか、興水のやつ、部屋を覗いたりしてないよな……)
もし、覗かれていたら……昨日は、凪と、そういうことをして居たので、それを見られていたと言うことになる。昨日の夜は気付かなかったが、それは、恥ずかしい。
「……一晩中っていう訳じゃないけど、ちょこちょこ、うちとお前の家の辺りに不審者がいないかは確認してたけど、昨日は大丈夫そうだった」
興水は、カフェに向かいがてらそんなことをいう。
「そうなんだ」
向かったカフェは、川沿いにある、感じの良い店だった。コーヒーとガレットの店らしい。
この間の、コーヒー焙煎所といい、興水は、コーヒーがかなり好きなのだなと達也は思う。
「この三人でカフェってのも珍しいよな」
「そうですよね」
凪と興水は、人目を引く容姿だ。なので、客が、チラチラと二人を見ている。なんとなく場違いな気分になりつつ、注文を済ます。
「とりあえず、藤高さん、名刺もらったでしょ、あの人から。で、基本、うちの会社、管理職は、名刺を共有するんだわ」
興水が、静かに言って、水を飲んだ。
あの人。神崎のことだろう。
「うん」
「だから、あの人に直電しちゃった♥」
「はあっ!? 『直電しちゃった♥』じゃねぇよっ!」
思わず立ち上がってしまって、慌てて、達也は周りに謝りつつ、席に着く。
「……あ、手っ取り早くて良いですね。それで?」
「んー。なんか、あの人の中のストーリーと、事実が不一致で、聞き入れて貰えない感じだった」
「ストーリー……」
「あの人は、今でも達也の恋人で、達也が一方的に別れを告げないまま行方をくらませたというのを信じてる。達也は、今は、自棄になっていて、あちこちで相手を探して遊んでるけど、本当に心から欲しているのは神崎で、神崎自身は、達也をその地獄から救い出したい、だそうです」
なぜか敬語だった。理解しがたい相手だということだけは、理解出来た。
「うわー……」
「あの……『救いたい』ってなに、から……?」
「俺とかが、『本当は思い合っている神崎と達也』を引き裂いて、達也をずっと監視しているもんだから、達也が神崎に会いに来ることが出来ないらしいよ」
「なんだそりゃ」
思わず、寒気がした。
昨日の夜、凪と、満足した時間を過ごしていなければ、卒倒していたかも知れない、と達也はぼんやり思った。
「あ、ちなみに、神崎さん、まだご離婚とかはして居ないようです」
「そうそう。指輪してたから、そっちも気になって聞いてみたら、『お互い割り切った政略結婚』ということだったよ」
「あー……たしかに、昔、その辺のことは聞いた気がする。なんか、ORTUSさんって、社内政治が、学閥で決まってるらしくて、あの人、学閥に入れないから、そっち出身の奥さんを貰ったって話してたよ」
「いつの時代の話だよ!」
「そうだよねぇ」
注文したコーヒーが運ばれてきた。達也は、無難に『本日のコーヒー』。興水は、『ブラジル・サントス』。凪は、『オレ・グラッセ』だった。
「妄想の世界に生きてる人と、どうやっても会話出来る気がしない」
ぽつりと呟いた達也に「俺もそう思う」と興水が同意する。
「おとなしく、とっととイギリスに帰って貰うのが一番なんですけど」
「……日本に転勤してきたら、常に危険にさらされる。ここで、一旦、完全に諦めさせる方がいい」
「たしかに」
しかし、名案は浮かばない。
「……俺と達也さんが、恋人同士で、パートナー宣言してるとか紹介したらどうですかね」
凪が、さらっと言う。
「多分、『達也をとられた、達也は無理矢理合意させられている』って騒ぎ出すから却下」
「あー」
何を考えても、状況が『詰む』。
思わず、頭を抱える。
運ばれてきたガレットをフォークで一口分に切り取りながら、「なにをしたら、あの人が諦めてくれるんだか」と呟く。
「諦める、ねぇ……ああいう、超大企業で上に行く人って、人の話を聞かない、諦めない、思い通りにするっていう三拍子揃ってるんだよねぇ」
「……じゃあ、あの人が、叶わない相手とかが味方だったらいいのかもなあ」
「例えば?」
「……わかんない」
現実、そういう相手が居るんだろうか。
厄介すぎて、頭が痛くなってきて、達也はこめかみを指で強く揉む。
「あの人の身辺の人間関係、ちょっと洗います」
凪が、静かに告げる。
「凪?」
「……ORTUSとちょっと繋がったんですよね。そこから探せるだけ探します。対外的に、あの人が頭が上がらない相手か、あの人の敵をこっちの味方に付ければ良いって言うことでしょ」
凪は静かにしているが、かなり、怒っているのは解った。
猛然と、ガレットを食べている。
ガレット・コンプレ。卵とチーズとハムのクラシカルなガレットだ。
「それは良いけど、とりあえず、危ないことはするなよ」
「それはそうなんですけどね」
凪は、ナイフとフォークを置いた。店員を呼んで、シードルを注文して、シードルを飲んでから興水に言い放つ。
「俺はね、大事な人を不安がらせたり、泣かせたりするヤツは、絶対に許さないんです」
「奇遇だな。俺もだよ」
「だからねこの件に関しては、俺は、興水さんと全面協力体制に入れると思います」
「いやいやいやいや、ちょっとまて、お前ら、……」
「とりあえずこれは、お前だけの問題じゃないんだよ」
興水と、凪は、何やら作戦を練り始めた。達也は、事態が大事になるのを感じながら、ただただ、もくもくと生ハムとアボカドの乗った豪華なガレットを口に運び続けた。