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第72話 一日交替


 興水と凪の間で『一日交替』で達也の家に泊まり込むというのが、勝手に合意形成されていたらしい。恐ろしいことに、この合意には、藤高も絡んでいた。


「瀬守。……相手は、言っちゃ悪いが雲の上の人みたいなもんだから、一体どういう人たちと繋がってるか解らないんだ。勿論、反社とかそういう意味じゃないけどな。だから、しばらく、用心しておいた方が良いと思う」


 それと、と藤高は小さな声で付け加えた。


「お前が、新人の頃、神崎さんからセクハラまがいのことをされたと聞いた。その頃、俺は直属の上司じゃなかったが、同じチームに居たのに、気づけなくてごめんな。しんどかっただろう」


 藤高に謝ってもらうことではない……と思っていたのに、気が付いたら、目が熱くなっていて、「いえ」と小さく言うのだけで精一杯だった。


 とにかく、二度と、達也に悲しい思いをさせてはいけないという一心で、チームが一丸となったらしい。恐縮するが、ありがたいことだ。


 地元に戻り、最寄り駅から、興水と凪の三人で歩いて帰る。

 すこし、奇妙な感じがした。


「……さすがに、こんな所に、神崎さんが居たら怖いよ」

「解らないですから油断しないでください」


「そうだよ、ストーカーになってるかも知れないし」

 興水はさらりというが、それは、お前の事ではないのか、と達也は少しだけ思う。


「それにしても、神崎さん、いつ日本に戻ってたんだろ」

「日本に来たのは、急だったみたいですね。ORTUS社のひとが、グチってましたよ、SNSで」


「それ、まずくない?」

「社名は、ぼやかしてましたけど、いろいろ検索かけてORTUS本社の社員さんのアカウントを、いくつか特定しました」


 さらりという凪に「へぇ……」と関心はして見せたものの、正直な所は、かなり、怖い。


 そういえば、かつて凪は、密かに達也が投稿して居るSNSを見て、達也の家を特定したと言っていたはずだった。


(なんで、興水といい凪といい、ストーカーじみてるんだ……?)

 ストーカーは、一匹いれば三匹居ると思えということだろうか。


 どうしようもないことを考えて居るうちに、達也のマンション前まで到着する。


「じゃ、俺はこっちだから」

 興水は自分の自宅へ戻っていく。達也は、凪と一緒に、自分の部屋に向かった。


 部屋に入るなり、凪があちこちを見て、安全を確認している。過保護過ぎるとは思ったが、神崎が何をしてくるか解らないという言葉には、同意した。


 時計を見れば、もう日が変わっていた。

「凪、下着とパジャマ出しておくから」


 予備用の下着とパジャマを出して、テーブルの上に置く。

「ありがとうございます。……ところで……、もし良かったら、達也さん。一緒にお風呂、入りませんか?」


 思わぬ申し出に、達也は「は?」と答えていた。何を言われているかは、理解して居るのに、瞬間、答えを出すのを躊躇った。


「……イヤなら良いんですけど」

 凪はあっさり、引いた。それに安堵している自分もいる。けれど、達也の口から飛び出したのは、意外な言葉だった。


「……まあ、時間の短縮になるし。そうするか」

 まさか、オッケーされるとは思っていなかったのか、凪が、目をぱちくりと瞬かせている。


「なんだよ」

「……一緒にお風呂入ってくれるとは思わなかったんですもん」


 たしかに、達也も、こんなことを言い出すとは思っていなかった。


「なんつーか……、お礼? 的な」

「お礼……」


「うん。いろいろ、心配してくれてありがたかったから、さ」

 少々、凪は押し黙っていた。それから、はあっと長いため息を吐くと、「達也さん、チョロすぎます」とだけ小さく呟く。


「達也さん、その調子で、興水さんにも『お礼』しないでしょうね」

「しないよ、多分」


「その多分って言うのが引っかかるんですよ。……興水さんが、一緒に、お風呂に行こうって言われたら、多分拒否しないでしょ。それで、興水さんにヤらせるんだ」


 ぶちぶちと凪は文句を言う。


「さすがに、させないと思うけど」

 とはいえ、確かに、達也も自信がなくなってきた。


「でも、昨日とかは……何もなかったし」

「興水さんがちゃんと我慢してたんですよ……セクハラされて苦しんでる人に手ぇ出してきたら、鬼畜だと思うんでそれは」


「じゃ、お前も今日手を出さないと」

 凪が、少し反応した。眉が、上がった。


「……達也さん、それ……して欲しそうに聞こえますよ?」

「なっ……っ」


 凪が、近付いてくる。達也は、動けない。そっと、手を取られて、指が絡まる。


「達也さん、元カレに会うのイヤで、傷ついて、しんどい?」

「まあ……うん」


「……慰めて欲しい? 今日なら、俺、どろっどろに甘やかしてあげるよ。でも、達也さんが、そういうのより、ただ、一緒にいた方が良いなら、なにもしない」


 腰が、甘く震えるのを達也は感じていた。

 繋いだ手から、熱が移ってくる。


 凪の、慣れた体温。

 そういえば、しばらく、これを味わっていない。


「……甘やかされたい……かも」

「じゃ、そうしましょう。明日は休みだし……」


 凪が唇を重ねてくる。その感触も、酷く、懐かしい。

 優しくて慣れた感触は、こわばっていた心を、優しくほぐす。


 凪の手が、優しく、達也の髪を梳いていた。

 なにもかも優しくて、ただ、達也はすべてを凪に委ねていれば良かった。




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