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第52話 鍋と牽制


 池田には悪かったが、池田のおかけで、場が和んだのは幸いだった。


「池田、ゴメン。……筋肉凄いよね、ちょっとうらやましい」

「え? 瀬守さん、マッチョ好きですか?」


「好きか嫌いかと言われると、微妙な所だけど、筋肉が沢山ある方が、なんか、カッコイイ感じがするのは、一般論だと思うんだけどなあ」

「おとこ『らしさ』の問題とかになってくると、ちょっと、話が変わってきますけどね」

 と言いつつ、凪が、妙な視線を送ってくる。


 凪は、引き締まった身体付きではあったが、筋肉質という感じではない。


「まあ、確かに」

「あ、瀬守、俺は脱いだら凄いよ」

 隣で笑う興水に、達也はぞっとする。


「お前……それ、今、ここが男しかいないから良いけど、セクハラになりかねないだろ……」

「なに、興水くん、鍛えてるの?」


 藤高が身を乗り出して聞いてくる。興味があるらしい。


「一応、ジムとかは行ってます。それなりに、絞っては居ると思うんですけど、なんか、だんだん、思うように身体が絞れなくなっているというか……みんな、三十を超えたらヤバいっていうから、結構、怖いんですよね」


 興水も達也も、ギリギリ二十代。確かに、三十代の先輩から聞かされる『三十代になったら、身体がガクッとくるぞ~』というニヤニヤ笑い混じりの呪いの言葉は、恐ろしい。


「ああ、確かに。僕も、全然、だんだん腹が出てきた気がする」

「えっ、藤高さん、全然お腹とか出てないですよ。むしろ、細いと思うんですけど」


 朝比奈が空かさずフォローに入ったのを見て、達也は、確信した。朝比奈の、好きな人というのは、藤高だ。


(藤高さん、ねぇ……)

 悪い人ではないし、仕事もしっかりやってくれる。そういう意味で、良い上司だ。しかし、達也は、藤高の個人的な部分を全く知らないので、なんとも言えない。可愛い後輩のカテゴリに入る朝比奈が、嫌な思いをしなければなんでも良いが……。


(そもそも、男がOKかって言うところからだからなあ……)

 それに、存外真面目な藤高は、『部下』に手を出すとは思えない。


 やはり、会社内の恋愛というのは、難しいところがある。

 どうしても、ごちゃごちゃする……。


 達也の思考を分断するように、するり、と凪の手が、達也の太腿に触れた。


「おい……」

 窘めるが、凪は気にしていない。


「……そっちの鍋って、具材、一緒ですか?」

 身を乗り出すようにして、凪が聞く。顔が近い。くっつくな、と言いたかったが、凪はわざとやっているのだ。


「ん? 水野、なにかこっちの鍋からとろうか?」

 親切に、興水がにっこり笑いながら言う。声は優しいが、目が笑っていないのが怖い。


 凪は「えー、興水さんにつけてもらうなんて、畏れ多くて出来ないですよっ!」と言いながら、鍋の中身を確認するフリをして、達也の脚を触っている。服の上から、軽く、なで回されて、変な気分になってくる。


(……っ……この……)

 退けたかったが、ここで凪を突き飛ばして、鍋をひっくり返すわけにも行かない。


「凪、ちょっと、重いんだけど?」

 精一杯、の言葉だった。


「すみません。ちょっと、鍋確認したくって」

 にこっと笑う。凪の目も、笑っていない。小さな声で、凪が呟く。


「……朝比奈さんのこと、見ないでって言ったのに」

 どうしようもないことを、と達也はため息を吐きながら「適当に、付けるけど良い? 興水じゃなくて、俺なら良いだろ」と言う。


「ありがとうございます、じゃあ、俺の分、よろしくお願いします」

「テキトーに付けるよ」


「ありがとうございますっ!」

 とんすいを渡される。その時、わざとらしく、指先に触れてくる。

 鍋の中身は、すでに、乱れている。こうなってくると、綺麗に付けなくてもいいやという感じになるので、気が楽だ。


「あ、そっちって、つみれの団子二種類じゃないですか。両方付けて貰って良いですか?」

 言われてから、つみれが二個あるのに気が付いて「あ、本当だ」と鍋の中身を探し始める。


 達也に身体を密着させるようにして凪が身を乗り出しながら、鍋の中身を確認して「あ、そっちのにんじんの下です。あと、すみません、俺、しいたけ苦手なんで……」などと行って、指示してくる。


「しいたけ苦手なんだ」

「はい……なんか、ダメなんですよ……」


「ふうん……」

 確かに、しいたけが苦手な人は多いが、達也はどちらかというとしいたけは好きな方なので、凪の気持ちが良くわからない。そもそも、鍋にはしいたけの出汁は出ているのではないかという、どうしようもないことを考えつつ、凪にとんすいを返した。


「あ、美味しそう! ありがとうございます、達也さん!」

 にこっと笑いながら、凪は美味しそうに食べている。


 達也は、なんとなく、やりとりで疲弊してしまって、食欲が少なくなっていた。個別に出されている料理だけ手を伸ばしつつ、酒を飲み続けていた。


「瀬守」

 耳元に、興水の声がする。


「なに?」

「……飲み過ぎじゃないか? ソフトドリンクに変えた方がいいと思う」


 興水の警告を無視して「え、大丈夫だよ、俺、酒には弱くないし」と達也は、また、一口、ビールを飲んだ。



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