凪は、ビールをこぼしたまま、呆然としていた。
(興水が近所なのが、そんなにショックなのか……?)
とは思ったモノの、ここでそれを聞くわけにも行かず、「おい、凪。早く拭かないと。池田、台拭きか何か、その辺にない?」と声を掛け、自分のおしぼりで、畳に広がったビールを拭いていく。
「あら、水野、ビール倒しちゃった? ちょっと待ってて、仲居さん呼ぶから」
程なく、料理を運んできた仲居から、拭くものを借りて、畳を拭く。
「あら、お召し物は大丈夫でした?」
心配そうに聞いてくれた仲居に、「済みません、大丈夫です。ただ、畳を濡らしてしまって」と凪が恐縮して言うと、「あら、お気になさいませんよう」と笑顔で去って行った。
テーブルの上には、先付けと、刺身が並んだ。それに、椀ものも並んでいる。
「美味しそう」
「結構量があるね」
「あとは揚げ物と、締めのうどんか雑炊が来るらしいです。デザートは、みんなイラナイかなーとおもって、付かないコースにしました」
「たしかに、デザートはね……」
「こういうところで食べると、ちょっと物足りないですよね」
「そういえば、札幌の方だと、〆でパフェ食べるって言いますけど、どうなんでしょうね」
皆の意見を見ていると、結構、甘いものが好きなようだった。
あとで、なにかある際には、甘いものでも差し入れをしよう、と達也は思う。
「あ、俺は昔札幌で〆のパフェを食べたよ」
というのは藤高だ。
「じゃあ、あとで、〆のパフェ、食べに行きませんか?」
藤高に誘ったのは、朝比奈だった。
「おっ、お前、甘いもの好きなのか?」
「はい……」
「そうか、じゃあ、あとで、パフェ、食いに行こう」
「うれしいですっ!」
朝比奈の顔を見て、達也は(あれ?)と思った。
朝比奈は、いつになく嬉しそうだったし、顔が、きらきらしている気がしたからだ。
(あれ、もしかして……)
朝比奈が好きな人って、藤高さんなんだろうか……と思わず、視線が釘付けになったが、不意に現実に引き戻された。
手に、凪が手を重ねてきたからだった。
どきっ、と、胸が跳ねた。
「あっ……っ」
思わず、声が出てしまった。
凪の指が、達也の手の甲の上を這って、指を絡めて握られる。恋人つなぎ、だ。指の感覚が、妙に鮮明に感じられる。
(おいっ)
軽く睨み付けるが、凪は気にした風もない。
「おい」
小さく呟くと、凪は「ダメですよ」とだけ小さく返す。
何がだよ、と文句を言いたくなったが、凪は「朝比奈さんのこと、見ないでください」とどうしようもないことを言ってくる。
「お前なあ……」
思わず呟く。ため息しか出ない。
「だって……」
「飲み会だろ。……あ、そろそろ、鍋、食べられるんじゃないですか?」
「そうですね、じゃあ、食べましょう!」
池田が明るく言う。
「あ、瀬守。……そっちの鍋が食べたい。付けて貰って良い?」
興水が、空のとんすいを差し出してくるので「うん、なんか、苦手な食材は?」と聞くと、「いや、特にないよ」と返事があった。
「じゃあ、付けるね」
鍋をよそって上げるのは、実はすこし、緊張する。
せっかく綺麗に盛り付けられたまま、煮込まれた鍋を、なんとか綺麗なままでよそうのは、気を遣う。それに、汚い感じに盛り付けてしまったら、なんとなく、食欲が失せるような気がする。
「あ、達也さん。俺やります。居酒屋でバイトしてたから、こういうの慣れてるんですよ」
凪が、さっと興水から渡されたとんすいをかすめ取ると、ささっと盛り付けてしまう。
「はい、これ興水さん。熱いから気を付けて下さい」
「あ、どーも。水野もありがとうな」
「いえいえ、いくらでもおつけしますので! 藤高さんも是非」
「うん、僕はこっちから食べるよ」
なんとなく、興水の視線が痛い。それに気付かないふりをしつつ、達也も鍋へ向かう。
「そういえば、瀬守さんって、どんなバイトしてたんですか?」
池田が、聞く。手軽な雑談としては、当たり障りがなくて助かった。
「俺のバイト? ……大学の時は、塾講師とか。あとは、プールの監視員?」
「え、泳げるんですか? もしかして、逆三角形マッチョ体型だったりします? 結構、瀬守さん、細身っすよね」
「筋肉が付かないんだよ……。池田くらい筋肉があったら、様になるんだろうけどさ」
「たまに、ゴリラって言われますけどね」
池田の言葉に、皆が吹き出す。
「ゴリラか……」
「池田くん、ちょっと、それは……」
朝比奈まで、口許を押さえて笑っている。
別に、池田がゴリラっぽいというわけではないが、なんとなく、ピタリとハマる感じがあったからだ。