凪の余裕そうな態度を見ていると、すこし悔しくなる。凪は、どう考えても、達也の反応を見て楽しむくらいの、余裕があるからだ。
凪にペースを握られている。完全に。
食事を軽く済ませて、ホテルへ向かう。
凪が、達也を見つけた最初の日、記念。
それが本当なのか、よく解らなかったが、悪い気はしないように感じてしまっている。
(本当に、こいつのペースに乗せられてるんだよなあ)
高級なホテルのロビーは、大きな花瓶に沢山の花が飾ってあって、天然の花の香りで満たされている。香水のわざとらしい薫りではなかった。
ホテルにチェックインして、それから部屋に向かう。そういえば着替えはどうしようかと思っていると、
「達也さん、服とか、明日、今日来てたスーツで帰ります?」
と凪が聞いてくる。
「まあ、そうなるだろうなあ……」
そういえば、先代の社長から聞いたことがあるが、昔、それこそバブルの頃は、クリスマスともなるとホテルでディナーをしてから、そのまま部屋に行くから、翌朝は、盛装をしたカップルで溢れていてシュールな光景だったというのを思い出した。サラリーマンが、同じスーツ姿でいても、それほど目立たないから良いだろうが、なんとなく、今日、何の目的で宿泊して居るかバレバレな感じだけは、すこし恥ずかしい。
「なんなら、売店ありますよ」
指し示した先にあったのは、百貨店のセレクトショップと、ハイブランドの支店だった。
「……シャツ一枚幾らになるか解らない店で買いたくないよ」
「そうですよねー」
凪は軽く笑っているが、達也は、肝が冷える思いだった。
「お前はさ、服とかは……結構センスが良いと思うんだけど、良いブランドの服だったりするの?」
それと、謎に金回りが良さそうなのが、達也には気になるところだ。今年の新入社員のはずで、それならば、大した手持ちはなさそうなモノだが……。
「ブランドにはこだわりはないですよ。ただ、古着とかは、あんまり着ないです。探すのが大変だし、統一感とかがなくなりそうなんで。だから、どちらかと言ったら、服にはこだわりがない方って言えるんじゃないですかね」
「俺に比べたら、大分服にこだわりがあると思うけど」
「そうかな……」
「それに、いろんな店も知ってるし、こういう所を予約しても、躊躇がないし」
達也の経験上、高級ホテルに慣れてないうちは、挙動不審におちいる。もしくは、妙にイキって大声を出している人というのも見かけたことがあるが、あれは見苦しいというか、恥ずかしくなるものだった。
「親には、恵まれたと思いますよ」
ぽつり、と凪は呟く。
「そっか」
「親の財力があるから、大学までバイトもしてなかったですし。……就職前に、すこし、社会経験積まなきゃと思って居酒屋に居ただけで……、いろいろあって、それほどお金に不自由してなかったんです」
「お金に不自由してないっていうセリフ、一生に一度でも言ってみたいな」
「……今も、いろいろあって、ぼんやりしてても不労所得が入ってくる感じですし……」
「マジかよ……」
「そういう意味もあって、大企業の内定を蹴っても、俺的には、全然、気にならなかったんですよ。まあ―――親には勘当されました」
からからと凪は笑う。
「えっ? ちょっと……」
「ああ、大丈夫ですよ、達也さんのせいとかじゃないです。……それに、どうせ、家に居たとしたって、どこかの良い所のお嬢さんとかと見合いだとか、結婚だとか、いろいろうるさいですし。この令和のご時世で、なんで『長男だから家を継ぐ』って発想が生きてるのか、本当に理解が出来ないですよ」
大仰に溜息を吐く凪を見て、達也は、くらくらしてきた。良い所のお嬢さんと、見合いで結婚をして、継ぐような家を、凪は捨ててきたということになる。
「それ、実家に帰れなくなったって事だよな」
「ええ。どうせ、自分の性嗜好のせいで、あの人達とは合わないと思っていたので、丁度、良かったと思います。うちの会社は、実家とか、親戚とまったく関係がない会社なので。そういうのも全部ありがたいです」
実家を出ているのに、謎に不労所得があるというのが恐ろしいが、そこは聞かないことにした。語るべき時になったら、語るのだと思うし、達也は、そこまでは立ち入りたくはない。
「まあ、例えば、俺は、思うんですよ。働けるうちなら、無一文になったとしても、なんとか巻き返せるって」
「そのポジティブさがうらやましいよ」
例えば、凪は、給料日前に、銀行の残高を気にすることはないのだろうな、と達也は感じる。そういう人間は、多分、かなり、少ない。少数派の人間だと思う。
けれど、小さな会社に入社して、大企業とやりとりしたこともある達也は、思うのだ。
小さな会社にいたら、絶対に出来ないことが、大企業では出来る。プロジェクトの中心として関わることは難しいかも知れないが、すこし関わることは出来るだろうし、そこにアイディアを採用されるかも知れない。けれど、小さい会社では、その壁を越えることは出来ない。
山の頂上を目指すゲームだとして、中小企業のスタートなら、麓からのスタートかも知れないが、大企業の場合、中小企業の力を借りて、中腹か山頂近くまで連れて行って貰える。世の中は、そう言うものだと気付いてしまったとき、やはり、凪の進むべき道を間違わせてしまったのではないかと、達也は思わずにはいられなかった。