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第42話 最初の日


「なんで、興水さんとお酒飲みに行ったんです。あの人、達也さんに気があるんだから、そういう人と一緒に飲みに行ったら、オッケーだって思われるじゃないですか」

 凪が、低い声で言う。


「その時は、知らなかったんだよ」

「じゃあ、今は、興水さんが、達也さんのことを好きだって……ちゃんと知ってるんですね?」


 そうきたか、と思いつつ、観念して「まあ」とだけ返事をしておく。

 なにか言いたげに凪の口が動いたが、丁度店員が来たので、言葉は紡がれることはなかった。


 注文した料理が届いたのだった。フレンチフライと牛肉のステーキ、田舎風のパテ、生ハムとチーズの盛り合わせ。大体、達也と凪は好みが似ていて助かる。ワインは赤を一本。


 飲み過ぎると、セックスに支障が出そうだが、二人で一本くらいならば、だいたい適量だと思っているし、素面よりマシな気がしていた。


「あ、美味そう」

「うん、美味しいですよ」

「来たことあるの?」

「勿論です」

「ふうん……? それって、誰かと?」


 達也としては、少々の意趣返しのつもりだったが、凪は、そうは取らなかったらしい。


「えっ? 嫉妬してくれるんですか?」

「なんでお前に嫉妬しなきゃならないんだよ」

「俺と、誰かが食事に来て……誰かに、焼きもちを焼くとか」

 そんなの、凪のことを好きだというようなものではないか、と達也は溜息を吐く。


「なんで、お前の食事の相手に嫉妬するんだよ」

 きっと、と達也は思う。達也は、凪が、誰かとセックスをしていると聞いても、多分、嫉妬しないだろう。むしろ、ならば相手はそいつに頼めと、言うだろう。


「え? 嫉妬してくれないんですか? 薄情だなあ、達也さんは」

「別に薄情じゃないだろう」


 何を馬鹿なことを言ってるんだよ、と溜息を吐きつつ、ワインを飲んだ。昔は、ワインの味も良く解らなかったが、今は素直に美味しいと思う。社会に出て、こういう方面でも鍛えられてきたのだろうと思った達也だったが、(違う)と思い直した。


 違う。

(神崎さんと一緒に行った店で覚えたんだ……)


 神崎の語るワインのうんちくに耳を傾けながら、勧められるままにワインを飲むことがあった。概ね、都合の良いときに呼び出されて、都合良く身体を求められただけの関係ではあったが、ふと気まぐれに食事に誘われることもあった。


「達也さん」

「えっ?」

「……ワイン、どうかしました?」


「あー……いや、なんでもない。美味いワインだと思って」

「達也さんは、ワイン詳しいんですか?」

「俺は、どちらかというと、飲めればなんでも良いって言うタイプだよ」


「そうなんですか? なんか、大分、こだわりがあるような気もしたんですけど……」

 凪が、首を捻る。


「こだわりはないよ」

 多分、大方の事にこだわりがない。

 食べるものも、美味しい方が良いが、必ずそれでなければならないと言うこともない。付き合う相手にしてもそうだ。


「それより、食べよう。せっかくの肉が冷える」

「あ、はい……」

 焼き具合は、レアだった。ほんのりと血を滴らせる肉の断面は、なんとなく、生々しさがある。


「ところでさ」

 肉を食べながら、達也は凪に問いかける。


「なんです?」

「……今日、なんかの記念日なの?」

 凪を見やると、顔が、パッと赤くなったのが解った。


「……なんでですか」

「だって、いろいろ、理由付けて、良いホテルに泊まろうとしてるから」

「その……」

 凪が、顔を赤くしたまま、言いづらそうに口を開く。


「なんだよ」

「……笑わないでくださいよ。最初の時、声を掛けたのって俺の方からじゃないですか」

「あー、そうだな」

 仕事が忙しすぎて、とにかく、ガッツリ、セックスがしたかった。だから、体力がありそうな若い奴を探していたところだった。


「実は、声を掛けるかどうかずっと迷ってたんです。で、今日が、俺が、達也さんを見つけた最初の日だったんですよ」

「はぁっ?」


「二ヶ月くらい、ずっと、様子見してました。あと……リアルでSNS無いかなとか探してみたり。裏アカとか、持ってる人、結構いるみたいじゃないですか。だから」

 なにが、だからなのか、全く解らないが……。


「なんで俺?」

 思わず、とりあえず聞いていた。達也には、凪がこんなに執着する理由がよく解らない。


「……なんか、気になったんですよ。それまで、メッセージとかやりとりしたことはなかったですけど、アイコンとかプロフが気になって。SNSは探して、ちょっと見てました」

「ちょっ……会社の人間にSNS知られてるとか地獄過ぎるから辞めて貰って良い……?」


 さすがに会社の愚痴は書いていないし、仕事の不満を垂れ流していたわけでもない。


「たまに、ぽつっとポストしてるじゃないですか。……近所の川に桜が咲き始めたとか、道路にネズミがちょろちょろしてたから、大雨になりそうとか、なんか、そういうやつ。なんか、良いなって思ってたんですよ」


「恥ずかしいからやめて……」

 顔が、熱いのはワインのせいではないだろう。恥ずかしくて、頭を抱えたくなった。



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