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第41話 約束の月末


 なんで約束をしてしまったんだか。

 達也は、電話を切ってから、すこしだけ後悔していた。


(流されやすいのかなあ)

 なんとなく、否定出来ない感じがするのが情けない。本当は、ちゃんと断れば良いはずなのに、どうも、肝心なところで意思が弱い。身近なところでごちゃごちゃしたくないと言いつつ、流されていては駄目だろう。


 優柔不断さに苛立たしくなってくるが、いつものように上手く割り切ることが出来ない。


 いつもなら、すっぱりとワンナイトで後腐れなく離れていたはずだ。


(ああそうか)

 達也は納得した。

 凪のほうが、追いかけてくるから、振り切ることが出来ないのだ。単純に、そういうことだ。




 月末まで、仕事に忙殺された。

 神崎の会社との間での準備に時間が掛かる、というのもそうだったし、それに加えて、いつもの仕事もあるし、今まで仕掛けていた案件が、急に動き出したというのもある。


 身体が三つくらいなければ間に合わないほどの、とてつもない忙しさだった。


 月末、金曜日、ホテルも混んでいるのではないかと思いながらも仕事をしていたら、午過ぎに凪からLINEが入った。


『宿泊でホテル手配してます。下記で。』


 指定されていたのは、ラブホテルではなくて、高級ホテルだった。

 念のため、公式ホームページで確認する。アクセスを確認しただけだが、ついでに、部屋を確認して、価格を見なければ良かったと後悔した。一泊、十万。払えない金額ではないが、一月の生活費同等の金額には、正直、尻込みする。


『もっと安いところで良いだろ』

 会って、シャワーを浴びて、セックスをして、そして休むだけだ。このクラスのホテルならば、食事も付かないだろう。


『俺にとって、達也さんと会って過ごす時間は特別で、大切なモノなので、なんでも良くて適当なところでしたくないです。特に、今日みたいな日は』

 なにかあったかな、とは思いつつ『そんなに貴重か?』とだけ返しておく。


 間髪をおかずに『貴重です。……今日は、勝手に俺が予約したので俺が持ちますよ』と返信が来る。


『バカか、後輩に出させられるか』

 正直、懐は痛いが……、それでも、達也にも、意地がある。後輩に全部負担させるのは、なんとも、違うような気がする。


『なあ、今日ってなにかあるの?』

『別に、なにもないですよ』

 凪のメッセージは、そこで途切れた。仕事に戻ったのだろう。それは良いが……。


 高級ホテルで一晩過ごすとなったら、大体は、何かの記念日か何かだろう。別に、記念日になるような事はあっただろうか……と達也は首をかしげるが、解らない。


(凪と最初に会ったのは……、去年の九月だった。マッチングで出会って、その時は、まさか会社まで来るとは思わなかったので驚いたが……)

 今は、七月。


(そっか、まだ、七月かあ……)

 凪が入社してから、まだ、三ヶ月。達也の勤務する『佐倉企画』では、六月までの三ヶ月は、試用期間ということで、入社しても正式に配属される訳ではない。やっと、七月から、正式採用となる。


(あいつ、まだ新人なのに、もはや新人とは誰も思ってないよなあ……)

 それは凄いことだろう。凪と同期入社の新人たちは、まだ、先輩に言われるがままに仕事をしているはずだ。


(正式採用記念……、それとも、チーム発足記念……)

 よく解らない。


(ま、いっか。凪にちょっと聞いてみよう)

 とりあえず了承した旨、返答して、達也は仕事に戻った。




 夕食の予約もしてあるということで、すこし構えたが、夕食は、ごく普通のビストロだった。といっても、食事が美味しくてワインの種類が多い居酒屋というような感じの店で、隠れ家的な店だったが、人気店らしく、狭い店内は客で溢れていた。


 路地裏の突き当たり、小さな店だった。

「なんか、みんな、こういうちょっとしゃれた隠れ家の店とか知ってるもんなの?」


 興水と一緒に行ったコーヒーの店と言い、このビストロと言い、センスが良くて、こぢんまりした店を知っているので、すこし達也は焦る社会人としては、小洒落た店を知っているのは、必須なのだろうかと。達也の方は、こういうオシャレな店とは無縁だった。


 特に、凪などは、今年の新人だ。なぜ、こんな店を知っているのかと、聞きたくなる。


「達也さん、『みんな』ってなんですか?」

 凪の目が、す、と細くなった。


「えっ? あー、その、興水も、なんか、隠れ家みたいな店を良く知ってるからさ」

「達也さん、興水さんと、そういうお店行ったんだ。……それで、お持ち帰りされてないですよね?」

 真顔で聞く凪が、すこし、怖い。


「お持ち帰りはされてないよ……ってか、お前に、そんなことを言う必要もないだろう?」

「まあ……そうですけど。俺は、興水さんと、食事に行って欲しくないです。もし、興水さんがしつこく達也さんに誘うようだったら、俺が代わりに行きますから、言ってください」


「そういう問題なのかな……」

 とは思ったが、たしかに、面倒なときに誘いを断るのは、しんどい。凪に押しつけてしまっても良いかもしれない……と考えて、(ダメだろう)と、思い直した。



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