「あなた、佐倉企画の人ですよね。水野凪につきまとっている」
コーヒースタンドで声を掛けられた達也は、驚いて後ろを振り返る。見たこともない人物がそこに居た。小柄で、眼鏡を掛けている。学生かと思うほど若い。服装もカジュアルなので、本当に学生かも知れなかった。
「つきまとってる……って」
どちらかというと、自分の方がつきまとわれているような気がするんだけどなあとは思ったが、面倒な事になりそうなので、口には出さないでおいた。
「しらばっくれるつもりですか?」
詰問の口調に、少々腹が立った達也は、ムッとしながら彼に問う。
「あなたは誰なんですか」
「僕のことはどうでも良いでしょう?」
「じゃあ、俺のこともどうでも良いでしょう?」
そのまま、ドリンクを受け取って会社に戻ろうとすると、「逃げるんですか!?」と怒鳴られた。
「一体何なんですか? 急に因縁付けてきて」
「あなたが、水野凪につきまとっているからですよっ! ……恥ずかしくないんですか!? 大学生のころからずっとつきまとったりして」
どうすれば、そういう発想になるのか解らないが、目の前の男の中では、達也が凪につきまとっているというストーリーになっているらしい。
「事実でないことを公然と言われるのは心外ですね。それと、あなたは初対面の相手に、一方的にこういうことを言うのは、どうなんですか?」
「だからっ! 逃げるんですかっ?」
「逃げるもなにも、あなたの相手をして居られないと言うことですよ。……だいたい、あなたは、水野さんのなんなんですか?」
水野さん、という言い方に、なんとなく、歯茎が浮くような、妙な感覚を覚える。
出会ってから、大体、凪、と呼んでいる。水野、はなんとなく、言いづらい。
「僕は、水野君の……」
とまで呟いた彼は、顔を真っ赤にして、口ごもってしまった。
(なんだこれ……)
その時、目の前の男が、ある企業の紙袋を持っていることに気が付いた。ソラリス・コーポレーション。テレビのCMを見かけるような超のつく大企業だった。
「ん? もしかして、ソラリス・コーポレーションの社員?」
社会人、だとしたら今年の新人か。ならば凪とは同い年と言うことになるだろう。
「っ……なんで……」
「会社の紙袋抱えて、大声出してれば気が付きますよ。……で、俺は、ソラリス・コーポレーションさんに、苦情の電話でも入れれば良いですかね」
「そ、それはっ……っ!」
目の前の男は、黙り混んだ。テイクアウトで注文してしまった手前、店内の利用は出来ない。仕方がないので、目の前の男が注文したドリンクが届くのを待って、外へ出ることにした。
近くには、ちょっとしたベンチがあるのを思い出したからだ。
ベンチに並んで座って、ドリンクを飲む。どうにも、微妙な光景だった。
「……あの、会社には……」
ぽつぽつと、男は言う。
「社会人の先輩から言わせて貰いますけどね。外で、勤務先のアイテム持って、大騒ぎとかは、絶対に止めた方が良いですよ。……今、動画とかアップロードされてたら、すぐさま特定されますからね」
男の顔色が変わった。
達也は名刺入れから名刺を取りだして、「佐倉企画の瀬守達也です」と男に手渡す。男は、すこし躊躇ってから、「ソラリス・コーポレーション。企画研究開発事業部、研究員の遠田昭平です」と名乗った。
「研究員?」
「……うちみたいな大企業だと、研究所を持ってるんです。製品の企画だけじゃなくて、もっと、基本的な所を研究してたりしますよ」
「へぇぇぇ」
縁の無い世界だなあとは思った。そして。達也の職種的にも縁遠い。達也の仕事は、商品やサービスを周知する為の会社だ。だが、この遠田昭平の部署は、そう言うこととは無縁だろう。商品の卵のようなモノを作っているに違いなかった。だとすると、達也たちには手出しできない。卵から作られた何かを宣伝するのが、達也の仕事だ。
「それで、あんな大企業の、研究職って言ったら、かなりのエリートじゃないか。なんで、そのエリートが、あんな大声出してたんだよ」
「その……」
と小さく呟いてから、「水野凪につきまとうのは、止めて欲しい」とだけ小さく呟いた。先ほどまでの威勢はどこへ行ったのやらとは思ったが、主張は変わらないらしい。
「つきまとわれてるのは俺の方だよ」
溜息交じりに言うと、遠田は顔をパッと上げた。
「えっ?」
「どこまであいつから聞いてるか知らないけど。あいつが大学の時に一回知り合って、それで終わりだと思ってたのに、あいつ、俺の会社を調べて、入社してきたんだよ。そんなの、怖いだろうが」
「そ、うだったんですか……僕は、急に、水野が、うちの会社を蹴って、小さな会社に行くって言い出したから、変な男につきまとわれているんだと思ってました」
「なんか、整合性がとれない話だが……」
と言ったところで、達也は気が付いた。凪が蹴った会社というのは、このソラリス・コーポレーションだ。どういう部署だったかは解らないが、華々しく活躍していれば、世界を舞台に活躍できるような会社だ。
「急だったんです。……去年の、もう内定式も終わって、準備万端って言うときに、水野は、急に、『運命に逢った』って言って、全部キャンセルしたんです。だから、悪い奴に引っかかったとしか思えないじゃないですか」
「運命、ねぇ……。俺なら、ソラリス・コーポレーションに合格してたら、そっちの方の運命を採用するけどなあ……」
「そうですよね? ……だって、佐倉企画さんと比べたら、生涯年収、倍以上違うと思います。水野は、だから、もったいないですよ。だから、水野が出会った人に騙されて、舞い上がっているだけなんだと思っていたのに、本当に、入社まで蹴ってしまうなんて……」
がっくりと、遠田は肩を落とした。本気で心配しているのは解る。
「遠田くんは、水野の友人なの?」
「えっ?」
顔を上げて、それから、その顔が、赤くなった。耳まで赤くなって、眼鏡の奥の眼差しが、うるっと潤んだ。
「………恋人、だと、僕は思ってました」
聞かなきゃ良かった、と達也は、反射的に思った。何故、こんなことを聞いてしまったのか……。
「あー……」
「……でも、水野の運命の人は、僕じゃないんです」
やばい、と思っていたら、遠田のまなじりから、涙が一筋こぼれ落ちていった。