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第24話 凪vs興水


 興水に指定されたのは、エスニックな雰囲気のある居酒屋だった。スパイシーな香辛料の香りと、甘ったるいお香の薫りが漂っており、シーシャも楽しめるという。


 壁龕へきがんに席がしつらえられて、薄絹のカーテンを閉ざすことの出来る半個室だ。


「……俺と会話するには、距離が近いんじゃないですかね」

 席は、やや狭い。

 密着するほどではないが、身体は触れている感じだった。


「お前相手だったら、どこでも良かったんだが……こういう店なら、いくらでも知ってるって事を教えておいた方が良いと思ってさ」

 興水が、耳元に囁いてくる。


「そのまま、ヤっても問題ない店も、沢山あるよ」

「昨日は、達也さんのこと、お持ち帰りしたんですか?」


「さあて」

 くすくす、と興水が笑う。ならば、二人の間にはなにも『なかった』と、凪は思った。


「達也さんは、目下の所、俺のなんですから、ちょっかい出さないでくださいよ」

 食事も注文しないうちに、凪は本題に切り込んでいった。

 長居はしたくない。


 興水は「せっかちだなあ」と笑った。


「あなたと一緒に居たって、別に、なにも愉快なことなんてないですからね。ただ、達也さんは、俺のなんで、手を出してくるようなら、俺も、いろいろ考えますよ」

「俺の、ね」

 興水が、凪の手を取った。


「ちょっと、放してくださいよ」

「……おまえ、あの出張の日、あいつと寝たの?」

 聞かれるとは思っていた問いだった。だが、馬鹿正直に答える義理もない。


「そりゃあ、誰かさんのせいで、ベッドは一つでしたから、一緒に寝ましたよ……というか、最初っから、そっち目的で、達也さんのこと、出張に連れ出したんですか?」

 興水は、はぁっ、と溜息を吐いた。


「ったく、既成事実を作ってやろうと思ったのに」

「……そんなのに、あの人、ほだされませんよ」


「まあな、マッチングアプリで、頻繁に男と会ってるみたいだし」

 と言いながら興水はチッと舌打ちして、先に注文していた、ハイボールを一気に飲み干した。


「ちょっと……」

「あいつが、他の男の手でイカされたり、あんあん言わされたりしてるのを想像しただけで、凶暴な気分になる」


「……俺が、あの人と寝てるって言ったら?」

 好奇心で問いかけた瞬間、息が出来なくなった。


「っ……っく……っ」

 首を、ぐいぐいと絞められたのだった。


「……俺がお膳立てして、お前が、あいつをほしいままにしたって?」

 声が、低く、揺れていた。眼差しは、焦点が合っていないようで、凪は、慄然とする。本気だ、だが、席は薄絹のベールで隠されている。


「っ……っ!」

 苦しい、と呟いたのをきいて、興水が正気に戻ったようだった。パッと凪を放した。


 急に空気を吸えるようになって、凪は思わず咳き込む。


「……っスマン」

「スマンって……あんた、これ、出るとこ出たら、殺人未遂ですよ」

 咳のしすぎで涙目になりつつ、凪は言う。とりあえず、興水は、溜息を吐いた。


「……あいつの事をかんがえると、ダメだ。過去にマッチングアプリで出会って、あいつと寝た人間を片っ端から殺していきたくなる」


「剣呑な事を言わないでくださいよ……はあ……」

「あいつには言うなよ」


 とりあえず、凪は、興水のこの負の感情が、達也にではなく相手の方に向かうというのは確信したので、それだけは安堵した。もし、興水が、達也に危害を加える危険があるならば、達也の意見は無視して、別な会社に一緒に再就職するところだった。


「……コントロール出来ないんだ」

「とりあえず、俺としては、達也さんに危害が加えられなければ良いです。あの人の意思とは無関係に、強姦とかしたり、傷つけたら、あなたのことを社会的に抹殺しますからね」


 今の所、方法はないが、絶対にそうしてやる、と凪は心に誓う。


 興水は、微苦笑してから「ああ、それは勿論」と請け負ってくれたので、信じることにした。あと、は、達也に病的な愛情を向けるより、すこし、興水の感情をこちらに向けさせた方が良いだろうかとは、凪は少々思案する。


 どちらが良いか、今の所、よく解らなかった。

 だが、あとで知るよりは、今の方がましだろうとは思う。


「ねえ興水さん」

「なんだよ」


「俺、あんたに殺されるかもね」

 笑って見せると、興水の顔が引きつった。言いたいことは伝わったらしい。


「おま……まさか……」

「……そう。俺ね……あの人と、何回もしてるよ。最初は、大学の時。マッチング。それで忘れられなくてここまで追いかけて来たんだ。それからも、何度も。勿論……この間の出張の夜も」


 興水の顔から、血の気が引いて行く。

「お……まえ……」

 声にもならないようだった。


「俺もね、達也さんが、他の誰かに触られるとか、イヤらしい視線で見られてるなんて、冗談じゃないっていうくらい、腹が立つんだよ。あんただけじゃないって言うことだよ、興水さん」


「クソッ……っっ!!!」

 興水が、自分の膝を殴りつける。本当は、それは凪を殴りつけたかった拳だろう。


「……最中の達也さん、すっごい可愛いんだよ。でも、興水さんには、絶対に見せてあげない……あの人は、俺のモノなんだから」

 凪が言い終えて帰ろうとしたところで、興水が笑った。


「お前のモノ?」

「そうだよ」


「……まさか。あいつは、まだ、昔の恋愛を引き摺ってるよ。それから、まともな付き合いはしてない。お前もただの遊び相手だよ」

 それは、真実だった。凪の胸が、ズキリ、と痛む。氷の矢で射られたように、冷たく、冷えていく。


「お前は、昔の恋愛の事なんか聞いてないんだろ? 所詮遊びなんだから、せいぜい、飽きられるまで、楽しめば? ……あいつの事情も、全部分かった上で、ちゃんとあいつと付き合えるのは俺くらいだよ」


 なぜか勝ち誇ったような顔をしてあざ笑う興水を、苦々しい気持ちで見やりなから、凪は咳をあとにするしか無かった。


 喉に、手をやる。

 そこが、うっすら、鈍く、痛かった。



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