朝一番、達也に挨拶しに行こうと思っていたら、達也が興水と一緒に出勤してきたとのをみて、凪は、気が気ではなかった。
(なんで、昨日食事に行って、それから、一緒に過ごしていたとか……?)
たしかに、昨日、達也の部屋には電気が付いていた。
―――けれど、防犯の為に時間が来ると電気を付ける家もある。
達也の防犯意識が高い場合は、そういうこともあるだろう。
(二人きりで食事をして、二人で、一緒に過ごして、仲良く出勤して……)
と思ったら、居ても立っても居られなくなった。
書類は別に今日でなくても良かった。
『急がないから、見積書と契約書のサンプルを送って貰えるかな』
人好きしそうな小太りの社長は、そう言ってニコニコしていたはずだった。その書類を瞬く間に終わらせて、達也に提出に行く。
「瀬守さん、これ、書類チェックよろしくお願いします」
いつも通りの笑顔で、隣に行く。けれど、腹の底が、じゃりじゃりした不快感があった。昨日の痕跡を、達也から探す。なにも見当たらないことにホッとしたが、達也から、興水の薫りでも感じたら、なにをするか、自分でもよく解らなかった。
「ああ……いつまで?」
達也がぼんやりと問う。
「先方、結構せっかちな人なので、なるはやだと助かります」
別にそんなことは言われていないが、なるはやで、達也ともう一度会話する機会が欲しかった。
「わかった」
なるはや、なるはや、と呟きながら達也はインプットボックスに書類を入れていく。変わった点はなかった。
「あ、そういえば、昨日、興水さんと一緒じゃなかったですか?」
思わず、聞いていた。なにを言われるか解らなくて、手のひらが汗ばむ。
「ああ、この間の出張の慰労会だとさ」
達也は、別に気にした風もなく、さらりと言った。別に、何もなかったのかも知れないとは思って拍子抜けしたが、それならば、すこし、場を和ませる必要があるとは思った。
「えーっ?」
「なんだよ」
眉を顰めた達也は、うるさそうに凪を見やっている。
「だって、その出張って、俺が興水さんの代理で行ったヤツですよね? だったら、俺も呼んでくれたって良いじゃないですか~」
なかなか、上手い言い訳のような気がした。また、今度、興水と達也が一緒に食事に行くのは、絶対に嫌だった。二人だけでは行かないで欲しい。
「あー、たしかに。……興水が予約してくれたから、俺も詳細は分からなかったんだよ。でも、確かに、お前も一緒にいく権利があるよな。うんうん、もし、今度興水から誘われたら、お前も誘うよ」
達也は、凪の切なる気持ちなど気付かないようで、うんうんと頷きながら言う。
「あっ、本当ですか? 期待しますよ!」
食い気味に反応すると、達也が苦笑した。
「うん、興水は俺らが知らないような店を知ってるだろうから」
「わー楽しみ!」
「人数は多い方が良いしな。慰労会なら、なおさらだな」
「じゃあ、今度、絶対に一緒に行ってくださいよ」
やったー、と大仰に喜ぶと、周りから、くすくすと笑い声が聞こえた。その微笑ましい雰囲気の中、凍てつくような視線を感じて、とっさにそちらを見やると、興水がこちらを見ていることに気が付いた。
(興水さんとは、一回、サシで話さないと)
なにか、きっかけはないだろうかと思っていたが、結局、仕事上の接点がそれほど多くないので、良いきっかけが掴めなかった。
(まあいいや、当たって砕けろだ)
凪は、笑顔を装備してから、興水の席へ向かう。ここから先、興水の予定はチェック済みだ。今日は、定時まで用事は無い。
「あ、興水さん。今、ちょっとよろしいですか?」
興水の席まで行くと、彼は、顔を上げた。
「ああ、大丈夫だよ」
「あ、この間の出張の結果って、どうなったのか気になっていて……。どんな感じでしょうか」
「それなら……そうだな、ちょっと、まだ、就業時間だと話しにくいから、定時後時間あるかな?」
にこり、と興水が笑う。けれど、目が笑ってない。
「わっ、興水さんとご一緒できるの、嬉しいです。どこか、お店予約しますか?」
「あー………そうだな、いや、俺が予約するよ。水野は、何か苦手なモノとかは?」
スマートフォンを取りだした。会社のものではない、私物のスマートフォンだった。
「いえ、俺、なんでも食べられます。椅子とテーブル以外」
「悪食だな」
「ええ。……でも、安心してください! 俺、食い尽くし系男子とかじゃないので」
ぴくり、と興水の眉が動いた。
「食い尽くし系男子」
「そうそう。最近、多いらしいじゃないですか。人のお皿の上に乗ってるモノまで食べ尽くしちゃう男子っ!」
にこっと笑う。牽制されているのは気が付いているらしく、興水は「そういう、浅ましい人間にはなりたくないものだけど……意外に、食い尽くし系男子って、自分が食い尽くし系男子って解らないらしいよね」と受けた。
(これ、もしかして、自分の方が前から目を付けてたっていう意味?)
どちらにせよ、興水は受けて立ったという意味だ。
「そうなんですね。……それはそうと、興水さんって、いろいろお店を知ってるって聞いたから、ちょっと楽しみにしてますね!」
と受けて、それでは失礼しますと告げて退散することにした。
興水は、スマートフォンを操作して、店の予約を始めている。
どういう店に連れて行かれるか解らないが、興水の『ホーム』に近い場所だとしたら、すこし用心しなければとは、凪も解った。
(あの人……絶対、達也さんの事狙ってる)
これは確信だった。
だから、おそらく、あの出張の日、同じ部屋、同じベッドの上でナニがあったか、気にしているはずだった。
(素直に教えてあげる? それとも、教えない……?)
どちらのほうが、興水は嫌がるだろう。ここから先は、駆け引きだ。達也は知らない間に、達也を巡ってされる駆け引きだ。
(絶対に、興水さんには負けない)
そう、誓いながら、凪は拳を強く握った。