住宅街にある小さな公園でタクシーを降り、そのまま歩いて店へと向かう。
周りは、いかにも古ぼけた住宅街という感じで、電気もまばらだし、静かなものだった。時折、夕食の匂いや、バスルームから石けんの匂いがしてくるのを感じると、すこし、人の生活を感じてホッとする。
「こんな所に、店あるの?」
「うん、それがあるんだよ……この先の白い家」
興水が、指さす。
陸屋根の、白い小さな一軒家だった。しかし、看板もなければ、ドアも開いていない。
「隠れ家というより、人ん家だな」
「はは、違いない……まあ、びっくりするよ」
どちら方向にびっくりするのだろうか、少々怖さもありつつ、店へと向かう。近くへ来ると、ドアが開いた。
「え、なにこれ」
「予約の時間になったからでしょ」
それはそうだが、なんとも言えない気分になる。
「これ、女の子だったら、びっくりするだろうな」
「なんで?」
「女子って、サプライズ好きそうだなと思って」
興水は、ややあって、ぽつりと呟く。
「女の子は連れて来たことはないよ」
「えっ?」
しかし、恋人を連れて来たことがあるというような話ではなかったか……。そこまで言いかけて、ハッとした。
(え、まさか、同類?)
驚いて、興水を見やる。興水と目が合った。
「瀬守も、そうだと思ってたけど」
明確な言葉がないまま、確信に触れていく。そのやりとりに、達也は、動悸がする。気付かれているとは、思わなかった。
「……本名でマッチングしてるとも思わなかった。普通、隠すでしょ」
スマートフォンを取りだして、画面を見せる。
ゲイ向けマッチングアプリの、達也のプロフィールが表示されている。
「ちょっ……」
「隠れ家レストランだから、詳しい話は中で聞くよ。一日一組限定なんだ」
興水は、淡々と呟いて中へ入って行く。そのあとに続いた達也は、店の中に入って、驚いた。照明は控えめで、ムードがある。席は、並んで座ることが出来るようになっていたが、距離が近い。
壁際に長椅子と小さなテーブルがあるくらいだった。小さな部屋だったが、特別なひとときを過ごすのには、もってこいという場所だった。
(さすがに、こんな、デートみたいな場所だとは……)
帰ろうとして踵を返そうとしたら、手首を掴まれていた。
「……話を聞きたいんだ」
マッチングアプリの件なのか、よく解らない。だが、振り払おうとしても、手は、離れなかった。
「……なんの話だよ。俺には、話なんかない。こういう方向の話なら……」
興水は、達也の手首を掴んだまま、壁へ座る。程なく、何も聞かずに、店員が現れて、すっとシャンパーニュを置いていった。グラスが二つ。そこへ、黄金色のシャンパーニュが注がれている。美しい色だった。
「まずは、乾杯しようよ」
興水が笑ってグラスを掲げる。達也も、一つ舌打ちをしてから、同じような動作をした。
辛口のよく冷えたシャンパーニュは、美味だったが、味わっている場合ではなかった。
「……いつから気付いてた?」
「……その前に、俺の話をするね」
興水は、一口、シャンパーニュを口に含む。「まずは、俺が、瀬守に一目惚れしたのは、入社前。……ほら、研修があったでしょ? ビジネスマナーの……。あの時だよ」
「はあっ!?」
初耳だった。まさか、そんなことを言われるとは思ってもみなくて、つい、引け腰になる。
「一目惚れって……」
「そこから、ずっと、慎重に機会を窺っていたわけだよ。おそらく、瀬守も俺と同じだろうとは思っていたから……。だけど、意外に時間が掛かった。社会人で、部署違いって、意外な交流できないのな。ちょっと、誤算だったよ」
交流の機会を、こしたんたんと狙っていたと言うことだろうか、そう思うと、ぞっとする。
「……じゃあ、この間の出張は……」
「ダブルは、もちろん、わざとだよ。……瀬守は、マッチングに登録するくらい、遊び相手が欲しいみたいだし……そういう意味なら、俺でも、問題は無いだろ?」
興水はにこり、と笑う。思わず、ぞっと寒気がした。
「じ、冗談じゃないっ……!」
「なんでだよ」
「俺だって、選ぶ権利は……」
あるだろうと言おうとしたところで、店員が「前菜でございます」と料理を運んできた。桃とチーズのサラダ仕立てのようだった。カットしたよく熟れた桃。その真ん中に、真っ白い巾着型をしたブッラータチーズが置いてあり、ミントの葉と、オリーブオイル、ローストした胡桃が掛けてある。美味しそうだな、とは思って一瞬気を取られたタイミングで、ぐい、と腰を引き寄せられた。
「っ!!」
「……水野凪とは、ヤったんだろ」
耳元に、甘く囁かれて、腰が、ぞくっと震える。
「……っそ、そんなことより……前菜……っ。それに、ここは、店なんだろっ!」
「……なんなら、宿泊も出来るけど?」
くすっと耳元で興水が笑う。熱く、濡れた吐息が耳朶に掛かって、腰が騒ぐ。
「……お前……っ」
「……わざわざ、日帰りでも良さそうな出張を、宿泊で手配したっていうのに……、後輩に食われて、こっちはお預けとか、ちょっと、気分が悪かったんだよ」
耳に、ちゅっ、とキスをされた。
「っ!!!」
「……あ、思った通り、敏感でいいな……。なんか、遊び回ってる割に、手慣れてなさそうなのも、中々、そそられる」
舌なめずりしそうな声音で、興水が言う。
「っ……お前っ……っ俺にだって、相手を選ぶ権利くらいあるだろっ!?」
必死に胸を押し返しながら、達也は叫ぶ。
「……水野凪が、気に入ったんだ」
「べ、べつに……そういうつもりは……」
「そういうつもりが無かったら、どういうことなの? 誰でも良いんじゃなければ、あいつが良いって事だろ?」
それでなければ、と興水が耳元に囁く。「俺だって、遊び相手には良いだろ? ……俺、結構上手いよ?」
腰が、ぞくぞくと震えた。
「……上手いとか、そういう問題じゃなくて……」
「なんだよ」
「……近場で、ごちゃごちゃするのなんか、勘弁なんだよ……っ!」
興水をなんとか突き飛ばして、達也は、離れる。
よく解らなかったが、とりあえず、荷物を持って、店を飛び出す。興水が何かを叫んでいるようで、それだけは近所迷惑だと思ったが、とりあえず、そのまま放っておいた。
地図アプリを起動して、場所を確認する。
ここへ来た時の駅より、次の駅の方が近かった。それでも、歩いたら三十分くらいは掛かりそうだったが、一人で頭を冷やすのには、丁度良い時間かも知れなかった。
(あいつが、ずっと、俺を好きだったとか、全く知らねぇよ……っ!)
しかも、ヤる気満々で、出張の手配をして居たというのだから、驚きを禁じ得ない。
(職権濫用じゃないか……)
と思った時、はた、と気が付いた。もともと、これは、会社の金の出ている出張ではなかった。自主的に、興水が企画したことだった。会社の金で……という批判を避けるための行動は、最初から行われていたと言うことだろう。
用意周到さに、苦笑しつつ、さらなる面倒が湧いて出たことに、達也は、大仰な溜息を吐いた。