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第10話 本気だった


 部屋は、広々としたビジネスホテル、という印象だった。けれど、良く見れば寛いだり書き物をする為の、小さなテーブルと椅子が用意されていたり、バスルームとシャワールームは分かれていて、脱衣所もあった。


(あ、ここ、凄く良いお部屋なんだ……)

 一泊するのに幾ら掛かるのかよく解らないような、場所であるのは解った。インテリアもヨーロピアンスタイルで、洗練されている。神崎には、よく似合う、となんとなく思った。


 ベッドまで神崎を連れて行き、

「お水、呑みますか?」

 と聞くと「すまないね。お願いするよ」と言われたので、冷蔵庫を探す。冷蔵庫は、すべてフリーになっていて、水やお茶、ビールや小さなワインまであった。水とカップを持っていくと、神崎は、ベッドの上に横になってぐったりしている。


「本当に、調子が悪いなら、お医者さんに来て頂いた方が……」

 多分、ホテルにもドクターがいるはずだ。どこまで対応してくれるかは解らないが……とルームサービスを頼むために電話に手を伸ばしたら、その手を、掴まれた。


「大丈夫」

 神崎はそう言うが、気が気ではない。


「まあ、最近、すこし、寝不足だったんだ……すぐに寝るよ」

「そ、そうですか」


「なんなら、寝るまで付いていてくれるかい?」

 冗談だかなんだか解らないような事を、神崎は言う。


「その方が良くお休みになれるのなら、そうしますけど」

 達也が言うと、神崎は面食らったように目を丸くして瞬かせた。


「ははは、君、そんなに善人じゃ、社会人なんてやっていられないよ?」

「えっ?」


 急に笑われた理由が分からなくて、達也は戸惑う。その、達也の手を引き寄せ、神崎は、達也をベッドの上に組み敷いた。この段になっても、達也は、我が身に何が起きているのか、完全に理解はして居なかった。


「ちょ、ちょっと……神崎さんっ?」

「……お前さ、男は初めて?」

 先ほどまでと、神崎の表情がまるで違う。善良なサラリーマンの顔が、完全にそぎ落とされて、凶暴な獣のように見えた。


「な、なに言って……」

「俺はさ、どっちでも良いんだよ。……でも、どちらかというと、自分に利があることしかしたくない。だけどさ、お前、って、なんか、ヘンに男を誘ってるみたいな感じがあるんだよ」


「し、知らないですよ、そんなの、神崎さん意外に言われたことは……っ!」

 甘く、低い声に、腰のあたりがざわざわしてくる。逃げなければと思うのに、上から押さえつけられていて、些細な抵抗にもならない。


「神崎さんっ!!」

「……お前って、そういう、雰囲気があるんだよ」


 一体どういう雰囲気だよ、と抗議の声を上げたくなったが、口で塞がれてしまって、声も出せない。


 そのまま、口腔内を舌で嬲られ、なんとか神崎の胸を押し返そうとするが、それすら出来ない。うまく、力が入らなくなってしまった。


「へぇ、結構慣れてない感じなんだ……俺ねぇ、そういうの大好き」

 今まで、僕、と言っていたはずなのに、急に、一人称が俺に変わっている。別人のように、神崎は手際よく達也を追い詰めて、求めた。


「達也くんだった? ……ん、キスも上手だよ。気持ち良いでしょ、俺たち、相性良いんだよ、こうやって出会えるなんて、運命みたいだね」


 耳元に、甘く甘く囁かれる、毒。

 快楽に朦朧としている思考は、たやすくその言葉を受け入れてしまった。


 与えられて、甘やかされて、ふわふわした絶頂感を味わっていると、思考が麻痺する。


「男は、初めてなんだよね。他の男としないでね。ほら、ここ、わかる? 指、気持ち良い? 上手に感じてるね? うん、良い子。凄く、上手だよ、ちゃんとならせば、コレも入るからね? ……達也は、才能あるよ。凄く、エロくて可愛いよ」


 後ろを探りながら、甘い言葉を注ぎ込まれる。

 絶え間なく与えられる言葉と快楽を浴び続けて、気が付いたら、自分から、快楽を求めて動くまでになった。


 朝、神崎の腕の中で目覚めた達也は、精液や唾液などで汚れた部屋の惨状よりも、運命の恋人に愛されているという心地よさに目がくらんでいた。




(あれは……本気だったんだよ……)

 そして、あの最初の日の行為は、殆ど、調教に近いようなモノだった―――と、今ではよく解る。甘い言葉と快楽を同時に与えられ、思考を誘導され、意識が混濁したところで、従わされる。すべて、神崎の思う方向に誘導されていたのだと解る。


 けれど、何にも知らない達也は、本気だった。

 たとえ、神崎が、遊びだったとしても……。


 ベッドの上で寝返りを打つ。急に、覚醒してしまって、目が冴えていた。時計を見やれば、午前二時を回ったところだった。酷いときだと、仕事をして居る時間だったし、そうでなくても、勉強をしている時間だった。


「……恋愛は、面倒だ……」

 それは偽らざる、達也の本音だ。

 恋愛は面倒。

 ストレス解消の運動的なセックスならば、後腐れのない相手と、後腐れなく楽しめればいい、そこに、余計な感情は要らない。


(本気になったって、仕方がないんだから……)


 神崎とは、かれこれ、二年くらい続いたと思う。週に何度か、呼び出されて、セックスをするだけの関係。デートをしたこともない。けれど、何故か、あの時の達也は、自分は神崎の特別なんだと信じて居たし、デートをしないのも、仕事の面で誰かに関係がバレたら不都合だから……と思い込ませていた。


 必死に見ない振りをして生きていた。

 すべてが壊れたのは、ある日の事だ。クリスマス近くの、冬の町で、神崎は左手の薬指に指輪を嵌めていた。そして、傍らには長い髪の美しい女性。そして、神崎の腕の中には、可愛い男の子がいた。五歳くらいだろう。


『パパ―、クリスマスは一緒だよね?』

『最近、パパ、凄い忙しいから……』

 女性が眉を顰めながら言う。


『何言ってるんだよ、クリスマスと誕生日は、絶対に家族で過ごすって、決めてるだろ!』

 神崎が、見知らぬ顔で笑っている。


 それを横で聞きながら、達也は、むなしい気持ちになっていた。達也もクリスマスは神崎と一緒に過ごしたいと、言っていた。けれど、『その日は、出張が入っているんだ。新プロジェクトの件でね……』と、苦笑された。


 指輪をしていることなど、知らなかった。

 恋人だと思っていたのは、達也だけだと、急速に理解して、死にたくなるほど恥ずかしかった。 



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