神崎との出会いは、会社絡みの会合だった。
大口の取引先から呼ばれて、会合の案内状を作成したり、事業案内の動画を作ったり、会場内の様々な手配を行った。その関係で、会場の受付係を安請け合いしたのが、始まりだった。
開場して、会合が始まってしばらくした、客足の途切れた頃、神崎は現れた。
「遅れました。神崎です」
名刺を預かり、名簿にチェックを入れる。取引先の、管理職だとわかった。
「どうぞ」
と名札を手渡す。
「遅れた手前、目立たないように入りたいんだけど、なにか、ないかな」
スラリとした長身、整った顔立ち。怜悧な眼差し。どれをとっても達也の好みで、どぎまぎしつつ、式次第を確認する。
「どのタイミングまでに会場にお入りになりますか?」
「そうだなあ、新任の、プロジェクト担当の発表があるんだ。それがメインでね、だからそこまでにはなんとかしたい」
「かしこまりました」
と受けつつ、式次第に目を走らせた。今が、主賓挨拶。このあと、乾杯があって、来賓の挨拶がある。そして様々な近況報告があったあと、新プロジェクトの概要説明になるはずだった。
「いま、こちらの主賓のご挨拶になっております。乾杯の際には一度、皆様ご起立いただきますので、このタイミングが、一番紛れやすいかと思います」
「へえ。ありがとう。そうだ、名刺交換させてくれないかな。僕は、海外事業本部の神崎です」
スッと名刺が差し出される。達也の方は、焦ったせいで、なかなか名刺入れから名刺が出ない。
新人で配属されて、ろくに名刺交換をしたこともない。それが、得意先の会合……しかも、大きなホテルの一番格式が高い大広間で行われるものなど、参加したこともない。焦って指が震えた。
「今年の新人さん?」
「は、はいっ!!」
一目で新人とわかるのは、少し恥ずかしい。いかにも物慣れない、一生懸命な様子だったのだろう。
「佐倉企画さん。僕の部門とはあまり縁がないかもしれないけど、何かのタイミングでは、力を貸してね」
にこりと、神崎は微笑む。社交辞令かもしれないが、嬉しかった。
「じゃあ、またね」
その時は、それで終わると思っていた。
新プロジェクトのリーダーとして華々しく登壇する神崎の姿を遠巻きに見ていると、遠い世界の人のように思えて、もらった名刺がきらめいて見えた。
表舞台で華々しく活躍する人に対して、裏方の、受付係という自分が、少し悲しくなって来た頃、異変があった。
豪華なドアがほんの少し空いて、そこからよろけるように人が出てきたのだった。
「あっ……!」
神崎だった。気分が悪そうだ。思わず駆け寄る。
「神崎さん、大丈夫ですか!?」
神崎は弱々しく頭を振った。
「少し気分が、悪くてね……どこかで休めないだろうか」
弱々しい声が、聞こえて達也は動揺する。誰か、体調不良で倒れそうになるなど、考えたこともなかったからだ。
「大丈夫ですか? ちょっと待ってください……」
とりあえず、人目に触れないところまで移動して、神崎のネクタイを緩める。介抱するときはそうすると、習ったのを思い出したからだ。神崎が、視線を投げたのがわかった。それを無視して、ホテルのフロントへ電話をかける。
「すみません、今、上の階で会合に出ているものですが……、一人具合が悪い方がいらっしゃいまして……」
連絡するとすぐホテルの人が対応してくれることになった。ホッとしながら待ちつつ、神崎の、ようすを見る。
顔色が悪い。
「情けないな。寝不足でちょっと乾杯したらこの有り様だよ」
自嘲気味に笑う美貌が、ひどく青白い。
「神崎さま、タクシーを手配いたしましょうか?」
ホテルマンが現れて、神崎に提案する。自宅か、病院かに連れて行こうと言うのだろう。神崎の顔を見て名前が出てきたのは流石だった。
けれど、神崎はその提案を断った。
「部屋に空きがあれば、一泊できないかな。すぐにでも横になりたくて」
ホテルマンは少々焦っていたが、すぐに「かしこまりました。ではすぐにご用意いたします」と受けて、一度立ち去った。
「神崎さん、大丈夫ですか?」
「ああ、済まないが……僕の会社の人間に、僕はもう帰ったと伝えて貰えないかな。新プロジェクトの発表直後だというのに、体調を崩したとは、知られたくない」
「わかりました。急用でお帰りになったと伝えて来ます」と、達也は駆け出す。
神崎の会社の重役たちに、神崎が帰った旨を伝えると「まあ、あいつも忙しい男だからね。君もご苦労さま」と労われて、恐縮した。
重役たちに告げて回ったあと、神崎のもとへ向かう。ちょうど、部屋が用意できたところで、ルームキーを受け取っていた。
「あ、神崎さん。重役の皆様には告げてきました。あと……もし、お嫌でなければ、お部屋まで、ご一緒します。肩くらいでしたら、お貸しできますので」
そう告げると、神崎が笑った。
「君は、素直でいいね。君みたいな真っ直ぐさは、すぐに失われるから貴重だよ。じゃあ、お言葉に甘えようか」
神崎の重みが、肩にのしかかる。顔色は悪かったが、体は、熱かった。硬い体の感触を、右半身に感じる。
肩を貸しているから仕方のないことだが、体が密着している。それが、なんとなく、気恥ずかしい。
「肩を借りて済まないね。おかげでかなり楽だよ」
神崎が、言う。
「少しでもお力になれれば、良かったです」
神崎とは、ついさっき知り合ったばかりではあったが、それでも、力になりたいと思わせるのだから、すごい人なのだろうと思う。
密着した体からは、いい香りがする。ウッディで落ち着いた香りは、大人っぽい。その、すこし甘い薫りにくらくらしながら、達也は、部屋へ入っていった。