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第5話 お買い得

 お買い得、と言われて一瞬、達也の思考は止まった。


「お買い得って……」

「だって、そうじゃないですか?」


 凪は人差し指を立ててから続ける。「まず、お互いの素性を良くわかっている。そして、相性は悪くないと思うんですよね」


 相性、と言われて達也は押し黙る。確かに、相性は悪くなかった。初めて凪と過ごしたときは、十分に満足して別れたはずだった。


「会社では気を付けますから……すこしだけ、お試しだけでも、ダメですか?」

「お試し?」

「そうそう、達也さんは、気楽な感じがいいんですよね? だったら、そういう感じで、たまに会いましょうよ」


 もちろん、それはその方がいいのだが、と達也は思うが、それは、あまりにも、達也に都合が良いのではないだろうか。


「何の魂胆が?」

 冷えた声で尋ねると、凪は少し眉を寄せた。悲しそうに顔が歪む。


「ひどいなあ、魂胆って」


「だってそうだろ。お前にメリットが……」


 なさすぎる、と言おうとしたとき、凪が耳元にささやく。


「少なくとも、達也さんを、予約しておける」


 予約、という言葉の意味を図りかねたが、凪がつづけた。


「つまり……ツバをつけておきたいんですよ、俺は」

 それに、お互い、欲の方は満たせますよ。凪は笑う。


 同じ会社ということでなければ、魅力的な申し出だった。せめて部署が違うなら、まだいいような気がするが……。


「俺は、面倒なことは嫌なんだよ」


「なんで? 別に、面倒はないと思いますよ。俺も、万が一、外で一緒にいるところを見られてもいいくらいの、仲のいい後輩くらいのポジションをキープさせてもらうつもりですし」


「何を勝手に……」


 決めているんだよ、と言おうとしたところで、バーテンダーが視線を送っていることに気が付いた。ここは、バーだ。会話をするなら、もっと、静かに会話しなければならない。店内の視線を集めるのも、御免蒙りたいものだ。


 すみません、とだけ小さく謝って、凪を見やった。


「出るぞ」

「はい」


 二人分の会計をすませて、バーを出る。地下から、扉一枚分の狭い階段を上がっていくと、繁華街に躍り出る。近隣のスナックの電光看板にもたれかかって嘔吐している若者がいて、達也は気分が悪くなる。


「ごみごみしてますねぇ」


 頬を撫でる風が、妙に生暖かい。

 湿度を含んだ風が、べたつく。肌にまとわりつく。


「まだ、時間あるでしょ」


 凪が手を取る。名前に反して、軽やかに、舞うように凪は繁華街へと達也の手を引いていく。


「お、おいっ!」

「……どうせ、期待してたでしょ。お互い、気持ち良くなるだけなんだから、良いじゃないですか。ホテル行きましょ。このあたりは、多いんです」

 たしかに、周りを見回せば、ラブホテルが多い。


「達也さん、どういう所がいいですか? オーソドックスなところ? それとも、もっと、楽しいところ? なんでも達也さんの好きなようにしますよ。このあたりは、いろいろあるんです」

「色々って」


「いろんなプレイに適したところ。鏡張りの、羞恥プレイ向きの部屋もあるし、SMが出来る部屋もあります。なんなら、サウナ付きも」

「サウナ……?」


 ちょっとだけ、サウナには興味を持ってしまった。サウナの特集を見てからと言うもの、すこし『整えて』みたいという気分はあったのだった。


「あっ、達也さん、サウナ好き? ……熱い方のサウナの中だと、エッチはしない方が良いけど、暖まってから、たくさん、エッチしましょう」

 こっち。と言いながら凪が手を引く。


「ちょ、ちょっと……っ」

「そんな声上げてると、目立ちますよ。……行きましょ」

 腰を捕らえられ、身体が密着する。周りは、似たような体勢のカップルばかりだが、圧倒的に、男女のカップルが多い。


「……おい」

「良いじゃないですか。こんなの、スポーツだとでも思ってくださいよ。達也さんだって、そのくらいの軽いノリの方が良いんでしょ? だったら、丁度良いじゃないですか」


 そう言われると、なんとなくそんな気にもなってしまうが、

「面倒だろうが。同じ職場でごちゃごちゃしたくない」

 と突っぱねようとして、結局出来ずに、ずるずるとホテルの中へ入る事になった。


 ホテルは、待っている人が居ればそれを理由に帰ることが出来たが、運悪く、すんなり入ることが出来た。


「サウナ付きの部屋、開いてますよ。良かったですね」


 ラッキーと言いながら、手際よく部屋を借りていく。凪は、ここまで連れ込むときといい、なんとなく、手慣れている感じがある。エレベーターに乗り込んで、

「お前さ、結構慣れてるのな」

 ぽつり、と呟くと、凪が「意外に達也さんのほうが、物慣れてない感じがして、そそられますよね。結構、遊んでるくせに」と言いながら、達也の耳をカリッと噛んだ。


「っ!!」

「ほら、反応がいちいち可愛い」


 ちゅっ、と凪がコメカミにキスをする。


「ちょっ……っ!」

「お楽しみは、部屋に行ってからにしましょうよ」


 現在時刻は、二十二時。

 三時間、『休憩』したら、終電は逃す。


「……サウナ入って終わりだぞ」


「朝までいましょ。宿泊で取ったから、ゆっくり出来ますよ」

 凪が後ろから抱きついてくる。甘い囁きが、直性耳に注ぎ込まれて、くらくらした。


「朝までって……」

「持久力勝負ってことで」


「バカがっ! 明日も仕事だろうがっ!」

「……でも、朝一の会議もないし、得意先との予定もないですよ。朝一、俺とミーティングの予定を入れてあります」


 用意周到すぎて、腹立たしくなってくる。


「お前っ……っ」


「仕事のコツ。……達也さん教えてくれたでしょ? 失敗を恐れないで、とにかく、アタックあるのみだって。あとは、自分の都合じゃなくて、相手に利があるように持っていくんだって……」


 そういう意味では、間違いなく、凪は達也の教えを忠実に守っていると言うことになる。


「……これは『仕事』なのかよ」

 冗談じゃない、という意味だったのに、詰るような色合いが言葉に滲んだ。

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