勝手に、あいつが待ち合わせを決めただけだ……。
そうおもいながらも、待ち合わせ場所として指定されたバーに、つい、足を運んでしまった。
(今日は、飲みたかっただけだよ……)
そう言うことにしておこう、と思いながら達也はカクテルを注文する。あまりカクテルの種類を知らないから、当たり障りなくマティーニを注文する。
バーテンダーの目の前のカウンター席。手際よくカクテルを作るバーテンダーの手つきには、見ていて気持ちがいい。
年齢は、三十代後半くらい。落ち着いた雰囲気で、髪をオールバックにして、ベストとシャツ。オーセンティックな雰囲気が、溜まらなく禁欲的だ。
(こういう人とだったら、遊んでもいいんだけどさ)
勿論、目の前のバーテンダーが、男でもOKかと言われたら、必ずしもそうじゃないだろう。
(第一、俺は年下なんか好きじゃないし、メンドクサイし……)
そんなことを考えて居る間に、バーテンダーが、そっとカクテルを差し出す。
クラシカルな逆三角形のグラスに入った透明なカクテル。そこに、ピンに刺さったオリーブの実が沈められている。
一口飲んでみるが、正直な所、味など良くわからない。なんとなく、ハーブの香がするのと、苦味があるのがわかるくらいだ。飲みなれない味だとは思った。
「王道ですね」
後ろから声を掛けられて、達也の肩が揺れた。驚いてグラスを落としそうになったのを、なんとかこらえて、首だけで振り返る。
「水野」
来るのは、わかっていた。一方的だとはいえども待ち合わせだったはずだ。
「折角、プライベートなんですから、ナギで良いのに」
「じゃあ、あんな風に、会社で誘うなよ」
「だって、プライベートの連絡先、教えてくれないでしょ、達也さん」
凪は達也の隣に座って、バーテンダーに注文をする。それから、達也のグラスの中に飾られた、ピンで差されたオリーブを、ピンごとひょいっと引き抜くと、一口に食べてしまった。
「お前、それ、俺の……」
別に、オリーブは飾りだと思っていたから、かまわないが……と思っていると、そっと耳元に凪がささやく。会社で聞くよりも数段甘くて、抑えた声だった。
「昭和な人から聞いたんですけどね、これ、あなたを食べたいって意味になるらしいですね」
「はっ!!?」
うろたえると、さっと凪は離れて、笑う。「冗談、ではないんですけどね」
「からかって楽しんでるだろ」
「怒らないで下さいよ。バーの雰囲気っていうのもありますからね」
こういう所は慣れているのか、余裕の表情で、凪は笑っている。バーテンダーからカクテルを預かって、一口飲む。円柱状のグラスの中で、丸い氷が、金属質な固い音を立てた。
「雰囲気、ねぇ」
達也は小さくつぶやいて、溜息を吐く。
「別に、雰囲気重視したって仕方がないだろうに、仕事付き合いだけなんだから」
「だから、プライベートが欲しいんですけど」
凪の薄い唇の端が、上がる。悪びれもせずにいう凪に、多少、苛立つ。どうにも話がかみ合わない。それは仕方がないだろう。達也は、これ以上凪に付き合うつもりはない。それを告げるために、今日はここまで来たようなものだ。だが、凪は、逆だ。ここから、何かを続けようとしている。その為に来ている。
「俺は、お前とプライベートに時間に会うつもりはないよ」
「じゃあ、前に会ってくれたのは?」
凪のまなざしが、達也を射る。まっすぐ、腹の底の、達也も知らない事実までみすかしてしまいそうなまなざしだった。
「関係のない相手だったから。それに、あの時だって、二度目はないと思っていたんだし」
それは事実だった。
「だから、俺は、お前が俺を追いかけてうちの会社まで来たって聞いた時には、目の前が暗くなるくらい驚いたし、悪寒がしたよ。ストーカーみたいで怖いだろ。普通に考えたら」
凪は、少し考えるそぶりをした。眼を伏せて、グラスを揺する。氷が、くるくると回転している。折角のカクテルが水っぽくならないだろうかと、余計なことを達也は考えた。
「重いですか?」
「わかってるなら、引いてくれ。仕事上は、こういうことは隠しているし、大体、プライベートを明け渡すような関係にはなりたくない」
はっきり言わなければわからないだろうと思いつつ、達也はいう。ここまで言えば、大体は引くだろうと思っていたが、凪は「いいえ」とだけ告げた。
「は?」
「俺は嫌ですよ。折角、追いかけてきたんですから。いいじゃないですか。手軽に遊んでくれれば。今の所は俺はそれでも十分です」
「今の所ってなんだよ」
「いずれはどうなるかわからないとおもうんですよね。だから、今の所、リザーブしておきたいです」
「リザーブって、お前……」
「だって、達也さん、いまフリーですよね? だったら、問題なくないですか? 変な相手に引っ掛かるより、見知った相手の方がいいと思うんですよ。それに、俺なら、仕事が忙しいとか、そういう事情も考慮できますし」
凪は、めげずにぐいぐいと営業してくる。明るい笑顔で、こう、押しが強いと営業された相手は、断ることが出来ないのではないか? 営業職は向いてそうだな、などと見当違いの事を、つい考えてしまった。
「自分でいうのもなんですけど、俺、結構お買い得だと思うんですよ」