第〇服 安赦帰堺(参)
安赦されて堺に帰る
四郎右衛門は傍らに控えていた三斎を振り返ると、大きく肯き返され、戸惑いつつも、後を追った。
暫くすると、秀吉は狭い座敷へと入った。大広間などの広い場所で、華美な席を好んていた秀吉が、侘びた座敷――しかも、利休が好んだ二畳敷に、である。
四郎右衛門も腹を決め、中に入ると、秀吉は客座に坐っている。四郎右衛門に茶を点てよということであった。致し方なしと、勝手口へと下がり、水屋ヘ道具を取りに行く。水屋には整然と並べられた道具があり、茶堂らが滞りなく仕えていることが分かった。そこに並ぶ道具はかつての秀吉が好んだ綺羅びやかな名物ではなく、侘びた珠光好や利休好の道具であった。目を引いた黒茶盌は剽げた器で、噂に聞く古織――古田織部の好みであろう。四郎右衛門はこの織部黒で秀吉に茶を点てようと決めた。
「利休によう似とる……」
点前を見ながら、秀吉はそう呟いて、大きく頷いた。四郎右衛門は黙ったまま、ひたすらに茶筅を揮う。旨い茶を煉ること以外、頭の中から追い出すのだ。無我の境地とは「何も考えないこと」ではなく、ただ一つのことに集中することである。
その座敷にいたのは天下人・豊臣秀吉《よし》ではなく、死出の旅に怯えて、残される子のために忙しなく動き回ろうとする老人だった。
「利休の遺品な……あれを、そちに返そう」
「……あれは太閤さまに献上した物でございます」
四郎右衛門は自分の胸を指して首を振る。
「そうか。……ならば、そちの義弟に息子がおったであろう」
「猪之吉のことでございますか?」
猪之吉とは四郎左衛門の長男で、喝食となっている修理のことで、猪之吉は喝食になる前の名前だ。のちに千宗旦を名乗る現在の千家の祖である。
「昔、利休があれを小坊主に使っておってな、愛らしゅうて小姓にしようとしたら、利休は喝食に入れてしもうての。そちが受け取らぬなら、あれに取らせよう」
四郎右衛門は深々と手をついて平伏した。
この辺りの感覚が、武家と商家の違いなのかもしれない。四郎右衛門にとって大事なのは千家の家督と、独立独歩で確立できる茶風だった。父の猿真似であっては、父の教えを実現できぬ。父の手を守り、修めてのち、旧弊を破り、父の教えから離れねばならなかった。何より利休の教えは「他人と違うことをせよ」である。その教えを継ぐということは利休と同じことをしてはならないということであり、利休は茶風を継いで欲しいとは考えていなかった。
それは、利休と違う茶の道を歩むということだった。利休の道具を受け継げば、他人は利休と同じ道具組みや茶風を心の何処かで求めるであろう。それでは利休の猿真似になり、四郎右衛門は何処に在るのか。滅私の思想など利休にも四郎右衛門にもありはしなかった。
それと、四郎左衛門は足萎えである。幼い頃に戦に巻き込まれて負った怪我が治らず、足を引き摺っていた。仲が悪く反目している相手とはいえ、一応妹婿でもあり、義弟である。道具を継げば、それなりに暮らしていけようとも考えた。堺の本家とは違う茶家としての千家を立てればよい。
四郎右衛門は理想に殉じる人ではなく、政商となるのも嫌であった。しかし、茶風とは生きていてこそ体現できるものであり、先ず生きていなければならない。権力争いに巻き込まれるのは御免だが、力がなければ面倒事が逃れることは出来なかった。
「茶堂として仕えるようにな。利休の茶は、そちにしか点てられん」
秀吉とて四郎右衛門と利休の茶風が違うことは分かる。しかし、それは美味い茶をどう出すかの道筋が違うだけで、父子は同じ茶の美味さに辿り着いていると見た。それこそが秀吉にとって利休の茶である。茶の本義は美味いことであると、秀吉は秀吉なりに茶を極めていた。
「かしこまりました」
四郎右衛門は観念して、水屋へと下がった。