第〇服 安赦帰堺(弐)
安赦されて堺に帰る
利休の切腹より三年が経った。
妹婿の四郎左衛門――竹田宗淳、庵号を少庵は利休の後妻・宗恩の連子で、能楽師の金春家の庶流で宮王と冠した竹田三郎鑑氏の子である。四郎左衛門はその間、流寓していた処を蒲生氏郷に匿われ会津若松で蟄居し、粦庵を建てている。
ようやく勘気の解けた秀吉は、四郎右衛門と四郎左衛門を赦した。先に京に入ったのは四郎左衛門で、それを聞いた法印素玄に請われ、四郎右衛門はようやく重い腰を上げた。
四郎右衛門自身は飛騨高山の隠居暮らしが気に入っていたのだが、妹婿が戻ったのに、利休の嫡子が戻らぬというのも秀吉から再度の勘気を被ることになりかねないと、弟子の金森可重・重近父子にも説得され、致し方なしと京へ向かったに過ぎない。
堺にも既に赦免の話は届いていて、店の者らもいつ四郎右衛門が戻るかと心待ちにしていたそうだ。口々に喜びの声を挙げ、下女が奥に知らせに行ったらしい。出てきた者の中に、従弟の道通の姿もある。道通は和泉国日根郡牧野に住して居るのだが、たまたま、こちらに寄っていたのだろうか。
「四郎右衛門!」
伯父の与一郎も顔を出した。慌てて奥から出てきたのだろう、息を切らしている。横で支えているのは従弟の五郎左衛門で、叔父・与五郎の次子にして三妹・莉玖の夫でもある。その向こうにいるのは六郎左衛門で、叔父・水落与六郎宗恵の子である。
「伯父上、ご無沙汰でございました」
四郎右衛門はその場で深々と頭を下げた。
康隆は利休の実兄であり、利休の死に際して四郎右衛門が連座したため、一時、千屋を預かってくれている。紹和は康隆を輔けて、千屋を切り盛りしていた。
「四郎右衛門さま……」
奥から妻・登喜も出てきた。四郎右衛門の目頭が熱くなる。利休の死から三年もの間、文の遣り取りしかできなかったのだ。ここには、血の繋がらない身内は居ない。あふれる涙を隠すことなく、四郎右衛門は登喜を抱きしめた。
「いつまでも立ったままでもなんですから、中へ」
道通が気を利かせて中へ誘う。気付けば、近所の人々も何事かと顔を出していた。追っ付け、天王寺屋の津田家や薬屋の今井家からも人が来よう。
「中でゆっくりいたしましょう」
四郎右衛門は道通に頷き返し、登喜を支えながら、与一郎へと微笑んで、中へと姿を消した。与一郎は、その後ろ姿を見て「よう似ておる……」と零した。
四郎左衛門に遅れること半月、京に戻った四郎右衛門は、利休の弟子であった古田織部助重然の京屋敷の門を叩いた。秀吉への赦免の御礼を取り次いでもらうためである。古田織部は快諾し、即日謁見の手配を済ませた。当日は所用で同席できぬので、同門の細川越中守忠興が介添えするところまでの段取りをするほどの気配りである。
「古織殿には、感謝の言葉もございませぬ」
深々と頭を下げる四郎右衛門に古田織部は苦笑いを浮かべていた。
「道庵殿、おやめ下され。某、利休さまのことは見送ることしかできませなんだ……せめてもの償いでござるよ」
淋しげに織部が笑う。四郎右衛門には、父が居ないことを深く哀しんでいるのが感じられた。
謁見すれば父を殺した男としての憎しみを秀吉に感じるかと思っていた四郎右衛門であったが、実際に目通りが叶うと、そんなことは露程も感じることはなかった。
(小さくなられた……)
実際に秀吉は小さくなっていた訳ではない。巨きくみせていた覇気が萎んでおり、小兵のただの老人がそこにいた。秀吉が利休を懐かしんで、昔話に花が咲く。まるで自分が処刑したことを忘れているかのようだった。
「紹安よ、再び余に仕えい」
「太閤さま、その儀は何卒、御容赦願いたく」
四郎右衛門は平伏して懇願した。しかし、秀吉は四郎右衛門の話など聞かぬ。スッと立ち上がるとスタスタと歩き出した。呆気に取られて微動だにせぬ四郎右衛門を見て
「紹安、付いてくるがよい」
と言って再び歩き始める。