■第十一服■
村田宗珠【むらた そうじゅ】
□生歿年不詳
配役■阿部サダヲ
村田珠光の婿養子、村田宗印の叔父で養父、宗治の祖父。珠光が創始した侘茶を完成させ、市中の山居を具現化した。
天文十三年正月、青蓮院尊鎭法親王に『珠光秘書』の写本を献上。盆石に『松風』の銘を賜る。南禅寺の梅屋宗香撰。
尊鎮法親王【そんちん ほうしんのう】
生歿年■永正元年1504年〜天文十九年西暦1550年四七歳歿
配役■新納慎也
後柏原天皇の第五皇子。青蓮院門跡。母は豊楽門院勧修寺藤子。名は清彦。法諱を尊猷、のち尊鎮。天台座主に補された。能書で知られる。
■第十二服■
畠山稙長【はたけやま たねなが】
生歿年■
役者■山本耕史
畠山尚順の子で、長経、政国、晴熙、晴国、基信、細川晴宣、細川氏綱室らの兄。幼名は鶴寿丸。通称は次郎。尾張守。大和寺殿。一般には『守光公記』永正七年四月廿九日条に「室町殿猿楽に当年二歳の畠山亀寿が饗応した」との記述がある為、逆算すると
畠山義総【はたけやま よしふさ】
生歿年■
役者■吹越満
能登畠山氏の第五代当主・慶致の子。義総は積極的な国作りを行ない、居城を七尾の城山に移して五大山城と称される名城・七尾城を建設した。この七尾城は後に上杉謙信の攻撃を一年以上耐え切ったことを見てもわかるように、天下でも屈指の堅城として讃えられた。また、義総は七尾湾と富山湾の流通を支配し、宝達金山の開発にも取り組んだ。義総は文化人でもあり、戦乱を逃れて下向してきた公家や連歌師などの文化人を積極的に保護し、さらには商人や手工業者にも手厚い保護を与えて、義総治世の七尾城下町は、小京都とまで呼ばれるほどに発展したという。
上野一雲【うえの いちうん】
生歿年■生年不詳
役者■鹿賀丈史
細川元治。初名・元氏。永正の錯乱においては澄元を支持したが、澄元と高国が対立すると高国を推した。玄蕃頭家は領地がなく野州家に庇護されての奉公衆であり、高国の傅役でもあった。氏綱の氏は一雲の偏諱。当時は家中での公式な立場は尹賢と元治が対等であり、元治は一族の長老と言う立場と高国の最大の支持者であったため、この一雲と孫の国慶の支持が氏綱を京兆家の家督に押し上げる。
細川国慶【ほそかわ くによし】
生歿年■
役者■菅田将暉
細川刑部少輔元全の子。源五郎。玄蕃頭。
■第十三服■
藤田宗理【ふじた そうり】
生歿年■不詳
役者■柳葉敏郎
村田珠光・宗珠の弟子。屋号は種屋★。籐兵衛は通り名★で、藤田兵右衛門行定★。松本珠報亡き後の珠光派のまとめ役★で、近江の藤田佐渡守綱行の一族★。藤田佐渡守綱行★は、高島七頭の平井氏の庶流、
武野紹泡【たけの じょうほう】
生歿年■
役者■市川白猿
皮屋新五郎
■第十五服■
矢野宗好【やの そうこう】
生歿年不詳
役者■矢柴俊博
香西元盛の右筆。弾正疎俊正★。細川尹賢の仲介★で香西元盛に仕えた。丹後の国人矢野氏は羽州の大名・小野寺氏の被官で、小野寺氏は加佐郡倉梯郷三十一町の守護不入権を持っており、矢野氏はここの代官であった。延永氏の没落に伴って勢力を拡大している。矢野氏が一色氏に仕えるようになった際に宗好は下野した★。
天竺国勝【てんじく くにかつ】
生歿年不詳
配役■眞島秀和
細川尹賢の右腕。細川氏一門の奉公衆駿州家の分家。駿州家が天竺氏の本家で、天竺と細川の両方を名乗る。三河国幡豆郡天竺が本貫の地とされる。中務少輔国範の子で孫四郎、中務少輔、越後守。典厩家の家宰。兄・孫三郎
■第十六服■
岩崎源蔵【いわさき げんぞう】
生歿年■
配役■板垣李光人
柳本賢治が岩崎太郎左衛門の養子となったときの義弟。柳本賢治の妻は岩崎太郎左衛門吉永の遠縁で、源蔵はその弟。姉が養女になる際、猶子として岩崎家に入っていた。賢治が柳本氏を嗣ぐと、小姓として出仕する。香西元成が成人するまでの当主代行として柳本賢治によって上香西氏を嗣いで
岩崎吉永【いわさき よしなが】★
生歿年不詳
配役■岸谷五朗
岩崎太郎左衛門。柳本賢治の養父であったが、賢治が柳本雲州家を嗣ぐと家臣となり、享禄二年五月廿六日に九条邸に賢治の名代として赴き、九条稙通に謁見している。吉永の諱はオリジナル。
香西宝蔵【こうざい ほうぞう】★
生歿年■
配役■
のちの香西越後守元成。天文年間に活躍する香西元定の子・元成とは別人。混同されているが、香西元盛と香西長治の女の間に生まれた。香西源蔵元敬を中継ぎとしていたが、大永七年に元敬が亡くなったため当主となる。幼名の宝蔵はオリジナル。
■第十七服■
日演【にちえん】
生歿年■不詳~
配役■寺田農
堺にある法華宗の末寺頭・顕本寺の住職。
松永久秀【まつなが ひさひで】
生歿年■
配役■吉田鋼太郎
摂津国島上郡五百住の豪族・松永孫左衛門尉久幸の庶子。彦六郎。諸国漫遊の旅にでていたが、大永六年に帰郷し、父に顕本寺の日演へ使いを頼まれたことから、千熊丸・志郎丸と縁を持つ。のち、千熊丸が堺を退去すると、三好之秀に招聘されて右筆となる。
■第十八服■
波多野秀忠【はたの ひでただ】
生歿年■
配役■飯田基祐
波多野元清の子。大永五年から病勝ちになった元清に代わって家中を率いている。叔父の賢治とは十歳しか離れていない。丹波統一が悲願。
■第十九服■
三好長当【みよし ながまさ】★
生年不詳〜
配役■西田敏行
新五郎、越後守、越後入道宗安。三好長行の次子で、之長の異母弟、之秀の異母兄。新五郎長久、彦六郎長家、新五郎政長の父。細川高国に仕え、兄・之長と通じる。榎並城城主。活動時期が足利義尚と重なるため、崩し字の読み間違えではないか?と考え、尚の崩し字に近い「当」の字にして「まさ」と読ませた。
三好長家【みよし ながいえ】
配役■平山浩行
彦六郎★、左衛門尉、左衛門佐。新五郎長久の弟で、政長の兄。
三好政長【みよし まさなが】
配役■永山瑛太
新五郎、越後守、善長寺、半隠軒宗三。越後入道宗安の三子。新五郎長久、彦六郎★長家の弟。剛勇に優れ戦に強く、桂川原の戦いでも武功第一とされた。兄・長家が歿すと家督した。
畠山順光【はたけやま のぶみつ】
配役■妻夫木聡
足利義尚・義稙に仕えた同朋衆・木阿弥の子。幸子丸。
可竹軒周聡【かちくけん しゅうそう】
生年不詳~天文二年二月九日
配役■六平直政
細川讃州家の一門であるとされる細川紀州家の出身というが、本作では細川紀州家が光勝院の住職家とする★。雲臥周適に師事し、細川晴元の軍師となる。堺幕府の主導者であり、晴元単独の管領家、義維単独の将軍の構想を崩さなかったが、天文二年二月九日に一向一揆が堺を襲撃した際に死亡した。
三好長基【みよし ながもと】
配役■米本
仮名は彦四郎、官途名は主膳正、筑前守。三好元長。本作では初名、長基★。晴元より偏諱を受けて元長と改名した★。歿後は南宗寺殿。史実では長秀の子とも之長の子とも言われますが、作中では之長の末子としています。巨漢で熊とも呼ばれた元長は、鎌倉度の13人で工藤茂光役の米本学仁しか
■第二十服■
日野内光【ひの うちみつ】
生歿年■
配役■橋爪淳
戦国時代の公卿。徳大寺実淳の次男。官位は正三位・権大納言。日野家二十六代当主。初名、高光、澄光、内光。
荒木定氏【あらき さだうじ】
生歿年■生年不詳〜大永七年二月十二日
配役■光石研
綾部城城主。荒木基氏の嫡子。彦八郎、大蔵大輔、安芸守。荒木村重の祖父。子に弓兵衛氏綱・兵部兵部大輔氏義、
荒木氏綱【あらき うじつな】
生歿年■生年不詳〜大永七年二月十二日
配役■平埜
綾部城城主。九郎兵衛尉。弓兵衛とも。定氏の嫡子。子に久左衛門氏兼、山城守氏香がいる。
一宮成孝【いちのみや なりたか】
生歿年不詳
阿波一宮宮司家当主で、小笠原一族。宮内大輔。妻は三好之長の