■第十一服■
常磐にと植へしも幾世松の葉の
塵より山のかげを並べて
慶應義塾蔵 斯道文庫 尊鎮法親王親筆懐紙より
常に変わらぬ岩のように植えた松の葉が幾世も葉が緑であるように
■第十二服■
庭ひろみ苔のみとりハかたよりて
あつき日影に白きまさこち
「広い庭のそこかしこに苔が生えていて、それが夏の暑い陽射しに照らされて、まるで白い砂浜のように見えるではありませんか」という意味。
■第十三服■
種まきて 同じ武田の末なれど
荒れてぞ今は野となりにける
武野紹鷗が詠んだと言われる歌。戦国大名となった若狭武田氏と武野紹鷗の祖である石和武田氏は同じ甲斐源氏の流れで、同じ武田氏の末裔であっても、自分の田は荒れ果てた(家が没落した)ので、野となってしまった(改姓した)という意味かと。
武田信清の妻は逸見仲継の女、武田仲清の妻は伊東祐広の女、武田信久の妻は中坊秀国の女という。武野家は武家としての再興を望んでいたといわれ、武野紹鷗の子・宗瓦に二人の子があり、どちらとも織田有楽斎の紹介で徳川義直に仕えた。
■第十四服■
いくたびか世はうつりてもめぐりあふ
昔のままの月を見るらむ
後柏原天皇謹製
経費節約をし、将軍足利義稙や大坂本願寺僧光兼の献金により、
この歌は「人の世がどんなに変わっても決して変わることのない昔のままの月に巡り合うことができる」というほどの意味です。当時は幕府の将軍が次々と変わっていた時代でした。将軍が変わっても、変わらず政権を担い続ける高国に相応しい歌と思い、取り上げました。
■第十五服■
埋れ木の花さく事もなかりしに
身のなるはてぞ悲しかりける
源頼政辞世
〈現代語訳〉
埋れ木に花の咲くことがないように、私も世間からうち捨てられ華やかに出世することもなかったが、今ここで死んでゆく我が身のなれの果てが悲しい。
〈解説〉
源頼政は平安時代末期の武将。保元の乱・平治の乱で勝者の側に加担。平氏政権下で源氏の氏の長者となった。平氏一門が続々と公卿となっていくのを横目で見ている中、「のぼるべきたよりなき身は木の下に椎をひろひて世をわたるかな」と詠んだ。頼政が未だ四位であることを知った清盛は
■第十六服
常よりも 睦まじきかな ほととぎす
死出の山路の 友と思へば
鳥羽天皇 辞世の歌
〈現代語訳〉
死出の山道の案内をしてくれると思うとほととぎすがいつもよりも親しく思えてくるようだ。
〈解説〉
鳥羽天皇は
■第十七服■
たらちねはかかれとてしもむばたまの
我が黒髪をなでずやありけむ
遍昭法師 後撰和歌集
〈現代語訳〉
老いた母はまさか私が出家剃髪するようにと思って烏玉のような黒髪を撫でいつくしんだのではなかったろうに。
〈解説〉
桓武天皇が下女に産ませた子の良岑安世の子として生まれ良岑宗貞といい、仁明天皇に寵愛され、出世街道を歩んでいました。しかし、三十六歳のとき、仁明天皇が急逝し、その七日後に剃髪、出家してしまいます。天皇に殉じる気持ちと母への申し訳無さとがせめぎ合う心を歌に詠んだものです。遍昭の出家に際して共に落飾したのが素性法師で、この方は父親に無理矢理出家させられたようで、僧侶らしからぬ逸話がたくさん残っています。
■第十八服■
木の葉さやぎぬ 風吹かむとす
『古事記』
〈現代語訳〉
狭井河の方から雲が立ち起こって、畝傍山の樹の葉が騒いでいます。いまにも風が吹き出してきそうです。
〈解説〉
神武天皇が歿すると、その庶兄の当芸志美美命が、皇后の伊須気余理比売に言い寄るのであるがその時に、三人の皇子たちを殺そうとして謀ったので、伊須気余理比売が歌でこの事を御子たちに知らせたという件が古事記に載っています。叙景歌ですが、危急を知らせる風刺歌でもあり、「風吹かむとす」は危険が迫っていることの隠喩。
■第十九服■
ほのぼのとあかしの浦の朝霧に
島隠れゆく舟をしぞ思ふ
詠人不知
〈現代語訳〉
ゆっくりと明るくなっていく明石の浦に立ち込める朝霧の中を島に隠れようとしている舟をつよく思いを寄せています。
〈解説〉
ほんのりと明るんでいく明石の浦、その明石の浦に立ち込める朝霧の中を、島隠れに行く舟をしみじみと感慨深く眺める情景とその景色に入り込んだ叙情を詠んだ歌です。徐々に明け行く明石の浦の朝霧の中はぼっとかすみ、やがて点景となって消えてゆく舟に、危険の多い航路、旅に伴う不安を想いやり無事を祈る作者の心が詠まれているようにも感じられます。
明石は播磨で、摂津ではないのですが、摂津の諸将が先行きの不安を感じて五里霧中となっていく様子にぴったりだと思い選びました。
■第二十服■
大海の磯もとどろに寄する波
われて砕けて裂けて散るかも
『金槐和歌集』源実朝
〈現代語訳〉
海岸の磯にとどろくばかりに打ち寄せる波、その荒波が岩にぶつかってくだけて、裂けて、細かなしぶきとなって散っている。
〈解説〉
源実朝は藤原定家に和歌を学んだ歌人としても知られ、この歌は『金槐和歌集』に収録されてる