大海の磯もとどろに寄する波
破れて砕けて裂けて散るかも
『金槐和歌集』源実朝
大永七年二月十二日、
道永本営には、前備に
そして、吉祥院天満宮から城南宮の辺りまでの一帯に真一文字に陣が張られた。渡河中の攻め手を川岸で抑える迎撃の陣である。此処に奉公衆と細川一門衆の軍勢を置いた。
現将軍直属の
一番衆は、本郷大蔵
二番衆は、荒川
三番衆は、
四番衆は、
五番衆は、狩野左京
その他、
右翼は細川右馬頭尹賢、細川刑部少輔
計五〇〇〇が主力の全てである。
後備は六角
一方、山崎城を出た三好
のちに「桂川原の戦い」と呼ばれる天下分け目の合戦が幕を開けようとしていた。三好・柳本連合軍が陣を張ったのは
「
「皮肉かな?」
すっかり打ち解けた三好長基と柳本賢治が軽口を叩き合う。
「どうせ戦は夜中であろう?」
「
尹賢の策戦を読んだのは賢治である。長く尹賢の下で戦ってきたこともあり、その底意地の悪さを良く理解していた。
味方の国人衆には予想通り動揺が見られたが、問題はない。あとは夜陰に紛れて長基が虚を突くだけだ。国人衆は
「では、手筈通りに。さすれば、兵三〇〇〇で、川勝寺城を
「兵が少なくはないか?」
長基は
「多すぎると指揮が取れませぬからな。ここは速さが肝なれば、大軍は不要かと」
「で、誰が率いる?」
軍議では兵を出すことしか聞かされていなかったが、そろそろ明かしても差し支えあるまいと、賢治も気軽に尋ねた。
「
「御主、正気か?」
本陣の兵を使って強襲を掛けると長基は言った。それは、総大将自ら先陣を切るということである。柳本賢治からすれば、それは奇を衒い過ぎだ。だが、精鋭をぶつけるからこそ最大の戦果を得られるというのが長基の考えなのであろう。
「大胆不敵だな」
「褒められておりますかな?」
長基と賢治は笑いあった。長基は自身の
実を言えば先程から進軍の注進が相次いでいた。何処にでも抜け駆けや目の前の敵と戦いたがる輩は居る。それを抑え、策戦に沿わせるのが大将の仕事なのだ。それを放り出して前線で指揮を執るというだけでも三好長基という男は規格外であることが分かる。だが、
「……破天荒な男よ。が、相容れぬか」
「誰のことで?」
独り言に口を挟んだのは波多野孫四郎秀忠である。本来ならば山崎城に詰める筈であったが、供廻りの兵だけで本陣に来ていた。副将格の中沢掃部大夫光俊あたりが居れば良いと考えているのだろう。秀忠はあくまで父・右衛門尉元清の代理で指揮をしているだけと考えているが故の勝手であった。家督もまだ譲られていないため、重臣共が口煩いのだろう。
「三好殿のことよ。これまで阿波の者と云えば武辺者ばかりで、戦上手とは言えなかったからな」
「叔父上が褒めるほどですか」
秀忠は智謀に優れた賢治を尊敬していた。その賢治が破天荒と褒めている。驚きを隠せなかった。
破天荒とは「
「成程、この戦は楽に勝ちを拾える、と」
「侮るなよ? 雪に阻まれて朝倉が兵を出せぬから兵が集わなかっただけだ。それに、今後、
賢治は、朝倉が兵を出せば六角も出さざるを得ないし、北畠も兵を出すであろうと踏んでいた。つまり、この戦に勝っても、道永は巻き返せるだけの余力を残していことになる。そして、それを乗り切った後に来る権力闘争において最大の敵となるのが三好長基であった。
秀忠は肩を
「力を残しておくよう、皆に伝えよ」
一方、道永は既に焦れていた。
「何故、攻めて来ぬ」
一門衆も全て前線に投入したため、普段なら側にいる上野一雲や国慶、細川尹賢も不在である。この斜傾陣にもみえる配置は川沿いが故であるが、主力である細川一門を左翼と右翼に固めてあるのは、左翼が激戦区になると踏んでいたからだ。また、最終の打撃力として右翼の戦力を残してある。
道永としては渡河の半ばで敵を
本来であれば、このような消極的な策戦は取りたくはない。しかし、寄せ集めの奉公衆と一門衆や内衆の敗残兵を再編して組んだ急造の軍勢であり、部隊同士の連繋が巧く行くとは思えなかった。勢いには乗れるが粘り強い連繋などは全く無理である。その上、兵力は大きく劣っていた。後はない、ないが故に、受動的にならざるを得ない。
この事態は、道永の算段が狂った為だ。越前の朝倉弾正左衛門尉
道永はさらに
実は垣屋続成には波多野元清の手が伸びており、これに同心していた。更に六郎の軍師・周聡が
(早めに対処せねばならぬ、か)
「
「これは日野
義晴公の本陣に居るはずの日野内光が、道永を訪ねて来たことは意外であった。日野内光は将軍付の公家衆で、道永は日野内光の叔母の孫――
日野家は将軍家累代の
「
「成程。それは私こそ知りたい所でしてな。是非、聞いて来て頂けますかな?」
笑いながら道永が指差した先には、三階菱に釘抜の家紋が入った大旗――牙旗が
「何を考えてるのでしょうな、
三筑とは「
「阿波の三好といえば、京を荒らした三好筑前守歯科知りませぬ」
「それは先代ですよ。彼奴は何でもありの大悪党でしたが、当代の三好も
見切りをつけた道永は、日野内光に「本日の戦はございませぬが警戒は怠らぬよう――と、公方への
「夜襲に備えて、
使番を走らせ、全軍に通達。警戒を怠らないように指示を出しながら、自らは鎧を脱ぐ。流石にゆるりと酒は飲めぬが、
「いつ攻めてくる?」
道永は未だに長基の真意を計りかねていた。見れば煮炊きの煙が挙がっている。これは擬態だと道永は思った。敵は明らかにこちらからの攻めを誘っている。長対陣ならば我慢比べよ、と腰を据えた。
一宮成孝は元長の姉を正室に迎えた三好氏の
「来たか!」
賢治は法螺貝を吹かせて、矢の応酬を始めると、いよいよ主力への攻撃が始まったと断じた道永は、本陣を上げてこれに応じた。しかし、鬨の声は聞こえてくるものの、一向に寄せ手の姿は見えてこず、前線からは戸惑いの声が聞こえてきた。
「敵の寄せ手は声ばかりにて、全く姿を見せませぬ」
「矢の雨は降れど、典厩勢の損害軽微!」
「三好勢、未だ動かず」
「各自そのまま各個に応戦せよ。但し、突出はするな」
前線の状況を知らせる使番がひっきりなしに本陣を訪れ、指示を受けてまた戻っていく。
少し時を遡る。
「いつまでこうしていればいいんだ?」
「そりゃぁ、大将がいいと言うまでだろ」
雑兵等が首を傾げながら、寄せては弓を引き絞って矢を放ち、放っては引く。矢継ぎ早に矢の雨を降らせてはいるが、この距離では大した効果はない。三好左衛門尉長家、孫七郎政長兄弟を先頭に、摂津衆の軍勢が久世神社前から川岸に出張り始めた。少しずつ両軍の距離が狭まっていたが、三好・柳本の連合軍は川を渡ることを禁じられているように川岸までしか兵を出さなかった。
「そろそろ始まるか」
「では、義兄上、行って参ります」
香西元敬率いる香西党が本陣から離れ、三好長家・政長勢に並ぶ。牛ヶ瀬を渡った三好長基の手勢が、御室川を遡ってその時を待っていた。そして、
――ゴォォォン、ゴーン、ゴーン、ゴーン
三好長基は松明に火を点した。次々に灯りが渡っていき、突如として軍勢が闇から湧き出たかのようだった。
一門の三好蔵人之秀、三好伊賀守長直、与力の篠原大和守長政・右京進長朝、同三河守長宗、篠原弾正忠持長・
「川勝寺の武田を突く!」
――おおおおお!
三〇〇〇の鬨の声が鯨波の如く響き渡る。先駆けは篠原持長と三好長直だ。それに続いて長基が
「懸かれぇ!」
三好長直が南門を破り、之秀が軍勢を城内へ突入させる。篠原長政・長朝・長宗が半包囲して火矢の雨を降らせた。
「死にたい奴から掛かってくるが良い!」
好々爺のような之秀であるが、歴戦の勇士である。次から次へと敵を槍の錆にしてしまった。辺りには四〜五人の骸が転がっている。
「なんじゃ、他愛もない。武田と
館に火の手が挙がる。武田元光は三好勢の出現に策戦の裏を掛かれたことを悟った。逃げ惑う武田の兵たちを尻目に、粟屋勝春を呼び寄せる。
「逃げるぞ!
「はっ!
元光は一瞬、言葉を呑んだ。この負け戦では死ねと命じる様なものである。しかし、誰かがやらねばならぬのも事実だ。ならば、粟屋党の当主である元隆と、自分の側近である勝春にさせるわけにはいかない。そうしている間に粟屋元隆と元勝、家長が手勢を引き連れてやって来た。
「殿軍は
「承った。
「一命に替えましても」
家長が頷く。元光は心の中で「死ぬなよ、式部」と呟きながら手勢を連れて西門はと走った。逃げる先は六条院を避けねばならない。
「孫四郎! 六条院に撤退を伝えよ!」
「はっ!」
武田勢は死者八〇名を出し敗退した。元光は一目散に清和院から二条方面に逃れ、山越えで若狭へと駆け抜けていく。二度と関わり合いになるものかと、苦い思いを抱いて。
道永の本陣では、兵がざわついていた。
「あれは、川勝寺城の方じゃないか?」
その声に、道永ははたと気付いた。
――あの鏑矢は何処で射られた?
「しまった!」
道永の視線の先には燃え盛る川勝寺城が浮かび上がる。その炎が煌々と曇天を照らしていた。
「豆州が敗れた――まずい、上様が危うい! 者共、ついて参れ!」
武田元光の敗退は将軍足利義晴公を丸裸にするも同然である。これに危機感を覚えた道永は自ら武田軍に救援に向かった。三好勢が追撃を
始めようとしたその横腹に軍勢をけし掛ける。
「豆州殿を救けよ! 者共、懸かれ、懸かれぃ!」
「京兆家の弱兵など押し返せ!」
道永も長基も声が
「御屋形様! ここは危のうございます。一旦お引きくだされ」
供回りを引き連れた荒木定氏と氏綱の父子が殿軍を申し出た。このまま自分が敗れれば、義晴公の命すら危ういかも知れない。道永は、即決した。
「すまぬ、安芸。此処を頼む。余は大樹にお逃げいただき次第戻る故」
「無用に御座る! 御屋形様は公方様を擁して近江へとお逃げくだされ。
「相分かった、必ずや再起してみせるぞ」
道永は荒木定氏・氏綱父子を置いて、六条院へと撤退した。馬廻りの武将一〇名前後、雑兵三〇〇ほども討ち取られ、兵も半数が逃散している。
「すまんな、弓兵衛」
「御供仕ります」
荒木父子が手勢十四人とともに軍勢の波に消えた。
川勝寺城に火の手が挙がると、三好長家・政長兄弟と香西元敬が細川一門勢に襲い掛かった。柳本賢治は、強襲の必要なしと押し留めたが、こちらは乱戦となり、三好長家が重傷を負い、香西元敬に至っては討死してしまった。兵も八〇ばかり失い、これは無駄死であると賢治は
本営が不在になり取り残された前線の将兵らは呆然とするばかりであったが、柳本賢治が軍勢を進めると、或る者は降伏し、或る者は手勢を連れて撤退し、中央の軍勢は霧散した。
柳本賢治はそのまま北白川に軍を進めるとそれまで戦を観望していた六角勢は柳本勢と軽く戦って近江に撤退してしまう。賢治は軽く肩透かしを食らった気分であった。
そして、この戦いに於いて、唯一の公家の死者があった。日野内光は武田の陣に居たことが災いし、逃亡の際に討たれたという。遺体も残らず、焼けて炭になった笏だけが残った。