春来ぬとふりさけみれば天の原
あかねさし出づる光かすめり
細川右馬頭
寝殿落成の儀も終わり、宴の上座で
高国と尹賢の近くには細川一門が侍っている。高国の列には畠山尾張守次郎稙長の弟で高国派の和泉上守護家を興した刑部大輔五郎晴宣、淡路守護家の入り名字を受けた細川伊豆守彦四郎
「けっ! ったく、すましやがって」
「よせ、
悪態をついているのは名を
香西氏は鎌倉御家人・香西左近将監藤三郎資村を祖とする讃岐国司であった藤原北家の
又六郎元長は、典厩家・右馬助政賢と淡路守護職・細川淡路守尚春と行動を共にした民部少輔高国によって澄之の邸宅
右京大夫となった高国は澄元についた内衆討伐をしたが、取り込みを図って後嗣のなかった香西越州家に近侍であった
香西氏にはいくつかの流れがあり、惣領家は在京して活躍した
越後守元正は在京の内衆となって、山城国
在地の香西氏は下向した豊州家で、その他に
讃岐の中央部に位置する香川郡香西邑から
現在、讃岐は阿波守護の細川讃州家が東部に進出しており、中央部に位置する下香西家の元定は大内氏に属して久しい。その上、元定は
管を巻く元盛を抑えているのが波多野三兄弟の末弟・
少し離れたところに次兄・元清があり、チラチラと三弟・元盛を心配しているのが伺える。やや粗暴なところのある元盛を案じているのだろう。波多野の三兄弟は賢治だけ母が違うのだが、早くに亡くなり、元清の母が引き取り養育していたため、異母兄弟という意識は薄い。
「わぁ〜ってる。
「なんにせよ、静かにしてください」
声を落としたとはいえ、なおもブツブツと尹賢の悪口を呟く元盛に、小さい溜息を
朝倉氏が土佐光信に描かせたという『一双画京中』に描かれた細川京兆邸と並んで豪華絢爛な典厩邸であるが、
典厩家というのは、細川京兆家――すなわち本家の執事であり、内衆と呼ばれる家臣団の取りまとめ役である。細川京兆家九代当主・右京大夫六郎
内衆というのは在地の国人衆を取り仕切る守護代や直轄領の奉行を務める細川氏の直臣である。時代が下るに連れ、在地の国人衆を取り込んで半ば在地化するものや、国人から取り立てられた者も増えていた。香西元盛や柳本賢治のように直臣が国人衆の在京家の家督に入って家中を掌握することで、国衆との結びつきを強くすれば地盤が固めやすいという高国の思惑によるものでもあるが、完全に別家となっている家も多く、国人らを上手く取り込めているとは言えない状態であった。
これは、両細川の乱で家中が二分してしまい、在京家と在地家が分裂してしまっていることと、戦国の世となり実効支配が優先されたことによる。
尹賢は細川野州家の分家・細川中務少輔
典厩家三代細川
政賢は和泉下守護家から典厩家へ養子に入ったとも言われ、典厩家二代右馬頭
政賢は阿波国守護・讃州家の細川讃岐守彦九郎
両細川の乱とは、京兆家直系が途絶えたことによる野州家出身の高国と讃州家出身の澄元の争い――分家同士の家督争いと見たほうが分かりやすい。
尹賢の横に緊張した面持ちで坐っている男子が
「
「
尹賢がさっと頭を下げると、慌てて宮寿丸も頭を下げる。慌てたために烏帽子が少し斜めになって、床に付いてしまっていた。
義晴公は歳の近い宮寿丸のそんな様子に笑みを零す。親近感を持ったのだろうか。つい先年までの戦場に身を置いて明日をも知れぬ身の上を儚んだこともあったが、今となってはそれも遠い記憶である。
「確か高国の子も同じような年頃であったか?」
「はっ、
蒲柳というのは
蒲柳之姿 望秋而落 蒲柳の姿は秋に望みて落ち
松柏之質 凌霜猶茂 松柏の質は霜を凌いで猶お茂るがごとし
自分を楊柳に例え、皇帝を松柏に
高国の子は、長男・六郎
「そうか、ならば年頃も良い。二人とも元服させては、如何か」
「上様のお声掛かりとなれば、光栄の至り。されど、我が弟
「そうであったか。では、そのように取り計らい、
「武蔵守様の猶子など、
この時代、将軍より元服を勧められるのは誉れであり、近習取立てと同義である。それは将来政権の中枢に入るという将来が開けることでもあった。これを喜ばぬ親はない。その上、本家の猶子とは。尹賢は高国の顔色を伺う。尹賢が直接将軍家と結びつくことを高国に警戒されては排斥や最悪粛清される可能性もあるからだ。
「よいよい。私も
尹賢の心配を察したのか、高国がそっと耳打ちする。養子と猶子では意味が大分違うからだ。
義晴の考えは歳近い者たちを周りに置きたい一心であろう。高国は宮寿丸を己にとっての尹賢と同じ役割を担わせ、次の世代の舵取りをしやすくさせてやりたかった。出来れば稙国に付けたかったのだが、近頃病勝ちであり、万が一を考えれば虎益丸と宮寿丸に誼を作っておくことは悪いことではないと考えた。家督継承権のある養子では問題があるが、猶子であれば問題にならない。それに虎益丸を元服させれば野州家の当主となり、勢力強化にも繋がる。付き合いの長い尹賢には高国の思考が見えるようだった。
敏い――。
改めて高国の天才的な政治感覚に
「さぁ、慶事に慶事が重なったぞ! 皆の者、今よりは無礼講といたす。自由に飲むがよい」
義晴公がそう宣言すると、一座が喜びにどよめき、至るところで酒の注ぎ合いが始まった。
無礼講というのは、「礼講を無くす」の意味である。礼講は神事で身分の高い参列者から順番に酒を飲む作法のことで、これが儀式にも転用され、序列順に注がれるまで酒を飲むことが出来ないものであった。無礼講の始まりは、悪党どもを味方に引き入れた後醍醐帝であるともいわれるが、これは軍記物の『太平記』の影響である。実際には、日野
以来、儀式の後の宴では最も身分の高い者が無礼講を宣することで、各々が自由に飲む風潮が武家の間に広まっていった。決して何をしていいという訳ではなく、各自随意に飲むがよい――という程のことである。
ブツブツ文句を言いながら臨席していた元盛だが、無類の酒好きであり、この時を待っていた。
「よし! 飲むぞ。注げ、
盃を一気に空け、賢治の前に引盃を突き出す。賢治は嘆息を吐きながら、瓶子を抱えて濁酒を注いだ。いつもは
二度、三度と注がされる賢治。一息で呑み干す元盛。
「
「
「いーから、飲め!」
無類の酒好きであっても、
「一杯だけですよ……あぁ、その辺で」
まだ注ごうとする元盛を制して引盃を上げると、元盛も瓶子を引いた。物が大切である時代のこと、如何に粗野な元盛といえども、作法を知らぬ訳ではない。引盃に瓶子を当てては、酒の注ぎ方も知らぬと莫迦にされてしまうところだ。
「まだ、半分も注いでおらんぞ?」
「私は酒が苦手なのです」
忘れたのですかと言わんばかりの顔をして、半分ほど注がれた引盃に口をつけて舐める程度の賢治。
「お前も
「なんという無茶を」
あの枠と比べてくださるなという顔をして舐める賢治。元盛は、つまらんとばかりに瓶子を抱え、手酌で飲み始める。そこへ、当の元清が寄ってきた。
「
「わぁーってる、わぁーってる!」
元清は丹波波多野氏の二代目で、父・清秀が丹波守護代
兄弟で波多野・香西・柳本の三氏の当主となり、列席していることが元清にとっては誇りであり、いずれは丹波を手中に収めることを考えてもいる。高国陣営では、兄弟三人揃って列席できる内衆は他にはなかった。それもひとえに高国から元清・元盛・賢治への信頼が篤い証である。
「さて! 我が君にも一献!」
赤ら顔で元盛が立ち上がる。
粗野で文盲である元盛を全く莫迦にしない高国を元盛は神仏の如くとは言い難いが、かなり敬っている。高国の命とあらば、死地に赴くのすら
「
「
いいのですか?という顔をして、賢治が元清を見やる。元清は目でそれを制し、元盛は手をひらひらと泳がせて、大丈夫だと返事をしているのだろうが、フラフラと上座に出ていく様を見ては心配が募るばかりだ。元盛が急に立ち止まり、自らの頬を張った。その様子を微笑ましそうに見守る元清と心配ばかりな賢治。なんだかんだと仲の良い兄弟である。
「
柳酒というのは京の造り酒屋の銘である。五条坊門
上座の者たちだけに出されたのだろう。元盛と賢治の瓶子には赤い紐は結ばれていない。
「では、一献」
濁酒を無理矢理呑み干し、酒盃を盃洗に
柳酒は七曜星紋を商標にして売り出した超高級品である。柳酒屋一軒の納める税だけで、幕府の酒税の一割に相当したといわれていた。
「ほう、これは美味い」
賢治の酒盃に注がれた柳酒は、黄金色をした甘味のある酒である。現代でいう
「であろう?
客に振る舞われる酒や肴は御成を受ける家の者が用意する。用意したものを献上し、将軍家で検品をした上で供されるようになっていた。
「
上座では高国が酒を注ぎに来た元盛の相手をしはじめる。元盛はどっかりと高国の前に座り込み、注いでは呑み、注いでは呑みを繰り返していた。
「
ガハハと豪快に笑う元盛。瓶子を逆さにして上下に振ってみせる。稚気といえば稚気だが、それ故に一本気であり、策を弄するような真似はすまいと安心できるところが高国は気に入っている。
「そうかそうか、では、私の酒も呑み干すがよいぞ」
高国は赤の紐が付いた瓶子を元盛に渡す。
元盛は受け取って律儀に引盃に注いでいく。
「こ、これは澄酒ではござらんか!」
「如何にも。柳酒ぞ」
驚く元盛に、高国は不思議そうな顔である。というのも、高国は尹賢から今日の酒宴は柳酒屋の澄酒と聞いていたからだ。
「我らは濁酒で御座った!」
澄酒をクイッと一息に呑み干しながら、ギロリと尹賢を睨む。
「
「
尹賢の狼狽えた様子を見て、高国は致し方無しと助け舟を出すことにした。
「尹賢、上座と下座で酒を変えたこと、瓶子の紐を見れば明らか。何らかの事情があったのであろうが、下座の者からすれば不満は残る。
「面目次第も御座いませぬ……」
高国の言い様に項垂れる尹賢。
その様子をみて、どうだ!と言わんばかりの元盛に、高国も苦笑いだ。
「だが、
軽いお叱りを受けて
「二人共、私が恃みとする懐刀ぞ? もそっと仲良う出来ぬのか」
「ははっ!」
「申し訳御座いませぬ」
尹賢と元盛が平伏した。
元盛にとって尹賢は気に喰わぬ奴ではあるが、高国の命とあれば、仲良くしなければならぬと不承不承頷いた。
しかし、尹賢の表情からは何も伺えない。感情の消えた顔を伏せて、声だけはさも申し訳なさそうに謝るのであった。