「……街の近くに、こんな場所があったのですね」
吹き抜ける潮風にその銀髪を揺らしながら、オリヴィア様は感嘆の声を漏らす。
この周囲で一番高い場所ということもあり、ポルティアの町並みからその先の海と空までを一望することができた。
日差しは強いものの、潮風のおかげで涼しく、その風が短い草を撫でる音が心地いい。
その草の上には海鳥らしき巣が点在していて、まるで別の世界に迷い込んだかのような錯覚さえ覚えた。
「イアン様が元気になったら、一緒にこの場所に来たいです」
オリヴィア様と並んでその風景を見ていたスフィアが、誰にともなく呟く。
「は、早く元気になってもらうためにも、頑張って
同じことを考えていたわたしはそう言ってスフィアを鼓舞する。
ややあって、彼女はしっかりと頷いてくれた。
「うんうん、鳥が巣を作るってことは魔物が来ていない証拠だし、安心して採取していいと思うよー」
周囲を見渡していたマイラさんがそう言い、わたしたちも緊張感から開放される。
……その直後、わたしのお腹が大きな音を立てた。
「あ、あわわわ、すみません」
慌ててお腹を押さえるも、出てしまったものは戻らない。わたしは恥ずかしさのあまり、視線をそらして縮こまる。
「腹が減っては良い商談は出来ぬと、かつて父が言っていました。エドヴィンにお弁当を用意してもらったので、皆さんで食べましょう」
オリヴィア様が朗らかな表情で言い、手にしていたバスケットを地面に置く。
「いいねぇ、あたしもお腹空いたし」
「もちろん、マイラさんにはとびきり大きなサンドイッチを作ってもらいましたよ」
「わーい! やったー!」
バスケットの傍らに腰を下ろしながら、マイラさんは無邪気な笑顔を見せる。
その様子からして、本当に魔物の心配はないのだろう。
わたしたちも同じように草の上に腰を落ち着け、小休止することにした。
お腹を満たしてから、改めて薬材探しを始める。
この丘は海から内陸方面に向けてなだらかな下り坂になっていて、坂の下には深い森が広がっている。マイラさんいわく、魔物はあの森に潜んでいるらしい。
正直、遠回りをして森の中を通ったほうが疲れないのだけど、魔物が闊歩する森を通るくらいなら、急な斜面を登ったほうが安全なのだそう。
「エリン先生―、オバケソウモドキ、見つけてきましたよー!」
皆で草原に散らばって採取作業をしていると、スフィアがわたしの下に駆けてくる。その手には白い綿毛の花があった。
「正解です。オバケソウとオバケソウモドキ、きちんと見分けがつくようになりましたね」
「はい! もう、頭に叩き込みましたから!」
受け取った植物を確かめてから、わたしはそう口にする。スフィアは嬉しそうな顔をしていた。
「では、オバケソウとの具体的な違いは言えますか?」
「はい! オバケソウモドキは、オバケソウに比べて茎が柔らかいんです! あと、根っこに綿状の結晶がつきます。オバケソウにはこれがないので、根っこを見れば一目瞭然です!」
「……正解です。よく勉強していますね」
「えへへー」
その頭を優しく撫でてあげると、スフィアは顔をほころばせる。
「ちなみに、その二つの薬材としての特徴はわかりますか?」
「や、薬材としての特徴……オバケソウは胃腸の病気に効いて、体から悪い水を出す効果があります。オバケソウモドキはそれに加えて鎮痛と……えーと、えーと」
「……鎮痛と、滋養強壮の効果が強いんです。惜しかったですよ」
「あ! そうでした!」
眉間にしわを寄せる彼女を見かねて、わたしはそう教えてあげる。直後に笑顔の花が咲いた。
「エリンさん、なんか先生っぽいー」
「ひっ、す、すみません。つい」
いつしか近くにやってきていたマイラさんから声をかけられ、わたしは萎縮する。
「マイラさん、エリンさんは本当にスフィアちゃんの先生ですよ?」
「そうだっけ? 普段が普段だから、すっかり忘れちゃってたよー」
同じく近くにやってきたオリヴィア様からそんな声が飛び、それに動揺したわたしを見て、スフィアが笑う。なんとも微笑ましい時間だった。
「……皆ごめん。ちょっと静かに」
その時、それまで一緒に笑っていたマイラさんが、すっと真顔になる。
同時に、羽を休めていた海鳥たちが一斉に飛び立った。
「……なんかいるね」
「え、魔物ですか?」
「うん。三人とも、あたしの後ろに隠れて」
素早く愛用の
「囲まれてはいないけど、背の高い草の中にうまく隠れてるねー。数は……四体かぁ。家族で狩りをしに来たのかな」
声のトーンを低くしながら、マイラさんは続ける。
姿は見えないけど、グレーウルフなのだろう。群れは作らないと聞いていたけど、どうやら家族で狩りはするらしい。
「んー、一人で相手をするには、ちょっと多いなぁ」
「それでしたら、わたくしも戦いますわ!」
「えぇ!?」
予想外のオリヴィア様の言葉に、わたしとスフィアの声が重なった。
直後、彼女は持っていた棒状の荷物の封を解く。
……その中身は、剣だった。鞘に見事な装飾が施されている。
「も、もしかしてオリヴィア様、剣術の心得があるんですか?」
「ええ。こうみえてわたくし、貴族の演武会で優勝したこともあるんですよ」
思わず尋ねると、そんな言葉が返ってきた。
いやいや、演舞と実戦は違うと思うんだけど!?
わたしは心の中で叫ぶも、実際に口にはできなかった。
そうこうしているうちに彼女は剣を抜き放ち、マイラさんの隣に立ち並ぶ。
「んー、オリヴィア様、ずいぶん自信あるけど、期待しちゃっていい?」
「ええ、どうぞ期待してくださいまし」
オリヴィア様が余裕の笑みを浮かべた直後、草の中から複数の魔物が飛び出してきた。
「先頭の一回り大きいのがお母さんで、その隣がお父さんかな。下手に倒しちゃうと残された子どもたちが大変だから、追っ払うだけねー」
「ええ!」
マイラさんの言葉を皮切りに、二人は臨戦態勢になる。わたしとスフィアは、そんな二人の背後で身を縮こませていた。
……次の瞬間、二人はほぼ同時に駆け出した。
魔物たちもまさか向かってくるとは思っていなかったのか、完全に虚を突かれている。
「ごめんねー! てりゃー!」
最も近くにいた魔物の懐へ飛び込んだマイラさんは、謝りながら豪快に顎を殴っていた。
そのあまりの威力に、殴られた魔物は大きく吹き飛ばされる。
「……はぁっ!」
続いてオリヴィア様がもう一体の突進攻撃をいなし、すれ違い際に右前足を斬りつけた。
その流れるような動きに、わたしは思わず見惚れてしまう。
一方で攻撃を受けた魔物は、足を引きずりながらその場を離れていく。
体を支える足には無数の神経が集まっているから、わずかな傷でも痛いのだ。剣で斬りつけられているのだし、テーブルや椅子の角に小指をぶつけた時とは、比べ物にならないだろう。
そんなことを考えていた矢先、先程マイラさんの攻撃を受けた魔物が体勢を立て直し、今度はオリヴィア様を狙ってくる。
けれど、彼女は華麗な身のこなしでその攻撃を回避し、魔物の顔面を軽く斬りつけた。
「オリヴィア様、かっこいいです……」
一連の流れを見ていたスフィアが、身を乗り出しながらその動きに見入っていた。
マイラさんの頼もしさももちろんなのだけど、オリヴィア様の戦い方はなんというか、美しかった。
そんな中、ことごとく返り討ちに遭ったことで魔物たちも身の危険を感じたらしい。
じわじわと後退したかと思うと、散り散りになって森へと逃げ帰っていった。
「……ふぅ」
それを見届けて、オリヴィア様は大きく息を吐き、剣を鞘に収めた。
「お、お二人とも、さすがでした」
「ありがとー。なんとかなったねぇ」
緊張を解いた二人に声をかけると、マイラさんは先程とは打って変わって朗らかな表情を見せる。
「正直なところ、かなり怖かったですが。まだ少し、手が震えています」
オリヴィア様はそう言って、どこか恥ずかしそうに右手を押さえる。
「あれだけの動きができるんだし、もっと自信持っていいと思うよー」
「そうですよ! すごかったです!」
マイラさんとスフィアが底抜けに明るい声で言い、その言葉を聞いたオリヴィア様も笑顔になった。
なんとか魔物を追い払えたことに安堵しつつ、わたしたちは薬材集めを再開したのだった。