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第16話『薬師、王様の薬を作る』


 街で薬を配った数日後。食中毒騒動はようやく沈静化する。


 安心したのもつかの間、今度はイアン様が熱を出して寝込んでしまった。


「先日、一緒に遊びに出たのが悪かったんでしょうか……」


 調合室に置かれたソファーに腰を下ろし、スフィアは心配しきりだった。


 ここ最近は彼の体調も良かっただけに、わたしやエドヴィンさんも油断していた。


 こうなると、食中毒の原因調査どころではない。薬師やくしとして、役目を果たさなければ。


「エリン先生、イアン様にお薬を作ってあげましょう」


「そ、それはもちろんです。ただ、イアン様には普段からかなり強いものを飲んでいただいています。それでも今回の発熱を防げなかったとなると、より一層強い薬が必要と思われます」


 薬棚の中を確認しながら、わたしは考えを巡らせる。現状、作るべき薬は一つだけだ。


「……薬の中でも、王様の薬と呼ばれるものがあります」


「王様の薬?」


「はい。発熱はもとより、倦怠感や食欲減退、痛み、無気力感にいたるまで、あらゆる症状に効きます。あまりに強力なので、王様の薬と呼ばれているんです」


「そんな薬が……私の読んだ教本には載っていませんでした」


「非常に繊細な配合を必要とする、上級者向けの薬ですから。使用する薬材やくざいの数も非常に多いんです」


「聞くのも怖いですが、何を使うんです?」


「……リクルル豆、月の花、オルニカの根、白ニンジン、オバケソウモドキ、サポリンの実、オレンジの皮、スイートリーフ、ジャールの根、オッポ草。全部で10種類ですね」


「すごいですね……さすが王様の薬です」


 指折り数えながら伝えると、スフィアは青い顔をしていた。


 おそらく、調合の手間を考えているのだろう。


「さ、さすがに難しいので、調合作業はわたし一人でやります。それより、薬材が足りないことのほうが問題です」


 先日エドヴィンさんからもらった薬材のリストと、薬棚の中身を照らし合わせながらそう口にする。


「特に足りないのが、オバケソウモドキとオレンジの皮です。どちらも食中毒の薬を作った時に大量に消費してしまいましたし、オレンジは収穫時期ではないので、入手が難しいんです」


「オバケソウモドキは、レリックさんにお願いすれば仕入れてくれるんじゃないですか?」


「食中毒事件が解決するまで、レリックさんは処分保留の状態です。さすがに動いてもらえないかと」


「あ、そうでした……それなら、まずはオレンジを探しましょう! これだけ大きな街ですし、きっとどこかに売っているはずです!」


 イアン様のことが心配なのか、スフィアはすぐさま調合室を飛び出していく。


 そんな彼女の姿を微笑ましく見たあと、わたしもその背に続いたのだった。


 ◇


 市場にやってきたわたしたちは、果物を売っていそうなお店に片っ端から足を運ぶ。


「オレンジかい? 今は時期じゃないからねぇ。うちにはないよ」


「悪いけどまだないねぇ。今なら、レシャプの実なんてどうだい? 大きいのがあるよ」


 市場の端から端までくまなく探し回ったけれど、どのお店にもオレンジは売っていなかった。


 暑い中を走り回ったわたしたちは疲れ果て、木陰にあるベンチで小休止することにした。


「うぅ……オレンジ、売ってませんねぇ」


「そ、そうですね」


 覚悟はしていたけど、やはり収穫時期が違うと手に入らない。


 もう少し季節が進めば、市場の至る所にオレンジの山ができるというのに。


 思わずため息をつき、額の汗を拭う。いつしか大量の汗をかいていて、前髪が額に張り付く。


 隣のスフィアを見ると、わたし以上に汗だくだった。


「あ! そういえば浜辺のほうに、フルーツジュースを売っているお店ありましたよね!私、そっちも見てきます!」


「あ、ちょっと、スフィア」


 そんなスフィアの姿を見ていると、彼女は思い出したように立ち上がり、わたしが止めるのも聞かずに駆け出していった。


 そんな彼女を呆然と見送ったあと、わたしはベンチの背に体を預け、考えを巡らせる。


 スフィアには言わなかったけれど、この街で一ヶ所だけ、オレンジの皮を置いていそうな場所がある。


 ……フランティオ工房だ。


 いくら評判が悪くても薬師工房だし、薬材としてオレンジの皮が蓄えられている可能性は高い。


 だけど、あそことは先日騒ぎを起こしたばかり。薬材を売ってくださいなんて頼みに行こうものなら、どんな嫌味を言われるかわからない。


「……はぁぁ」


「ずいぶんと大きなため息ですね。どうかしましたか」


「おわぁっ!?」


 何度目かわからないため息を地面に放っていると、頭上から聞き覚えのある声がした。


 反射的に顔を上げると、そこにはレリックさんが立っていた。


「ど、どうも。レリックさんは、買い物ですか」


「ええ。買い出しの帰りです」


 パンパンに膨らんだ袋を見せながら、彼は朗らかな笑顔を浮かべる。


「ところで、何か心配事ですか? 私で良ければ、相談に乗りますよ」


 続いて神妙な顔になり、そう尋ねてくる。


「えっと、その……」


 わたしは少し悩んだあと、彼に隣に座ってもらい、これまでの経緯を話して聞かせた。


「……というわけで、オレンジを探しているんです」


「なるほど。オレンジの収穫時期にはまだ早いですし、農園に行ったとしても、まだ青々とした実が生っているだけでしょうね」


「そ、そうですよね。本当に一つだけでいいんですが」


 わたしの話を聞いたレリックさんは、難しい顔をしていた。


 商人の彼なら、何か良い方法を知っているかも……なんて思ったのだけど、そううまく事は運ばないみたいだ。


「最悪、果実はいらないんです。皮だけでもいいんですが」


 吐き捨てるようにそう口にした時、レリックさんは何か思い出したような顔をする。


「それでしたら……中央通りにある乾物屋さんには行ってみましたか?」


「え、乾物屋さん? 干し肉や干し魚を売っている、あのお店ですか」


「ええ、市場の中ほどに店を構えているでしょう?」


 大きなお店なので、わたしもその存在自体は知っている。


 けれど、乾物屋は果物とは無縁と思い、特に気に留めていなかった。


「あのお店は一般的な乾物だけではなく、ドライフルーツも売っているのです。なんでも、奥様の趣味だとかで」


「……ドライフルーツ!」


 つい大きな声を出し、わたしは立ち上がる。


「ええ、皮ごとスライスされたオレンジが、瓶に入って売られていた記憶がありますよ」


「あ、ありがとうございます。行ってみます」


 教えてくれたレリックさんに頭を下げたあと、わたしは駆け出した。


 乾物屋にオレンジがあるなんて、わたしじゃ想像もできない。さすがは商人さんだった。


 ……その後、浜辺で意気消沈していたスフィアに声をかけ、わたしたちは教えてもらったお店へと向かう。


 そこで、無事にオレンジのドライフルーツを手に入れることができたのだった。


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