その翌朝、わたしはエドヴィンさんやレリックさんとともに、ノーハット伯爵様の部屋に呼び出されていた。
「え、食中毒ですか……?」
「うむ。先日、とある屋台で提供された料理を口にした人々が、次々と体調不良を訴えたのだ」
三人がけの上質なソファーに腰を落ち着けた直後、開口一番にそう告げられる。
あれだけたくさんお店が出ているのだし、衛生管理の行き届いていないお店があっても不思議じゃない。
まして、ここ数日は雨が降り続いていて、食材も痛みやすい環境だった。
「その店は魚料理を売っていたのだが、店主いわく、仕入先の野菜が傷んでいたと言うのだ」
「さ、魚ではなく、野菜ですか」
「そのようだ。ここは港街であるし、魚は新鮮なものが手に入るのであろう。して、問題の野菜だが……」
そこまで話し、伯爵様はレリックさんを見る。そして厳しい口調で言った。
「レリック、お前が納品したものらしいな?」
「……まさか。あの野菜は確かに私が納品しましたが、生でも食せるほどに品質管理は徹底しておりました。何かの間違いでは?」
問われたレリックさんの顔が、みるみる青ざめていく。
「お前のことはもちろん信頼しているが、店主から話を聞いた限り、そうとしか考えられんのだ。申し訳ないが、しばらくお前の商人資格を停止させてもらう」
「そ、そんな……」
頑として言われ、レリックさんはがっくりと肩を落とす。
街を治める者として、ある種の『けじめ』という意味合いが強いのだろうけど、レリックさんとはわたしも長く取引をさせてもらっている。そんなミスをする人には思えない。
それでも、一介の商人である彼に貴族様の決定を覆せるはずもない。意見できるとすれば、
「あ、ああああの、お言葉でしゅが」
「エリン殿、どうされた?」
深呼吸をしてから言葉を紡ぐも、思いっきり動揺していた。噛み噛みだ。
「しょ、食中毒の原因は多岐に渡ります。加熱が不十分だったり、調理後の保存状況だったり。あと、天候にも左右されます。まして、ここ数日は雨が多くて湿度が高く、食中毒が発生しやすい環境でもありました。一概に食材のせいにするのはいかがなものかと……」
「……ふむ」
声を絞り出しながらそう伝えると、伯爵様は口元に手を当てて考え込む。
その直後、わたしはエドヴィンさんとレリックさんの視線に気づき、ふと冷静になる。
……しまった。つい、伯爵様の決定に文句をつけてしまった。
こ、これは彼の逆鱗に触れて、別荘を追い出されてしまうのでは?
いや、それだけじゃ済まないかも。
ノーハット家はミランダ王家に対しても発言力があるというし、エリン工房の国家公認を取り消されたり、最悪、工房閉鎖というパターンもありえる……!?
そ、そうなれば、わたしのせいで工房の皆は離散。スフィアも施設送りに……!
……い、今からでも遅くない。発言を訂正して、平伏しなければ。
「恐れながら……伯爵様、確かにエリン様の仰る通りです。レリック様の処遇を決めるのは時期尚早かと」
わたしが土下座をしようとした、まさにその時、エドヴィンさんが立ち上がってそう口にする。
「エドヴィン、お前もそう思うのか」
「はい。彼女と同じ薬師として、の意見でございますが」
「そうか……」
伯爵様は瞳を伏せて、熟考しているようだった。
「……わかった。そういうことなら、改めて食中毒の原因調査をすることにしよう。その調査結果が判明するまで、レリックの処分は保留とする」
「……温情、感謝いたします」
続いた伯爵様の言葉に、レリックさんは安堵の息を漏らしていた。
よかった。なんとか資格停止処分は免れたみたい。
「して、その調査だが……エリン殿にお任せしたい」
……え?
一緒になって安堵感に包まれていると、突然そう言われた。
わたしが、原因調査?
な、なんか話が妙な方向に進んでいるような気がする。
いや、あれだけ大きなことを言ったんだし、この流れになるのは当然なのかも……。
「わ、わかりました。全身全霊で、頑張ります……」
この状況で断るなんてことができるわけもなく、わたしは脱力しつつ頷いた。
「よろしく頼むぞ。まぁ、その調査より先に、患者の救済が先なのだが」
伯爵様は一瞬満足げな顔をするも、すぐに表情を引き締めた。
「あっ、そちらの対処も、まだ終わっていないのですね」
「残念な話ではあるがな。フランティオ工房に補助金を出し、薬の増産を指示しているが、生産が追いつかないそうだ」
民を救うのも、貴族の務めであるのに……と小声で付け加えつつ、彼は頭を振った。
「そこで、エドヴィンやエリン殿にも薬の生産を手伝ってもらいたい。頼めるか?」
「承知いたしました」
「は、はいっ」
すぐさま頷いたエドヴィンさんを見て、わたしも慌ててそれに続く。
そしてすぐに、頭の中を薬師モードに切り替える。
具体的な患者数はわからないけど、このお屋敷の調合室にはかなりの量の薬材が蓄えてある。
以前のアメス祭りでの食中毒に比べれば規模は小さそうだし、何より今回はエドヴィンさんやスフィアもいる。薬の調合については、まず問題ないだろう。
……問題があるとすれば、原因調査の方だけど。今は考えないようにしよう。
その後、わたしたちは伯爵様の部屋をあとにする。
調査用の資料ももらったし、これを部屋に置いたら割烹着に着替えて、スフィアと一緒に調合室に行かないと。
「あのー、エリンさん!」
「はいぃっ!?」
そんなことを考えながら足早に廊下を進んでいると、背後から追いかけてきたレリックさんに声をかけられた。
すっかり気を抜いていたので、変な声が出てしまう。
「エリンさん、さっきはありがとうございました。あなたが助言してくれなければ、私はあのまま商人資格を失っていたでしょう」
「い、いえ。わたしなんか、大したことしてないです。むしろ、エドヴィンさんのほうが……」
「それでも、一番に声を上げてくれたのはエリンさんですよ。本当にありがとうございます。大変でしょうけど、調合作業、頑張ってください」
レリックさんは本当に嬉しそうに言うと、一礼して去っていった。
そんな笑顔の彼を見ていると、わたしも不思議と嬉しい気持ちになったのだった。