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第9話『薬師、おじいさんを助ける』


 浜辺の街に滞在して、数日が経過したある日。わたしはスフィアと一緒に食材の買い出しに来ていた。


 別荘での食事は使用人さんたちが作ってくれるのだけど、それだとあまりに申し訳ないということで、こうして買い出しを手伝っているのだ。


「まずは野菜ですね! エリン先生、こっちです!」


 相変わらずの人の多さに圧倒されながら、スフィアに手を引かれて市場の中を行く。


 これじゃ、どっちが年上かわからない……なんて考えていると、雑踏の中にうずくまる人影を見つけた。


「あの、スフィア、ちょっと待ってください」


「え?」


 前を行く彼女を慌てて呼び止めて、わたしはその人影へと近づいていく。どうやら、おじいさんのようだ。


「だ、大丈夫ですか。どこか、具合でも悪いんですか」


 その背におそるおそる声をかけると、彼はゆっくりと顔を上げた。


「ああ、少し休めば良くなるから、大丈夫だよ。どうも、飲んだ薬が体に合わなかったようだ」


 苦しそうに言うおじいさんの顔色は土気色をしていた。さすがに放っておけず、わたしはスフィアと協力して彼を近くのベンチへと誘導し、横になってもらう。


「あの、わたしは薬師やくしです。薬が合わなかったとは、どういうことですか」


 ひさしのついたベンチに横たわるおじいさんの容態を見つつ、そう尋ねてみる。


「……どうも最近、薬を飲むと逆に気分が悪くなるんだ。歳のせいかな」


「処方されたのは、なんの薬かわかりますか?」


「心臓の薬としか。常に持ち歩いているから、腰の袋の中にあるよ。なんなら、見ておくれ」


「し、失礼します」


 彼に断ってから、わたしは腰袋の中を漁る。すぐにそれらしい包みが見つかった。


 その成分を確かめるため、粉状の薬を少し舐めてみる。


 使われているのはゴールデンリーフとノマの実、それにメルルの花と……この独特の強い苦みはロキナ樹の樹皮だ。


 薬材やくざいの種類から考えて、心臓の動きを安定させる薬で間違いないと思う。


 ……けれど、何か違和感がある。


「エリン先生、どうかしたんですか?」


 ……わかった。このノマの実だ。


 本来のノマの実は赤色で、粉砕してもその色味が若干残る。


 でも、この薬の中に使われている実の色は黒かった。明らかに、品質が悪いものが使われている。


 そうなると、このメルルの花も怪しい。ポプリの素材としても使われるほど良い香りを放つはずなのに、それをほとんど感じない。


 加えて、心臓の薬はその副作用で顔色が悪くなると聞いたことがある。彼の症状の原因は十中八九、この薬で間違いないだろう。


「あのー、エリン先生―?」


「……はっ」


 スフィアに耳元で声をかけられ、わたしは我に返る。


「もしかして、舐めただけで使われている薬材がわかったんですか?」


「そ、そうです」


「さ、さすがエリン先生です……」


 スフィアは驚きの表情を浮かべたあと、わたしを真似するように粉末を舐める。直後、その苦さに顔を歪めていた。


「うげっ……ぜんぜんわかりません」


「い、いくらなんでもスフィアにはまだ無理ですよ。それより、この人は副作用が強く出てしまっているので、わたしは今からその症状を和らげるお薬を調合してきます。スフィアは、ここでおじいさんを見ていてあげてください」


「わ、わかりました!」


 スフィアが頷いたのを確認して、わたしは別荘へ向けて走り出した。



 ノーハット家の別荘へ戻ったわたしは、エドヴィンさんへの説明もそこそこに、地下にある調合室へ飛び込む。


 そこの薬棚から手早く薬材を取り出すと、すぐに薬研やげんを握り、粉砕作業を始めた。


 今から作るのは、オルニカの根やベニイモ、ジャールの根といった薬材を使用した薬で、体の免疫機能を高める効果がある。


 体の自浄作用による解毒も期待できるので、悪い薬の成分を外に出すことも可能だと思う。


「ずいぶんと慌てておられますが、いかがなさいました?」


「あっ、いえ、ちょっと困っている人を見つけたので」


 背後からエドヴィンさんに声をかけられるも、わたしはそんな説明しかできなかった。


「そうですか。暑いですし、あまりご無理をなさらぬよう」


 すると彼は何か察してくれたようで、それだけ言って調合室から出ていく。


 あとできちんと事情を説明しよう……なんて考えつつ、わたしは一心不乱に薬研を動かしたのだった。


 やがて薬を完成させ、煮出した薬湯を水筒に入れておじいさんのもとへと舞い戻る。


「これは薬師様、ご迷惑をおかけします」


 彼の体調はだいぶ良くなったようで、ベンチに腰掛けた状態で出迎えてくれた。


「か、顔色、先程に比べてかなり良くなってきましたね。これ、薬です」


「ありがとうございます」


 おじいさんはお礼を言うと、躊躇なく水筒の中身をあおった。


「あの子に聞きましたが、あなたは国家公認工房の薬師様なのだとか。本当に助かりました」


 その全てを飲み干したあと、彼はそう続ける。


 今になって思えば、わたしに対する言葉遣いも改まっている。どうやら、スフィアがわたしの素性について話したようだ。


「べ、別にそんな……それより、煮出す前の薬もお渡ししておきます。もしまた同じような症状が出た場合、飲んでください」


 そう言いながら、わたしは持っていた粉薬を手渡す。


「何から何まで、感謝しかありません。これは少ないですが、お礼です」


 するとおじいさんはそう言って、1ピール銀貨をわたしに向けて差し出してくる。


「い、いえいえ、わたしが好きでやったことですから、お代は結構です」


「それでは、私の気が収まりません」


 わたしはその銀貨を必死に押し返すも……逆におじいさんのほうが困った顔をしていた。


「そ、それでは、お代のかわりに、少しお話を伺いたいのですが。もちろん、体調に差し支えなければ……ですけど」


「構いませんよ。何をお話ししましょうか」


 そう代替案を出してみると、彼は了承してくれた。わたしは胸を撫でおろし、一つ質問をしてみる。


「こ、この副作用ですが、いつ頃から出るようになりましたか。どの薬でも少なからず副作用はあるものですが、今回の症状はあまりに顕著です」


「そうですね……今になって思えば、いきつけの薬師工房の工房長が交代した頃からですかね」


「……工房長が、交代?」


「ええ、この街にはフランティオ工房という薬師工房があるのですが、そこの工房長が半月ほど前に代替わりしましてね。今はその息子たちが切り盛りしているのです」


 ……なるほど。それなら薬の成分が変わるようなことがあっても不思議はない。


 薬の調合は非常に繊細な作業なので、同じ分量の薬材を使ったつもりでも、効能に違いが出たりするのだ。作り手が変わった上、品質の悪い薬材を使っていたのなら尚更だ。


「そんな理由で、薬の品質って下がっちゃうものなんですか? 兄弟でやっているのなら、仕事は楽になっていそうですが」


 わたしが納得する中、スフィアは不満顔をしていた。


「工房を継いだばかりで慣れていないのだと、常連客の間で話していますがね。そのうち、もとに戻るだろうと」


「……わかりました。貴重なお話、ありがとうございました」


 どこか楽観的に言うおじいさんにお礼を言うと、彼は一礼して去っていった。


「むー、エリン先生、自分たちの作った薬でお客さんに迷惑がかかってるって、その工房長さんに教えてあげたほうがいいんじゃないですか?」


 自らも薬師であるという自覚があるのか、スフィアがそう言って口を尖らせた。


「た、確かに、許せる行為ではありませんが、薬師工房には薬師工房の事情がありますし」


 あのおじいさんの言う通り、工房が忙しすぎてたまたま調合ミスをしただけかもしれないし、薬材の仕入先が悪徳業者だというパターンもあり得る。


 なんにしても、部外者のわたしたちが首を突っ込むべき問題ではないと思う。


「その薬師工房、どんな感じなのか、見に行きましょうよ!」


「えぇ!?」


 そんなことを考えていると、スフィアがわたしの手を取って走り出す。


 気持ちはわかるけど、本当に行くの!?


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